かつての理系女は秘密兵器を手に入れる
冬が来た。雪がちらつく日が多い。ノルトラント南部の国境地帯はそれでも冬の訪れが遅く、このあたりはうっすらと景色が白くなったり茶色にもどったりの日々だ。王都ではもう積雪が始まっているだろう。
気温の低下とともに、敵軍の活動も低下している。何と言っても魔物が動かなくなってきているのだろう。ある意味国境線は、春から秋は木々と魔物が、冬は低温と雪が守っていると言える。ただ、戦前の分析ではヴァルトラントは冬を越すための食料確保を目的として開戦していると考えられたから、敵に残された時間はもうほんの僅かである。そうであれば本格的な積雪がある前に、敵は大型の作戦行動に出る可能性が高いとアンやヴェローニカは考えていた。
それだけにパトロール部隊を頻繁に出さねばならず、戦闘が少ない割に部隊は疲弊しつつあった。
作戦室でヴェローニカは不機嫌だった。アンの最近の行動は、最近治療室、調理室などをせわしなく回って仕事し、時折作戦室に顔を出すようにしていた。そうしないとヴェローニカと顔を合わすのが夕刻の葬儀だけになってしまうからである。ただ雪がちらつくようになってからヴェローニカの不機嫌な様子を目撃することが多くなっていた。
「アン様のご活動はいかがですか」
不機嫌さを紛らわすように、ヴェローニカは問いかけてきた。
「治療室は在室者が減ってきています。そのほか物資の補給は順調です」
言ってからしまったと思った。物資の補給は順調だが、人員のほうは芳しくないのは知っていたからである。そしてヴェローニカの不機嫌の原因はそれなのだ。
「まったく中央の連中は何を考えているんだ」
「はい、こまったものです」
アンの気持ちはヴェローニカと同じく、政争にエネルギーを注ぎ、再三の要請にも関わらず兵をよこさない中央貴族たちのあり方に大いに不満であった。しかし一応聖女の立場としてはあまり露骨に不満を表すと、いろいろと問題になりかねない。だから具体的な事を口にするわけにはいかなかった。
「フィリップ殿からは何か連絡はありますか」
「マルスがフィリップに合流したので、フィリップには余裕が出てきたようです。それで集めた情報では、相変わらず第一王子派の動きが鈍いようです。あと、フィリップは産業の行く末を心配しています」
「どういうことですか」
「南の国境が閉鎖されているので、我が国の貿易は海路に頼らざるを得ません。しかし一部の港が凍結を始めているそうです。冬の間工業製品の輸出ができないので、商工業に打撃が出そうです」
「フィリップ殿の対策は」
「第一に軍事物資への生産の切り替えの奨励、切り替えにくい業態の場合は政府による買い支え、無利子での融資などです」
「私は経済のことは全くわかりませんが、長期的には重要なことはわかります。民が飢えては戦争などしても無意味ですからな」
「ただ、それに関しても貴族の動きは鈍いようです」
「貴族の経済基盤は領地の農業だから、ピンとこないのだろう」
「冬場は農民の出稼ぎの季節なんですがね」
「ただ、秘密兵器が間に合いそうです」
「大砲ですか」
「はい、ケネスの火薬による試射に成功したそうです。ただ古の遺物ですから、門数は期待できません」
「生産できないのでしょうか」
「ネリスによると、少なくともこの冬は全く見込めないそうです」
「そうですか」
ヴェローニカはがっかりしている。
「ですが迫撃砲がありますから」
「迫撃砲の生産で、職人たちは救えませんか」
「その方向でフィリップは考えているようです」
数日後アンが調理室で作業中、一人の騎士が調理室に飛び込んできた。
「アン様、大至急倉庫へお越しください」
「どうしましたか」
「例のものが来ました」
「すぐに参ります」
待望の大砲だった。中央からの通常の補給隊でなく、そのためだけに1隊編成されてきた。残念ながら来たのは5門だけだった。状態が良く使えそうなのはこの5門だけだったらしい。一応弾も30発ほどきた。どれも鉄の弾である。
ヘレンはアンと一緒に作業していたので、一緒に倉庫に着いた。すでにヴェローニカが大砲の組み立てを見ている。すぐにフローラ、ネリス、ケネスもやってきた。
アンとしては雪が心配である。
「ヴェローニカ様、雪が本格的に積もる前にグリースバッハに送るべきです。弾薬はともかく、砲身は重いので移動が大変になります」
「それはわかりますが、ノイエフォルトはいいのですか」
「大砲は弾が比較的低いところを飛びますから、平原のグリースバッハに向きます。もうすぐ完成する迫撃砲は弾道が高いですから、ノイエフォルトで森に打ち込むのに適しています」
「なるほど」
ヘレンが口を挟んできた。
「送る前に、口径とか砲の長さとか、全ての砲、全ての弾で測定しておいたほうがいいと思います」
ヴェローニカは聞き返す。
「なぜだ」
「ばらつきを知りたいのです。口径が大きすぎると火薬の力が有効にはたらきません。口径が小さすぎると砲の寿命が短くなります。作った先人が、どれくらいのばらつきを許容していたのか、それがわからないと、弾を複製しても、大砲が有効に使えないかもしれません」
「なるほど、その測定は諸君でないと難しいだろうな」
「その通りです。私達の今日の作業はそれを最優先すべきです。そうよね、聖女様」
「私もそう思います」
「わかった。では5門ともグリースバッハに送るのだな」
するとネリスが発言した。
「1門と弾を少し、こちらに残してください。それをもとに複製を目指します」
「なるほど、ではアン様、お願いします」
というわけで、アン達は5人がかりで大砲とその弾の測定に入った。アンも巻き尺やら定規を手に大砲の方へ向かうとフローラに止められた。
「聖女様、あんたは記録係」
「なんでよ」
「言わせるの?」
そうだった。大学1年の学生実験で、アンはマイクロメータによる測定すらまともにできなかったのだ。そのときの実験の相棒は優花、つまり眼の前のフローラである。事情を良く知るヘレンやケネスはゲラゲラ笑い出した。そのころはまだ知り合っていなかったネリスは細かいことがわからず目を白黒させている。
「なんじゃなんじゃ、お主等笑っている場合か? アン、教えてくれぬか」
アンは何も言う気がせず、とりあえずネリスを睨んでおいた。