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一、




 親父が死んだという知らせを受け、俺は十年ぶりに故郷の土を踏んだ。

 地方のまちから出ることなく一生を終えた親父は、寂れた商店街で書店を営んでいた。両親は俺が東京で就職した後、自宅を処分して店の二階を住まいにしたはずだが、俺はそこに一度も寝泊まりしたことがない。

 お袋によると、親父は夕食後に店の本棚を整理していて倒れたらしい。

 大きな物音に驚いて行ってみたら、横倒しになった脚立と、沢山の本に埋もれるように横たわる親父を見つけたのだという。

 急性の心不全で、本の下敷きになったわけではないが、伝え聞いたその死に様は無類の読書家だった親父らしいと思った。

 俺が知らせを受けたのは深夜、搬送先の病院で死亡が確認された後のことだ。それから一睡もできずに朝を迎え、始発の新幹線に乗り込んだ。

 落ち着かない気分を紛らわそうと開いたスマートフォンの画面も、目が滑るばかりでいっこうに内容が入って来ない。溜め息を吐いてそれを手放し、車窓を流れていく景色をぼんやり眺めた。

 思春期の頃までの俺は、親父とあの本屋が自慢だった。それが十年ものあいだ盆正月にも帰省せず、死ぬまで会わないような間柄になるなんて……最後に会った時、親父がどんな顔をしていたかすら思い出せない。

 苦い記憶ばかりが浮かび、故郷が近付くにつれ気持ちは重くなる一方だった。


 やがて到着した駅は、ちょうど朝のラッシュを過ぎた頃で、乗降客はまばらだった。

 到着した駅の様子はいくらか変わっていたが、高架の新幹線ホームから見える景色はほとんど変わりない。駅前にいくつかあるビジネスホテル以外は低層の建物ばかりで、盆地をぐるりと囲む山の形には懐かしさを覚えた。

 親父の店がある商店街は駅から少しだけ距離がある。駅前の大通りにはコーヒーチェーン店やコンビニなど見慣れない新しい店舗が多いが、近道をしようと入った裏通りは記憶にある景色とほぼ同じで、庭のない家々、事業所や医院などこじんまりした建物が入り混じり、ごみごみした古臭さが懐かしい。

 市の中心を南北に貫くように川が流れており、高い堤防が築かれているため、駅からの道は橋に向かって上り坂になっている。その橋に向かう通りは昔から人の往来が多く、様々な商売の店が隙間なく軒を連ね、往時はかなり賑わっていたらしい。

 だが、俺はこの商店街が活気に満ちている様子など見たことがない。

 考えごとをしながら裏通りを抜け、商店街の通りに出た。

 見渡せばどの店舗も十年前と変わらない店構えで、相変わらず窮屈そうに肩を寄せ合って踏ん張っているように見える。時計店、菓子店、米穀店、呉服屋、蕎麦屋……そして本屋。

 半分開いたシャッターの奥のガラス戸はきれいに磨かれており、古くても掃除は行き届いているのが窺える。閉まっている方のシャッターに忌中と書かれた黒枠の貼り紙がしてあった。中の様子は薄暗くてよく見えない。

  早く入らなければと思ったが、なぜか足がすくんだようになって動けず、その場に立ち尽くしてしまった。

 親父は俺が店に入ることを許してくれるだろうか――そのことがやけに気になる。

 小さい頃は毎日のように学校帰りに寄るぐらい好きだった場所なのに、最後にこのガラス戸に手をかけたのがいつのことかも思い出せない。

「おう、どうした?」

 不意に肩を叩かれ、文字通り飛び上がって驚いた。

 ふり返ると見覚えのある丸顔の小父さんが、怪訝そうに俺を見上げていた。

「佐藤さん」

 同じ商店街にある写真館の主人だ。親父とは昔から親しく、幼馴染だと聞いたことがある。

「御無沙汰してます」

 頭を下げると、佐藤さんは感慨深そうな表情で、うんうんと頷いた。

「すっかり大人の男になったな。アイツも息子は心配ない大丈夫だって言ってたけど、しっかり育てた自信があったんだなあ」

「……親父がそんなことを?」

 俺のことなど、とっくに見放したとばかり思っていた。

「まあ、とにかく入ってアイツの顔見てやってよ」

 佐藤さんはガラス戸に手をかけた。

「みんなも後で来るから」

 商店街の仲間が集まって葬儀を手伝ってくれるらしい。そういう方面に疎い俺としては大助かりだ。

「てっちゃん、急な喪主で大変だろうし、細かいことは俺らが引き受けるから心配ないよ」

 哲史という俺の名前を覚えてくれていたのかと思うと面映ゆかったが、親しみのこもった物言いに少なからず安堵したのは確かだ。

 気分がいくらか軽くなり、戸の内側に足を踏み入れる。

 ふっ、と懐かしい匂いが鼻腔に入って来た。入口近くには雑誌の棚、その向こうに絵本や児童書のコーナーがあり、平台付きの低い本棚にはコミックや文庫本が、壁際の大きな本棚には単行本がびっしり並んでいる。奥の方には参考書や学術書の棚もあった。

 古いだけで何の変哲もない、ありふれた個人経営の書店風景である。

 親父の店、という感傷かもしれないが、俺はその風景に、胸が詰まるようなノスタルジーを感じた。


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