第十五話:剣劇1
「次はどちらだ? 一体どちらに向かえば良い?」
異世界学園の巨大なキャンパス内で、またしてもやオレは己の居場所を見失っていた。
『右だ。しばらく行けば訓練場だと、そう教えられたではないか』
「しばらくとはどれ位だ?」
『しばらくと言われたならばしばらくであろう。我にその者の尺度が分かる筈もない』
オレの質問に呆れたように答えるのはベルサリウス・ブレアマインド。
古に封印された魔王であり、現在はオレの道先案内人だ。
『汝がこれほど地理に疎いとは思わなかった』とベルサリウスは言うが、残念ながらその意見は正鵠を射てはいない
「この場合問題なのは距離や方向じゃない」
オレは反論する。
『では何だ?』
「それは言葉だ」
オレにとっての数少ない真実を告げる。
「オレたちはいずれ迷宮最深部に辿り着く。そうだな?」
その質問に、ベルサリウスは間髪入れず答える。
『そうだ。そのためにこうして有能な人材を集めるため奔走しているのではないか』
「では相棒殿に一つ聞きたい。いずれとは一体いつの事だ?」
ベルサリウスは考える。
『そう遠い日ではないことは分かる。だが正確な所は汝にしか知り得ない』
鼻息荒くオレは答える。
「そうだ。悠久の時を過ごした魔王でさえ見通せない未来なのだ。ならばオレに分かる筈もないではないか。つまり、いずれというのはオレの希望的観測が産み出した不確かな表現でしかない。それこそがあらゆる不幸の元凶だと思うのだ、オレは――」
実体など持たないくせに、ベルサリウスの冷たい視線を感じるのは、奴がそれを伝えようとしているからだ。
言葉だって同じだ。それは他者に向けての伝達である。
もう一歩突き詰めると、それは願望の具現化でしかないことが分かる。
「しばらく等という曖昧な表現は取り締まられてしかるべきだ」
そのような抗弁も、実際は単なる強弁ではあると自覚している。
初めに言葉ありき
創世記にもある通り、言葉こそ、世界の礎である。
創造主の御業を讃えるために、まず最初に創世記は言葉の存在を明らかにする。
言葉と神のいずれもが、人間を遥かに超越している事実を知らしめるためだ。
そして最初に言葉を用いた神の万能性を証明している。
だがここでとある疑問が生じる。
言葉は神よりも前から存在していたのではないか?
それが事実なら神が言葉を使って世界を創り上げたように、神もまた言葉によって産み落とされた存在へと堕してしまうだろう。
だがそれは杞憂というものだ。創世記はこう続くのだから。
言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
二柱の存在は等しい。
故に神と言葉の被造物たる我々が、卵と鶏の順番に頭を悩ませる必要はないのである。
結論は、どちらも初めから存在していた。
鶏は安んじて卵を温めれば良いし、神は言葉で世界を孵化させれば良いのだ。
だが、ある作家の言葉にもあるように、卵は世界であり、生まれ出ようとする者は一つの世界を破壊しなければならない。
ならば神の似姿たる我々は選ばなければないのであろうか。
神か――言葉か――
その何れかを。
けれども作品は作者に似て強欲であるため、絵具と絵筆の両方を欲した。
作者が求めた魂の躍動はそこにはない。
斯くして我々は己の無知蒙昧ゆえに神聖な利器を凶器として振りまわすのだ。
創造のために用意された万能器を、己が欲望を満たすための恣意的な道具へと貶めてしまうのは余りに冒涜的な行為に違いない。しかも我々が言葉で温めようとしているのは自分自身の冷え切ってしまった空っぽな心に過ぎない。
人類は傷付いた自分の心を治療する為、霊薬を自ら水銀へと変性させてしまったのだ。
一見すると神秘的なその輝きも、その実、口から溢れ出てきて聞く者の耳を毒し、心を蝕んでいく鈍色の玩具に過ぎない。怖気で身の毛がよだつ。
「だから『しばらく』などという曖昧な言葉に酔い痴れる訳にはいかないのだ」
そんなオレの白熱した長広舌を聞き流す態勢にベルサリウスは入っていた。
『汝の考える所は理解したつもりだ。だが我はあくまで共犯者であって、汝の思想を受け入れる賛同者ではない。言葉とは互いの溝に橋を架けるための手段に過ぎぬのだからな』
それが奴の考え方だ。
『言葉に必要以上の神秘性を付与すべきではない。そうでなければ相互理解など成り立たぬ道理だからな』
奴の理屈も分かる。
言葉とは本来、モールス信号のように記号化できる音律に過ぎない代物なのである。
そんな音の羅列がここまでの神秘性を有したのは、はたして人類が生まれる前かなのか、それとも後なのか。
神秘の源泉への興味は尽きない。
「だが人は、形式に心揺さぶられるのではない。人の心が感動を覚えるのは、とある形式が、記号化できない何物かを表そうとした瞬間である。そうした際に我々は、言葉の万能性を疑い、記号を超える価値を、遥か遠い時空に思い描く。すなわち我々が暮らしている世界よりも、より高位の存在を認める足掛かりにするのである――」
オレは引き下がる気など一切ない。そして同時に理解してもいる。
オレとベルサリウスの言葉が決定的に食い違っているということを。
オレたちが同時に世界と言った時、そこに含まれる志向性は正反対の方向を示していた。
「『しばらくという言葉を埋めるのはお前/汝だ』」
オレたちは顔を見合わせた。




