二、
子供の頃の俺は、曽祖父の代から続く本屋を誇らしく思っていて、大きくなったら自分が継ぐのだと、当たり前のように思い描いていた。
その気持ちに変化が生じたのは、郊外で最初に出来たショッピングモールが原因である。
忘れもしない、小学校六年生の夏休みのことだ。オープン初日から賑わいが続いているらしいと聞いた俺は、未知なる楽しそうな場所への無邪気な好奇心から、友達を誘って自転車で行ってみたのだ。
商店街に生まれ育った子供なんて、だいたいが広い世界を知らずに、自分たちは街育ちだと自負しているものだ。ここより楽しく刺激的な場所が郊外にあるなんて、当時の俺にはピンと来なくて、駅前にあった三階建てデパートぐらいの規模を想像していた。
ところが、橋を渡り国道を越えて行った先で、巨大な建物を目にした時の驚きときたら……少し前まで田んぼや畑しかなかったのにと、友達もみんな驚き興奮していた。
そのショッピングモールは売り場面積が広く、映画館やゲームセンターの入った建物と繋がっていて、飲食店街にはアイスクリームショップやカフェレストランなど、初めて目にするおしゃれな店がいくつもあった。
周辺道路が渋滞するほど車も集まっており、まるで祭りのような人出に気分が高揚し、はしゃぎながら色々な売り場を見て回ったものだ。
そんな中で、フランチャイズで全国展開している大型書店に遭遇した。
明るい売り場に、整然と並べられた本の種類と数に驚き、人気コミックの特集コーナーにはグッズやフィギュアが売られているのを見て心臓がドキドキした。店員が制服に身を包んでマニュアル通りの接客をこなす様子まで眩しく見え、俺はだんだんいたたまれない気持ちになってしまった。
誇りに思っていた親父の店が、急に古臭くみすぼらしいものに感じられ、そのことがひどくショックだった。勝ち負けでいうなら明らかに負けで、どうやったって勝ち目がないように思えたのだ。
帰宅後、お袋にショッピングモールの様子を訊かれたが、大型書店のことは一言も話せなかった。
その日を境に、俺は親父の店を避け始めた。考えないようにしてもモールの書店の様子が思い浮かび、無意識に比較してしまうからだ。親父が大切にしている店を悪くなんか思いたくないのに、劣った部分ばかりがやたら目に付く。
実の子の俺ですらそう感じていたのだから、他人はもっと容赦なく比較したことだろう。古ぼけた本屋から客足が遠のくのは仕方のないことだった。
そして、親父はその頃から、俺に店を継げとは言わなくなった。
「おまえにはおまえの道がある」
中学に入学した日、そう言って親父に手渡された本がある。
それまでも誕生日や何かの節目には必ず本を贈られていたが、いつもと違って素直に読む気になれなかった。友達がゲームや玩具を買ってもらっているのを横目に「俺は本屋の後継ぎだから本でいいんだ」と思ってきた。それなのに、親父の言葉で、その思いを否定されたように感じたからだ。
何よりも、後を継ぐ気があるかどうか確認もしないで突き放されたことがショックだった。
だが、思春期に差しかかっていた俺がその思いを口にすることはなく、一旦そうやって芽生えた親父へのわだかまりは、消そうとしてもなくならず燻り続けた。
俺はその頃から読書から遠ざかり始め、食事中まで本を手放さない親父を見ると、嫌な気持ちになった。
そのうち専業主婦だったお袋がパートに出るようになり、儲からない本屋などやめてしまえばいいのにと親父を情けなく思いはじめた。高校卒業後の進路を考えた時、俺が進学ではなく就職を考えたのも当然だろう。
「大学を出す金ぐらいあるぞ!」
進路希望を提出する際、親父は珍しく強い調子で食い下がってきた。
しつこい説得に根負けし、俺は就職して独り立ちすることを諦めて受験した。
通える距離に適当な大学がなかったため、どうせならと思い切って東京の大学に進み、アルバイトで生活費をやり繰りしながらなんとか四年で卒業した。学費や家賃は仕送りに甘えていたので、良い会社に就職して相応の恩返しをするつもりだった。
親父とは店のことで腹を割って語り合う機会がなく、東京の企業から内定をもらったと報告した時も、短く祝いの言葉をもらっただけである。
それからいくらも経たない頃、自宅を売って店の二階に住むことにしたと聞かされた。
親父が子供の頃は店舗兼住宅だったらしいが、祖父が近くに家を建ててから二階は使われておらず、物置のような状態だった。単純に建物は古いし、住まいにするには色々と不便が多いはずである。
当然ながら猛反対した。慌てて帰省し「家を売ってまでみっともなく本屋を続ける意味がわからない」と責めた。
「こんなことになるなら、大学なんか行かないで就職しておけばよかった」
そう言った次の瞬間、お袋が俺の頬を叩いた。
驚いてお袋の顔を見ると、ぼろぼろ涙を流して怒っていた。
「なんてこと言うの! お父さんに謝りなさい!」
たしかに俺は感情的ではあったが、間違ったことを言ったつもりはない。それまで一人息子の俺に甘かったお袋に殴られたのもショックだったが、なじられる意味がわからなかった。
両親の説得に失敗した俺は、すぐに荷物をまとめて東京に戻るべく新幹線に飛び乗った。
ほどなく実家が売却されたことを、中学時代の同級生から聞かされた。
「地元じゃ、そんなに暮らし向き大変だったのかって同情されてるらしいよ」
彼に悪気はなかったかもしれないが、心配そうな口ぶりといたわるような眼差しに、いたたまれない気持ちになったものだ。
親からは他人行儀な印刷の転居通知が届いただけで、それを見た時、もう俺に帰る場所などないのだと思った。それから故郷へ足を向けることはなく、親父と話すことも二度とないまま死に別れた。
十年前のその出来事を、親父はどう思っていたのだろう。お袋からは時々、体を案じる手紙や米野菜などの荷物が届いたが、俺の方から親父の様子を尋ねたことはない。
あの時、言い訳じみたことを口にすることなく、俺に怒鳴られるがまま黙っていた親父の気持ちは、十年経った今でも理解できないでいる。本心で話し合う機会はもう永遠に無く、自分が悪かったなどと悔やんではいないが、どうしても忸怩たる思いを感じてしまうのだ。