かつての理系女は前線に行きたい
泣くだけ泣いたらよく眠れ、翌朝はすっきりと目をさますことができた。
今朝もネリスがアンのベッドにもぐりこんでいたので、
「昨日はありがと」
と言ったら、
「なんのことじゃ?」
と言われた。起きてくる他のみんなもさっぱりとした顔をしている。
戦争が始まってもう1週間ほど経つ。事前準備が功を奏したのか、グリースバッハの突破口から敵はあまり出て来れていない。また、森に囲まれたノイエフォルトも苦戦はしているがまだ落ちていない。要は膠着状態である。
朝食時に、アンはヴェローニカに思い切って言ってみた。
「そろそろ、敵の遊撃戦が心配なのですが」
それに答えるヴェローニカはめずらしく機嫌が悪かった。
「わかっている。わかっているが兵力が足りん。補給部隊に護衛をつけるだけで精一杯だ」
「計画ではもう少し余裕があったかと思うのですが。損害は予想を下回っていますよね」
「うむ、損害は抑えられている。しかし物資の消耗が激しい。それよりも、王都から送られてくるはずの兵力が足らんのだ」
「騎士団からもですか」
「いや、騎士団からは予定通りだ。問題は貴族達だ。戦線が膠着しているのが、かえって良くない」
「どういうことですか」
「状況が有利なら、功を稼ぎに出てくる。不利なら国が危ういので本気で出てくる。ま、逃げるやつもいるだろうがな。ところが今の状況だと、無理に兵を差し向けなくてもなんとかなっているじゃないか、ということになるんだろうな」
「それでは私たちの努力の意味がないではないですか」
「所詮後方の連中にはわからんのだよ。ま、私も最前線の戦士達からは同じように悪口を言われているはずだ」
「そんな」
「それも仕事のうちだよ、それにな」
「はい」
「今までは黙っていたが、やはり政争も関係しているかもしれん、フィリップ殿はなんか言っていないか」
「今のところ、とくには」
「そうか、ま、とにかく国の存亡がかかっている時、権力争いなどとんでもないな」
「そうですね」
アンから見てヴェローニカは、溜まっていた不平が口にできたせいかいつもの溌剌さをとりもどしたようだ。そこでアンは一つお願いをしてみる。
「ヴェローニカ様、ひとつお願いがあるのですが」
「なんだ」
「前線を視察したいのですが」
「何故でしょうか」
口調を改めたところからすると、ヴェローニカは反対のようだ。
「実際に私の目で、前線で何が足りないのか見極めたいのです。たとえばヘレンが作っているお菓子も、本当に必要なのかどうかわからず、勝手に送っているだけですから」
「あれは好評なようですが」
「遠慮があるのかもしれません。また、実際に前に出ないとわからない不平、不満もあると思うのです」
「ならば私が行けば良いかと」
「いえ、ヴェローニカ様はこちらの指揮があります。それに騎士団長には言えないことも、私のような小娘相手なら言えることもあるかもしれないですから」
「とにかく私は反対です。これから敵の遊撃部隊の活動も危惧されます」
「それでは、補給部隊に私が同行するのはどうでしょう。そうであれば私のために兵力を割かなくても済みますし」
「とにかく私は心配です。どうしてもとおっしゃるのならば、私自身が護衛につきます」
「それはいけないでしょう。私はみなさんに負担をかけたくありません」
どうにも議論は平行線だ。アンは一旦は前線の視察の希望 をひっこめた。
フィリップの魔法を使った伝書鳩は毎日来ていた。ステファンはあいかわらず軟禁下であるが、元気らしい。戦線に近づいたアンを心配しているらしい。ケネスも合流し、鍛冶の修行そっちのけで作戦室に詰めているとのことだ。作戦室でも一部貴族が兵を出さないことに不満が出ていて、補給計画に支障が発生しつつあるとも言っていた。
アンは毎日の仕事を忙しく行いながらも、何か他にできることは無いか考えていた。そしてどうしても、戦場の近くに行って実際の状況を自分の目で見たかった。見ることで何か思いつくことが無いかと思ってしまうからだ。それに戦場の近くならば、いまよりもより治療が早く始められ、助かる命も増えるのではないかとも思えるのである。
戦線の視察について仲間たちに相談したら、基本的には賛成してくれた。三人ともアンが行くならば一緒に行くとも言ってくれた。ただ、誰の意見もヴェローニカをどう説得するかを問題にした。
アンが仲間に相談した翌日夜、ヘレンが行動した。
「ヴェローニカ様、本日葬儀していただいた10人の方についてですが」
「何だ」
「そのうち4人はグリースバッハ方面からでしたが、そのうち二人は手当が早ければ、というよりグリースバッハで聖女様が治療すれば助かったと思われます」
みるみるうちにヴェローニカの機嫌が悪くなるのがヘレンの横にいるアンにはわかる。
「何が言いたい」
「はい、ヴェローニカ様がご反対なのは承知しておりますが、聖女様を一度グリースバッハにご派遣いただけないでしょうか」
「……」
ヴェローニカの沈黙は長かった。長い沈黙の中、ヴェローニカは四人の顔を舐めるように見回す。自然四人は気をつけの姿勢になり、アンは上官に逆らい意見する部下の気持ちがわかるような気がした。
長い長い沈黙の後、やっとヴェローニカは発言した。
「わかった、ただし明後日にしてくれ。私も同行する」




