存在しえない・振 隠蔽された1日
「楽しまずして何の人生ぞや」
ある小説家が紡いだ言葉だ。ああ、確かに人生は楽しまなければただの無駄になるだろう、と思った。
前提として人生がこの世に生まれて、命を落とすまでの間を指すとする。その間がどれぐらいの長さかは人によって大きく違うだろう。
例えば、だが。
もし人生の長さが選べるのなら?
長さだけでなく、幸福度も選べるのなら?
大抵の人は長く幸福に生きることを選ぶだろう。僕だって長さはどうでもいいかもしれないが幸福では有りたいと思う。
その幸福の第一歩が楽しむことだと僕は思う。楽しいことは正の感情だ。だから幸福にもつながる。
なんか脳筋みたいな発想で終わろうとしたが、まあつまりは楽しいに越したことは無い。それが言いたかっただけだ。
毎度のことながらこれは導入で、今回はなぜ適当な考え方しか出来たなかったのかを語らせてもらう。
「あばーー」
そう、葵さんは仕事だが僕は学生。つまりは家で1人でぐーたらできるのだ!
(葵さんが来て以降つい気を使ってぐーたらできなかったから今日は家を転がりまわるぞ!)
ちなみに床の掃除は終わっているので問題ない。
陰キャの皆さんなら夏休みでこんな経験をした事はあるだろう。
『時間は欲しいけどいざもらうと何もやることねーな……飽きた』
そんなこんなでゴロゴロするのも本を読むのもゲームをするのも飽きてしまった。だからといって引きこもりな僕は外に出たいと思わない。
「……暇すぎて人間の形保ててるかどうかすら怪しくなってきた」
暇で頭も溶けたのか変なことを口走る。何いってんだ僕。
ちなみに今やっているのは『語り部口調で現状の説明をする遊び(脳内)』だ。中学生ぐらいの痛々しい少年少女がよくやるやつだ。
「……なんだかんだ葵さんが来てから暇と感じることは減ったんだよな」
いや単にずっと気を使ってるだけな気もするけど……とか思ったがそんなに気も使ってないな。
葵さんがここに来て3ヶ月ほど。最近3ヶ月も経ってしまった事ばかりを考えている。
時の流れが早い。時の流れが早く感じる理由にはいくつかある。
例えば同じ日々を過ごしているという理由。同じ日々……つまりは同じもの、同じ景色を見ているからわざわざ脳が記憶に残そうとしない。だから記憶がカットされ短く感じる。
まぁ葵さんが来てからは慣れないことばかりだったからこれはないな。
次に正の感情を感じていた時。「楽しい時間はあっという間」といった内容の言葉は多いが、つまりはそういうことだ。正の感情にはドーパミンを増加させるものが多い。それにより時間の流れが早く感じるようになる。
葵さんとの生活は嫌なこともあったが基本的に楽しかったのだろう。あまり楽しんでいる自覚がないので確証は持てないが。
「……あ、もうこんな時間か」
気がつくと既に15時。昼ごはんも食べてないし、昼ごはんを食べたあとは家事を色々と済ますか。
「ただいまソウスケ君。今日はどんな1日だったんだい?……え、内緒?しょうがないな、気になりはするが私も大人だ。我慢するとしよう。
その代わり今度私と遊ばないか?どうせ暇なのに一歩も外には出てないんだろう?……そんな顔するな、別に日差しも強くて暑い外で何かをするわけじゃない。ちゃんと室内だ」