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第十五話:剣劇2

「ユーリ・フォン・アギニスを推薦したのはアンタじゃないか!」


 オレたちは不毛な言い合いを続けていた。


『そうだ。そして彼の者を説き伏せるのが汝の役目である』


 そのように断言されてしまえば仕方がない。

一条と二見を救う。その目的を達成するまではコイツとの関係性を継続させなければならない。

 ベルサリウスの説得を諦めたオレは、なるべく人気がある方へと歩を進める。すると「ほどなく」教官の掛け声が聞こえてくる。さらに進めば、その声に合わせて剣を振るう生徒たちの姿も見えてきた。

 燦然と輝く太陽の下、一糸乱さぬ規則正しさで剣を上げ下げする少年少女たち。その群れは無邪気に溢れ溌溂とし、純粋無垢な振る舞いをオレの視界一杯に曝け出す。

喉元まで競りあがってきた吐き気を飲み込むのに苦労した。


『壁際にいる銀髪の生徒がそれだ』


 ベルサリウスが示した方を見ると、そこには確かに他の生徒と距離を置き、孤独に素振りを行う少年がいた。彼がユーリ・フォン・アギニスであるらしい。

 ベルサリウスからは剣の天稟があると聞いていた。だが実際の姿は至って凡庸で、ひたすら淡々と剣を振るう素振りからは才能の欠片も感じられない。仕掛け通りに動くゼンマイ人形と変わりなかった。


「天才剣士殿は訓練の内容がお気に召さないようだ」


 断じて先程の意趣返しではないが、暗にオレはユーリに対する否定的な意見を口にしていた。そしてすぐに後悔することになる。

 

良心の呵責のせいではなく、オレの不用意な発言がベルサリウスを突飛な行動に突き動かすことになったからである。


『試してみよう』


 魔王がそう言うと、上空を通過していた鳥の群れを外れた一羽が突如進路を変え、凄まじい勢いで滑空を開始した。


「なっ!?」


 あまりのタイミングが良さに動揺を隠しきれない。ベルサリウスが従属化させた眷属がユーリを襲おうとしているのだ。オレは自分の目を疑った。オレの破滅は、すなわちヤツの終わりだ。にも関わらず、この場で賭博的な行為に手を染めた魔王の理性を疑ったのだ。

 だが、その衝撃すらも次に起きたことと比べれば些細な出来事に過ぎなかった。

 彼はおもむろに背後を振り返ると、訓練用の模造剣を左手に持ち換え、空いた手で流れるような手刀を目前の小鳥へと叩きつけた。


 まさしく超人的な反応速度だった。


 ユーリが気付いた時には――そもそもどうやって気付いたのかも理解できなかったが—―脅威は目と鼻の先まで迫っていたはずだ。それなのに、どうすればそこから対象を無力化できる最善手を導き出し、あまつさえ実行できるというのだ?

 

傍観者にしか過ぎないオレですら動揺しているというのに、当の本人は表情一つ崩していないのが憎たらしい。面の皮の厚さを称賛すべきであろうか?

思い悩むオレにベルサリウスが宣う。


『我の言った通りであろう?』


 極大の原石を見出した魔王は満面の笑みを浮かべる。オレの気を知りもしないで。


(あんな怪物を飼いならせる筈がないではないか!)


 けれど魔王は弱音を許さない。猫が追い詰めた鼠を弄ぶように奴は告げる。


『早くあの鳥を回収した方が良い。あれは我が関与した証拠になり得る』

「なっ…!」


(便利屋扱いしてるのは一体どっちだ!)


 オレは胸中で毒づきながらユーリ・フォン・アギニスの元へと駆け寄った。

 生徒の安全を気遣う善良な教師――この際、善良に見えなくとも良い――を装い、とにかく相手に違和感を与えずにこの場を去ることに徹した。


「怪我はないか?」


しかしユーリは何の反応も示さない。虚ろな目は未だ足元に横たわる小鳥に注がれたままだ。沈黙に居心地の悪さを覚えたオレは、不安な気持ちを押さえつけ無理に大袈裟な身振りでユーリへの心配を示した。


「大丈夫か? 聞いているのか、なあ? おい!!」


周囲の生徒たちがこちらを注目し始める。異様な雰囲気を察した教官までもが訝しげな視線を投げかける。

オレは首を振って何でもないことを伝えると、訓練を中断させてしまった無礼を詫びた。

このように相手からのアクションがあれば苦労せずに方針を定めることができる。相手が何を求めているか察知する能力がオレに備わっているからだ。卑屈な心根が培ってきた悲しき生存本能ではある。しかし予め目的地が分かっていれば、後は相手が望むような反応を用意してやれば事足りる。人間関係においては、後の先の方が圧倒的に楽なことは間違いない。

故に、現在のオレは劣勢にあると言える。

目前に佇む少年は遥かにこちらを凌駕した戦闘力を有している。かてて加えて、能面のような表情は一切の感情を排しているのだ。


(コイツは一体何を求めているのだ?)


たとえ手掛かりが皆無とはいえ、自ら進んで手札を切らねばならないのが、弱者が弱者たる所以である。ユーリの関心が足元の下等生命体にあるというのなら、将を射るためにまずは鳥を射るとしよう。

天翔ける騎士が翼を失い、落下の衝撃から立ち直れずにいる内に一切の呵責なく打ち倒せれば僥倖だ。

方針を固めたオレは、地面に力なく横たわる小動物へと手を伸ばした。すると驚くなかれ、そこには確かな鼓動があったのだ!


(あの状況で手加減していたというのか!?)


絶技としか呼べない事実に舌を巻く。掬い上げた両手の重みが否が応にも増していく感覚がある。全く予想外の出来事だった。

オレが握っているのは生命の尊さであり、同時にユーリの慈悲深さでもあった。


「……無事ですか?」


頭上から降ってきた声は思いのほか柔らかいものだった。


「息はある。だがこのままでは危険だ。早く医者に診せる必要がある」


そう言って立ち上がると、一刻も早くオレはこの場から離れようとした。


「……あの」


しかし背後の声に振り返らざるを得ない。この場の絶対者はユーリだ。先ほどの絶技を思えば当然の帰結である。けれども彼の唇は歪んでいた。その隙間から辛うじて言葉が漏れてくる。


「…………後で、様子を」


ようやく紡ぎ出された言葉は、真昼の陽光に蒸発してしまいそうなほど儚かった。けれども自意識の檻に閉じ込められているオレに伝わるにはそれで十分だった。


「教員棟の一番端がワタシの部屋だ。そこを訪ねてくれれば良い」


ユーリにそう告げると、今度こそオレは踵を返してその場を後にした。



完全に訓練場が見えなくなった所でオレはようやく立ち止まる。ほどなく汗が全身から噴き出した。


『どうした? 息が荒いぞ?』


他人事のようなベルサリウスの物言いがさらに神経を逆撫でる。

この場はオレたち二人だけだ。もう我慢の必要はない。


「誰のせいでこうなったと思っている!? こっちは寿命の縮まる思いだったんだぞ!!」


それでも魔王は動じない。


『だが結果として縁は結ばれた。我の思惑どおりにな。ならば上々ではないか』

「何が上々なものか! 衆人環視の中であの醜態だ。怪しまれなかったのが不思議でしょうがない!!」


ヒステリックに喚き散らすオレを諭すように魔王は言う。


『汝は人の目を気にし過ぎている。我からすれば、汝の振る舞いに落ち度などなかった』

「だとしても――」


オレはそれ以上言葉を続けることができなかった。

ベルサリウスの言う通りだ。きっとオレが他人の目を意識し過ぎているだけなのだ。

思い当たる節はある。それなのにどうしても認める気になれなかった。


オレがまだ幼かった時分のことだ。

取り立てて人目を惹く才能がなかったオレにさえ、周囲の大人たちは期待を寄せてきた。思いやりに満ちた言葉で彼らの身勝手な願望を並べ立てたものだ。

愚鈍でも利発でもなかったオレは、その一々に全力で頷いていたように思う。まさか大人たちが――欺瞞を悪だと教えているあの大人たちが――いたいけな子供に嘘を吐くとは想像もしなかったのだ。

だからといって、オレが無垢であったと言い訳するつもりは毛頭ない。きっとあの時のオレは、他者の善性を信じることで、彼らの要望に応える自分を善だと思い込みたかったのだろう。

昔から確固とした自分を持たなかったオレは、自分を信じるきっかけを求めていた。

だがそんなものが容易に見つかるはずもなく、ただ自意識のみが徒に肥大化していった。

それは癌細胞のように内部から着実にオレ自身を傷つけていった。病が引き換えにオレに与えたのは異常なまでに鋭敏な感覚だけだった。

オレの皮膚はいち早く他人の視線を察知することができる。オレの目は瞬時に他人の願望を読み取ることができた。

だがこの才能は良い方向にオレを導かない。

望まれた役割をこなし、無害な存在と認定されることで生き延びようとする卑屈な生存本能を形作ったのだ。

当時のオレは幼く、そして何より愚かだった。

だから見落としたのも当然だ。大人が子供に向ける視線とは、穢れなき存在に対する憎悪の裏返しでしかなかったという致命的な事実を。


今ではそれが分かる。いつだってオレの半分は他者によって所有されていたのだ。


オレを決定付けるのは、どこまでいっても他人の視線だった。

人間存在とは「どう在るか」と「どう見られるか」の混合物である。

しかしそれは自身の心身が一致している者の言い分だ。

実際の自己とはそのように単純なものではない。内外の視線によって常に緊張を強いられる。

「どう在るか」ではない。「どう在りたいか」が問題なのである。それなのに我々は容易に道を踏み外す。

「どう在りたいか」ではなく「どう見られたいか」と考えてしまうのだから。

「見せる」というのが能動的な姿勢であるのに対し、「見られる」ことは自身の干渉し得ない受動的な現象である。

両者は対等な力を有し、綱引きのごとくオレの価値を左右する。

自分だけが知る半身と、他者の視線に晒された半身は、多くの場合相容れずに互いの存在を賭け競合する運命にある。

我々は常に己が思い描く自己像と鏡に映る虚像との違いに心煩わされることになる。


だけど違う!           違うんだ!!!!


他人はいつだって無責任にオレを決めつけてきた! 

あまりにも容易に、奴らはオレという存在を引き千切っていった!

当の本人は、こんなにも自分自身を理解するため苦しんでいるというのに!!


心の底から不思議に思う。

人は、己の想像力の範疇に他人を収めたいと望む。だからこそ、飴と鞭を用いて他人の調教を試みる。

洗脳、スポイル、人たらし。いずれの呼び名でも構わないが、未熟な子供は周囲に迎合することで己の生存領域を切り開いていくしかないのだ。

それを社会性と呼んでも良いが、オレの考えは異なる。

欺瞞とは人類最古の、そして人類最大の罪科である。

神を欺こうとしたイヴとアダムは楽園から追放された。では原罪の在り処を何処に求めればよい?

狡猾な蛇の存在に? それとも彼ら自身の欲望?


そのどちらでもない。

彼らを破滅に導いたのは言葉であった。

嘘は言葉より生まれる。言葉が神だというのなら、おそらく―――。


「間違っていたんだ。何もかも!」

やり直すことなどできはしないのに。

どれだけ言葉を憎もうとも、捨て去ることなどできはしない。

手元を見ると、元気を取り戻した小鳥が毛づくろいに勤しんでいる。


「人の気も知らないで」


掌中にあるのは、人間より遥か低次元に位置する下等生命体だった。

奴らは言葉を持たない。だがそれ故に、存在としては完成されきっていた。


「……皮肉だな。愚者は自身を疑わずに済むというのは」


ならば言葉こそが、我々に亀裂をもたらす要因ということになる。


『だが大地に開いた亀裂が我らを最奥まで導いてくれるのもまた事実』

「その通りだ。だからオレはユーリ・フォン・アギニスの亀裂を見つけようと思う」


奴を教え導く。されど有益な真実を与えるつもりはない。最奥に安置されているのは予めオレが拵えた偽物なのだ。

束の間の思案を終えた俺は、自然と口元が綻ぶのを感じた。


『汝には方策があるのだな?』

「ああ、こいつに一肌脱いでもらうにしよう」


指先で喉をくすぐると、それは心地良の良い音色を奏でた。


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