第51話【閑話】10年前 後編
暗くない。
冷たくない。
硬くない。
そんなことすらも久しぶりになるような、少女の目覚め。
彼女を待っていたのは、温かいご飯だ。
そのご飯に手を伸ばし……自分の腕を見て、自分の顔に触れて、あちこち触って……『傷』が何もないという状態に混乱したのは、言うまでもないこと。
そして……体の内側や心はともかく、『外傷』程度ならば、Sランク冒険者にとって治すのも容易であることは事実。
そんな少女の混乱をどうにかするところから始まった朝。
……近くで、少女の師匠の相棒が呆れた表情をしていたのは、無理もない。
★
子供は傷が治るのが早い。というだけではないだろう。
本人の生きようとする意志、強くなろうとする意志、そして、そんな少女を支える師匠の看病が、少女の体を癒していった。
一か月が経つ頃には、将来は美人になると確信させるような、『美幼女』とでも呼ぶべきものになっていた。
「さて、ランジェア。まずは、魔力を動かせるようにする必要がある」
「魔力……私、できたことない」
「大丈夫だ。コツもある」
「どんなの?」
「そうだな……魔力っていうのは、『安定』を求めてるんだ。何にでも『なる』んじゃなくて、何にでも『なってくれる』のが魔力なんだよ」
「何にでもなってくれる」
「そうだ。だから、『こうなってほしい』っていう、強いイメージ……いや、『確信』かな? これが必要になるんだよ。それをもとに訓練してみよう」
「うん!」
……十分後。
「むうううう! むううううっ!」
小さい手でかざして、必死になっているランジェア。
その手の先では、『なんかモヤモヤしたもの』が形作ろうとしており、どこか『水っぽさ』はあるが……そもそもまだ七歳の少女だ。
頭の中にある科学力は大したものではないし、水というものがどういうものなのかがよくわからない。
そして、『それを生み出す』ということがどういうことなのかも、よくわかっていない。
故に、手でモヤモヤしているだけで、手の先で水にはならない。
「……休憩した方がいいんじゃないか?」
「いや、なんかもうちょっとでできるような、イメージ次第な気がするんだよ」
「魔法って原則的に全部イメージ次第だろ」
「横からうるせえな」
「むうううう! むううううっ!」
ランジェアは頑張っているが、やはり七歳のイメージでは足らない。
「こう、えーと、なんていうかその……」
「むううううっ!」
「そう、アレだ! う○こ気張るような感じで!」
「んっ!」
次の瞬間、ランジェアの下半身がキュッと動いて、手のひらの前で水がザパッと生成。
そのまま水は落下し、たらいの中で広がった。
「できた!」
ランジェアは満面の笑みを浮かべているが……。
「うーん。困ったな」
「魔法を使うたびに大のほうを想像するのはマズイからな」
「反省はしてる」
「次から改善しろよ」
アイヴァンはあきれ果てた溜息をついた。
まあ、こんなコントにもならないものを見せられても、コメントに困るというもの。
……その日の夜のことだ。
「……そういや、アイヴァン、最近遠出の準備してるけど、どうした? どこか遠征に?」
「……お前がランジェアを鍛え始めたあたりから考えていたことだが、コンビを解消しようと思っている」
「え?」
ホーラスが呆けているのを見て、アイヴァンは『珍しい表情だ』と思いつつ……。
「俺は俺で憧れている男がいる。お前とは違うものだ。確かに俺とお前の得意分野はかみ合っていたし、コンビを組むのなら、俺はお前が一番いいと思っている。だが……お前は、『師』となった。それは俺とは合わん」
「アイヴァン……」
「ランジェアを鍛えるべきだと思うのは事実だ。彼女は世界を変えられる。そんな人間になれる。そして……ランジェアにモノを教えるのはお前だけで十分だ」
「……」
「俺は俺の憧れを追いかける。お前はお前のやりたいことをやる。それを続けるのなら、コンビではいられんし……これは予測だが、お前はいずれ冒険者を辞めるだろう。だが、俺が憧れた男は、生涯冒険者だ」
「……そうだったな」
「ギルドを作ろうと思っている。俺たち以外にも、前線に来る人間は多くなった……まあ、男ばかりで、『読み間違い』で魔王の虜になっている者も多いが、そのせいで、『後ろ』のほうが維持できていない」
「そっか。そうだな。アイヴァンが憧れた冒険者は、そういう『後方』をそのままにはしないか」
「そうだ」
アイヴァンはまっすぐホーラスを見る。
アイヴァンの決意は固いだろう。
そして、『憧れ』を大切にするという考え方は、ホーラスのほうが強い。
「ギルドねぇ……どんな名前にするんだ?」
「まあ何か大きなことはしたいし、『一世風靡』とでも考えておく」
「そっか。いつ出発するんだ?」
「これからだ」
「はやっ……はぁ。お前は昔からそういうやつだよ」
ため息をつくホーラスだが、別に、アイヴァンのそれを反対する様子はない。
「……最後に一つ聞いておこうか。ホーラス、お前は……ランジェアなら、魔王を倒せると思うか?」
「いずれな。大丈夫だろ。倒せる倒せる」
「……ならいい」
アイヴァンは椅子から立ち上がった。
「お前と組んで五年。楽しかった」
「そういやもう五年か。いやー。あの時は驚いたよな。冒険者登録してるやつが同じ日に二人。しかもどっちも十二歳なんてクソガキだ。その二か月後に魔王が現れてわけわかんないことになって……今ではSランクだもんな」
笑っているホーラスだが、アイヴァンも笑顔だ。
「達者でな。ホーラス」
「そっちも頑張れよ。アイヴァン」
別れる時も、みっともなく止めたりはしない。
お互いの言いたいことはわかっているし、別に嫌いになったわけでもない。
ただ、『別れた後でも、お互いの成功を信じられる』という、それだけの事だ。
「……」
アイヴァンの背中が遠くなり、そして見えなくなる。
……いつから聞いていたのか、ランジェアは、そんな二人を見ていた。
★
ホーラスはドラゴンと戦うときに、学問があるからとマウントを取るような人間だ。
要するに、自分がしている研究や戦闘術を、しっかり言語化、理論化させるという行動も行なっている。
ランジェアに基礎的な知識を教えた後で、そういった理論を仕込むことで、ランジェアが『理解』し、応用できるようにするというものだった。
ただ……十分戦闘力がついたあとも、なかなかランジェアは冒険者になろうとはしなかった。
この世界で広く旅をするとなれば、冒険者になるのが一番楽だ。
しかし、ランジェアはなかなか冒険者になろうとはせず……最終的に語った理由は、『ホーラスが十二歳で冒険者になったから』と言われ、ホーラスもそれからは聞くこともなくなった。
冒険者にならないということは遠出しないということでもあり、ホーラス自身も、冒険者であり続ける意味もなくなった。
そして、そのころには世界会議で『特例』が整備され、元冒険者であっても働ける場がたくさんあった。
ホーラスはそれを利用し、アンテナに目をつけてディアマンテ王国に入って、城で勤務することに。
ランジェアにはそれを隠しつつ、城で勤務する間は、彼女には自主練のメニューを用意する方針を取っている。
教えるばかりではホーラスと同じになり、そしてランジェアはホーラスではないのだから、同じ戦い方で強くなるのはどうしても『制約』が出る。
上手くアレンジするためには、自分で考えることも必要なのだ。
時折、どこかから拾ってくるためか、『弟子』や『生徒』も何人か混じりつつ、ランジェアは強くなり……十二歳の誕生日で、冒険者になることを決める。
その結果は、すでに出ている通りだ。
現実の時間から10年前。ホーラスとアイヴァンが想像したのは、ランジェアが魔王を倒した未来。
それは達成された。
それはすごいことで、評価されることで、感謝されることだ。
しかし世界は、それを受け入れることすらできないほどに、とても……安かった。
……そろそろ、時間を、現実へ戻そう。