かつての理系女はその日を予測する
金属、特に鉄の経験が深いネリスを中心に、フローラ、ヘレン、ケネスの4人は大砲の複製、迫撃砲の製造にかかりきりになっていた。アンはものづくり系のしごとにはタッチさせてもらえず、さみしい思いで一人で治療室と調理室の手伝いに行っていた。幸い冬に入ってから戦闘は低調だったから、治療室の仕事はほとんどなかった。
アンが調理室で日持ちのする焼き菓子を焼く作業をしているところにネリスがやってきて、大砲と迫撃砲について報告した。
「結論から言うと、大砲の複製はこの戦争に間に合わないと思うのじゃ。まず、ヘルムスブルクに既存の鋳物屋では、砲弾の製造はできるものの砲身の製造が工場の規模的に無理じゃ。さらにじゃな、砲身の内側を削る旋盤が無い。金工用の旋盤をイチからつくるなんて、何年かかるかわからん」
「迫撃砲は?」
「着発信管ができたので、間もなく生産開始できるぞ」
「急いでもらうしか無いね、というより迫撃砲に集中すべきかな」
「そうじゃな、迫撃砲は森だけでなく平原でも有効じゃろうからな。どうしても大砲が必要というのなら、小口径かつ低精度のものならできるけど」
「あれもこれも手を出すと、かえって全部完成が遅くなったりしない?」
「ワシもそれが心配じゃ」
「じゃあ迫撃砲に集中という方向でヴェローニカ様に報告しとくね」
「うむ」
菓子を焼き終わったアンは、作戦室に出向く。ヴェローニカは地図を前に腕を組んでいる。
「ヴェローニカ様、よろしいでしょうか」
「どうぞ、アン様」
アンはヴェローニカに負担をかけないよう、手短に話す。
「わかりました。そのようにいたしましょう」
珍しくヴェローニカが、アンの話をあまり集中して聞いていないように見える。
「ヴェローニカ様、なにか気になる点でも」
「静か過ぎます。アン様は冬のはじめに、敵の大攻勢を予想されていたではないですか」
「はい」
アンとしても、自分が予想していた敵の攻勢が無いことは気になっていた。しかし無ければ無いでいいではないかとつい思ってしまっていたところである。やはり自分は国防については素人だなと思う。でもここは、なんとかしてヴェローニカの負担を減らしたい。
「ヴェローニカ様、近隣、いえ前線近くに住む天気に詳しい古老を探していただけないでしょうか」
「なぜでしょうか」
「敵の大攻勢があるとすれば、根雪になる前の最後の好天時でしょう。敵も同様の情報収集をしていると考えるべきで、逆に我々も備えられるはずです。その日にあわせて人員、物資を配置しておけばよいかと」
「なるほど」
「その際、以前鹵獲した地図を参考に、新たな突破口を予想しておけばいいのではないでしょうか」
「よし、緊急会議だ!」
会議までの間に、アンは最近の天気の記録を調べることにした。天候の変化のパターンから次の好天を予想しようと思ったのだ。単純に天気の変化のパターンだけ見れば、秋のうちは2~3日おきに晴れと雨が繰り返していた。しかしだんだんと晴れの日が少なく、天気の悪い日が多くなりつつあった。もう少しで根雪になる雪が降りそうな気がしてならない。
そういえば女学校時代、水銀を入手し、水銀温度計と水銀柱気圧計を作成した。ガラス細工はヘレンがお手の物で、あっという間につくってくれた。作成はしたが、きちんと目盛りをつけることが結局できなかった。
普通、水が凍る温度が摂氏0度、沸騰する温度が摂氏100度だから、それで温度は決定できそうなものである。しかし厳密には水が凍る温度も沸騰する温度も気圧により変化する。では水銀柱を用いて気圧を測定すればいいかと言うと、水銀そのものが温度により体積変化する。つまり温度を決めるには気圧が影響する、気圧を測定するには温度による更正が必要になる。しかたがないのでとりあえずの目盛りを温度計につけ、仮の温度をもとに測定を続けていた。原則として毎日観測は続けていたのだが、寮外に宿泊することも多く、欠測も多い。だから結局のところ標準状態をきめることができないまま卒業の日を迎えてしまった。無駄に正確さを求めてしまった。
ただ、たとえば寒冷前線が通過すれば風向きが変わり、気温が低下する。
低気圧が近づけば気圧が下がる。
だから不完全な温度計、気圧計でも天候変化の傾向はつかめるはずだ。
どうして最初からそれを考えなかったのか悔やまれてならない。
とにかく次の定期連絡で、水銀柱と水銀温度計を女学校からヘルムスラントに移動させるよう頼むことにした。
会議室に伝令が飛び込んできた。
「ある老人によると、明後日天気がよくなるそうです。足腰が弱いため手を貸して移動してもらっていますので、本人の到着はもう少し時間がかかります」
ヴェローニカが鋭く反応する。
「ご苦労! 皆の者、明日中に部隊を配置するぞ!」