第8話 知らない方が幸せなこともあるが、すでに喧嘩を売った後だ。
「師匠に有効打が一発も当てられませんでした……」
ラスター・レポートの屋敷にて。
ランジェアはリビングのテーブルにぐったりと沈んでいた。
そんなランジェアに紅茶とお菓子をティアリスが用意している。
「……もしかして、素のスペックで?」
「そう、全身が質の高い魔力で安定しすぎですね。あんなの無理。師匠は骨をゴーレム化させていて、それを稼働すれば倍どころじゃない戦闘力になりますが、かけらも使ってません」
はー……とため息をつくランジェアだが、別に不満を抱えているわけではないようだ。
「そこまでの強さになっているとは、フフッ、凄い人ね」
「とてもすごい経験を積んで……というより、避難民が押し寄せてくる王都のシステムをさばききっていたのですから、経験値がすさまじいのは理解できますけど」
「良い事よ。私たちがずっと頼れると思っていた背中は、今もずっと大きいまま」
「そうですね。旅の途中、何度も困難はありましたが、いざとなれば泣きつきに行けばいいと思えば、一度、敵にぶつかってみる気にもなります」
「それで実際に突破してしまうのも脳筋過ぎるけどね」
「それはそれでいいんですよ」
魔王が男性支配の力を持っていたがゆえに、実力のある男性はいずれも身を引く必要があった。
もちろん、直接見たり、声を聴いたりしなければ影響はないのだが、だからと言って油断できるわけではない。
だからこそ、どうしても裏に、後方にホーラスはいた。
そして……頼れる人が後ろにいるというのは、旅を進める中で、とても大切なことだ。
「そういえば、イーモデード伯爵家? の長男が絡んできましたね」
「イーモデード……ああ、何かで見たと思ったら、債務者リストにいたような。金貨2千枚だったはず」
「えっ?」
ティアリスの説明にランジェアは耳を疑った。
なお、金銀銅の硬貨は全てがモンスターから出てくるものだが、エネルギーとして魔道具に使う場合、銀貨は銅貨の100倍。金貨は銀貨の10倍となる。
このエネルギーとしての価値はそのまま貨幣としての価値につながる。
そのため、世界共通で、1金貨=10銀貨=1000銅貨となっている。
食料がある程度豊かな国ならば、シンプルなパンなら銅貨1枚。一食分なら銅貨5枚で満足する量が食べられる。
ディアマンテ王国の場合、大体銀貨5枚あれば一か月の生活費になる。まあ、税金でいろいろ引かれるのでそれプラスで稼いではいるだろう。
経済規模と人口の比率的にも、カオストン竜石国においてもそこはあまり変わらない。
「金貨2千枚って、どういう金額?」
「イーモデード伯爵家の年間予算の10倍くらい」
「ああ、そう……」
「とはいっても、あの辺りは産業が乏しいから、予算はほぼ全部使い込んでて、長男が聖剣を使えるから伯爵家に格上げされたって聞いてる」
「そういうことですか」
要するに、活躍しなければならないのだ。
モンスターを討伐することで金が手に入る。これがこの世界の鉄則。
魔道具の魔力使用効率を高めたり、そもそも魔道具に頼らない事業で領地を豊かにするなど、やり方は様々だが、すでに魔道具開発の基礎部分が広く知れ渡っているので、どうしても世の為政者や経営者はこれに頼る。
近くにモンスターを多く抱えるダンジョンがない領地というのは、産業が乏しい。というより商人が寄り付かないのだ。
技術を開発して秘匿したり、まだ全貌が明らかになっていない未踏の地から植物の種でも持ち帰って栽培したりと、『独自性』を確保する方法もまた様々だが、それをするのにも金はいる。
聖剣という、多くのものにとって貴重で希少な剣を手にしたことは確かに評価できる点であるが、別に聖剣があっても小麦は育てられないので、結局重要なのはモンスター討伐だ。
「何故、この国に?」
イーモデード伯爵家はディアマンテ王国の貴族だ。
聖剣があるのだから、近くのダンジョンやモンスターが生態系を作っているエリアに行って稼ぐのならともかく、何故竜石国に来ているのだろう。
「私たちがこの国に身を置く話は少しずつ広まってるし、そうなると、私たちが住む場所は宝都ラピスになる。まあ、難癖をつけたいなら、この宝都に来るのもわかるけど……」
「暇なのでしょうか」
「暇でしょうね」
魔王がいようがいなかろうが、結局、モンスターを討伐することで人が貨幣を得ている以上、武力は必要である。
ただ、モンスターを倒しに行かなければ何も手に入らない。
それをせずに難癖を付けに来ている以上、暇なのだろう。
あるいは、すでにダンジョンやモンスターが住むエリアで大きな失敗をしている可能性もある。
「一つわからないのは……これから多くの『特例』がなくなり、債務はしっかり返済しなければならなくなったのですから、王族が貴族に対する予算を減らしたいと思うはず。なんであんなに余裕なのか……」
「家の借金を知らないのでしょう」
「そんなことがあるのでしょうか」
「よくある話ですよ。よくある。ね」
意味深長な……というか、どこか懐かしさすら抱いているような笑みを浮かべるティアリス。
その笑みに対して、ランジェアは追及はしなかった。
★
「このバカ息子が! いったい何を考えている!」
竜石国に存在する高級宿屋。
そこでは、グオドルが父親であるガードール・イーモデードに怒鳴られていた。
「何をと言われても、以前、父上もおっしゃっていたでしょう。アイツらが平民なのに魔王を討伐したと嘘を広めていて困っていると」
「だからと言って直接難癖をつけるバカがあるか! 我がイーモデード伯爵家はラスター・レポートに金貨2万枚の借金をしているんだぞ!」
「なっ、金貨2万枚!?」
ティアリスは2千枚と言っていたが、実際は桁が一つ多いらしい。
要するに、伯爵家の年間予算の100倍の借金をしていたということだ。
……端的に感想を言えば、非常事態という建前ってすごい。と言ったところだろう。
「魔王が討伐され、借金は返さなければならない。既に金貨10万枚以上の援助金を受け取ったうえでこの借金だぞ」
「な、なら、アイツらに魔王を討伐していないと認めさせればいい! これで、また世界は有事の際になって、特例で借金を……」
「勇者が魔王を討伐したと認めているのは世界会議だぞ! 世界を相手にそれを言えるのか!」
「そ、そんな……」
顔が青くなるグオドル。
「マズイ。これはまずいぞ。金利を下げてもらう交渉をするはずが、これで絶対に下げられん……」
「せ、聖剣を持つ伯爵家だぞ。王家だって金を出してくれる!」
「バカを言うな! 王族から伯爵家への年間予算は金貨200枚。金利が一年で1%だったとしても、その金利分しか払えないんだぞ! お前はわかってるのか!?」
「……」
何も知らなかったグオドル。
彼も、『これまで王家から金が入ってきていたから贅沢ができていた』という認識くらいはあるだろう。
だが、年間で金貨200枚の『貴族予算』と呼ぶそれを使わなければ、領地の運用ができないのがイーモデード伯爵家だ。
そして、その予算をすべて使っても金利の返済しかできない。
答えは単純。【破綻】だ。
「そ、そんな大金。何に使って……」
「ほとんどは聖剣の利用代金だ」
「なんでそんな……」
「シーナチカ教会もまた、ラスター・レポートに多額の借金を抱えており、それを返済する必要があるから、いろいろな国から搾り取っているのだよ」
「嘘だろ……」
顔が真っ青のグオドル。
「もはや、『ラスター・レポートから供給される金貨で世界が維持されていた』といっても過言ではない。そして、その『勇者コミュニティのトップ』に難癖をつけたのだ」
ガードールの言葉がスルっとグオドルの頭に入ってきた。
「うっ、うあああああああああああああっ!」
グオドルはそのまま部屋を飛び出していった。
「お、おい! どこに行く! 待たんか!」
グオドルは部屋を飛び出す直前、聖剣の柄を握りしめていた。
ガードールが必死になるのも当然である。