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第十話:fairy tail(前)~聖櫃~

 カツ


     カツ


         カツ


             カツ




異世界の学び舎に硬質な音が響き渡る。

職員同士の顔合わせからようやく解放された俺は、夕暮れに染まる廊下を歩いていた。

本日は始業式のみということもあり、学内の人影は既にまばらだ。

 だからだろう。

 

 床石を打つ自分の靴音がやけに大きく聞こえるのは。



 生暖かい風が残照に蒸された草の匂いを運んで来る。

 校舎間を結ぶ廊下が直接外に面しているからだ。


 匂いのする方へ顔を向けると、学園の広大な敷地が夕日に照らされていて美しい。

 西日を反射した芝生は黄金の海のように波打ち、夕日を背負った校舎群は山のようなシルエットを宵闇の中に浮かべている。

 中でも一際目を惹くのが中央に聳える礼拝堂だ。


 学園の全人員を収容できるよう設計されたそれが、もはや大聖堂と呼ぶべき規模と威容を誇っているとここからでも分かる。

 人の手による被造物にも関わらず、その存在意義は創造主の物を遥かに凌駕していた。

 それはきっと圧倒的な外観によるものだけではなく、内部を流れる特殊な空気にも起因しているのだろう。

 俗世とは異なるあの静謐としか言いようのない特殊な空気。それは死を前提とした場所でしか生まれないものである。



 形あるものはいずれ滅びる。



 至極当たり前のことなのに、僅か八十年ほどの寿命しか持たない我々は、『いずれ』という言葉を拡大解釈して死という確実な未来を遠ざけようとする。

 我々が大人になり、家庭を持ち子供を育て、社会奉仕を終え定年を迎えたさらに先のことだと思い込もうとするのだ。

 そのような生涯を送る者は確かに多いがその一方で、理不尽な死を迎える人々がいることもまた事実。


 事故、病気、飢餓、貧困、悪意、暴力、戦争、災害、etc……


 あらゆる不条理が我々の生命を侵害しようと待ち構えており、目をつけられた者から死んでいく。そこに長幼の序はない。

 それどころか、あらゆる差別からそれは隔絶している。

 絶対にして平等の結末――それが死という現象だった。


 ならば人の生とは束の間許されたモラトリアムに過ぎず、詰まるところ単なる偶然の産物であると言う他ないのではないか?




 例えるならこうだ。


 盤上のチップをめぐって、天上の存在が三つ巴を繰り広げている。

 そして中央に陣取った神が告げる。

「表か、裏か」

 

 天使が答える。

「表です。その者には天国が相応しい」


 悪魔が反論する。

「裏だ。そいつは地獄行きだ」


 「では試してみるとしよう」

 神はそう言うと、徐に一枚の硬貨を放り投げた。

 それは美しい軌跡を描いて再び神の手の中へと舞い戻る。

「ふむ。表だな」

 かくして天使は一人の運命を手に入れることと相成る。だが既に彼らの興味はそこにない。

 これは悠久の間繰り返されてきた天上遊戯のほんの一幕に過ぎないからだ。

 

 次の硬貨を手にした神は無感動に尋ねる。

「次はどちらに賭けるね?」


 見えざる神の手が再び運命の糸車を回し出す。




 これが生のアレゴリーだ。


 そんな——いついかなる時も自分の命がたかが硬貨一枚で左右される——光景を前に、人の精神は耐えることができるだろうか?


 問うまでもなく答えは明らかだ。


 故に人は信仰に救いを求めて聖堂を訪ね、安らかな死後を願って墓を建てる。そのような功徳が我々の生にどのような効果を及ぼすかは分からない。

 だが死とは、いつだって生者の口でしか語られない。

 要するに我々は死を通して証明したいだけなのだ。


 自身の生が必然的なものであるのだと。


 ただ皮肉なのは我々が生き方について考える時、それは死に方を考えるのと同義であるということだ。


 もちろん二元論では割り切れない複雑さが両者にはあるが、往々にして我々は生と死を対立したものとして扱いがちだ。

 だが詩的な表現が許されるなら、大抵の場合それはコインの裏表のように気紛れで、だからこそ闇夜における蛍のように愛おしく、結局は鏡写しの双生児のように相容れない。

 そんな生と死の狭間こそが聖堂という異界なのだと思う。




 奇しくも時刻は逢魔が時――此岸と彼岸が交わる頃合い——に俺は礼拝堂の前に立っていた。




 いつものように俺はここを訪れるしかなかったのだ。

 この礼拝堂が親友たちの眠る場所であると共に、俺にとっての過去と未来、そして原罪を司る場所であるから。


 

 たとえ行くべき道が見えなくとも、俺はここから始めるしかなかった。



   ◇    ◇    ◇



 開け放たれた門扉を潜ると、古い建物特有の匂いがした。

 焚かれた香と相まって、それが俗世とは異なった雰囲気を醸し出している。

 否が応でも身が引き締まるのを感じるが、それは死がありふれたものではなく、我々を身の内から徐々に蝕むものだということを思い出させてくれる。


 暗がりを進むには心許ないが、かといって灯りを点けるほどではない。

 そんな今ぐらいの時刻になると、祭壇の窓から射し込む西日が柱や長椅子の影と絡み合って現実離れした光景を堂内に現出させ、黒い修道服に身を包んだシスターたちが箒を手にその中を移動する。

 光から影、影から光へと、まるで両者の境目を撹拌して生と死の斑模様を描くように。

 このような絵はきっと聖堂というカンバスでしか成立しないだろう。

 なんとすれば、ここが聖と死の殿堂であるからだ。


 祈りを捧げる女生徒を横目に俺は祭壇に近付く。

 一見すると敬虔に見える彼女も、俺からすれば醜悪な咎人に過ぎなかった。


 人は欠落なしに生きていくことができない。故に生者は聖者足り得ない。

 他人の言葉を借りるなら、『すなわち最もよき人々は帰ってこなかった』のだ。

 つまり聖とは、死者を顕すための称揚の言葉である。

 死して尚貴賤の別があるというのなら、生きている者については言うに及ばず。

 切り分けられた世界が理解不能だから祈るのだが、そもそもその謎を齎したのは誰か?


 俺は祭壇脇に佇む神父に合図を送って懺悔室に入る。

 しばらくすると仕切りの向こう側から声がかけられた。

「汝、如何なる理由でここを訪れるや?」

 俺はそれに答える。

「異世界の友と会うために」

 その言葉が符牒となって部屋の仕切りが取り払われ、先程の神父が姿を現した。

「どうぞこちらへ。ご友人がお待ちです」

 もはや恒例となったいつものやり取りだ。

 ゴードンは相変わらず真意の読めない微笑を浮かべて俺を先導する。

 お互い無言のまま歩くこと数分、俺たちは地下室を前にしていた。

 そして神父が錠を解いた扉の先に彼女はいる。

 共に異世界へと飛ばされた親友にして、僕たち三人の紅一点。


「……二見」


 しかしその声が彼女に届くことはない。もちろん手で触れることすら叶わない。

 深緑色の水晶が彼女の全身を覆っているからだが、水晶に閉じ込められた彼女はまるで眠っているかのように安らかな顔をしている。

 

 何もかもが一年前のままだった。


 彼女の身体に刻まれた致命的な傷も、自分の無力さに歯噛みするしかない僕自身の罪深さも。


「一条……どうしてここにいるのが君じゃない?」


 万人に訪れるという点において確かに死は平等だ。けれど公平ではない。

 眠り姫を助けるはずの王子役が舞台からは消え、それなのにカボチャの馬車だけが残されている。


(間違っているんだ。何もかも!)


 もしも世界というものが理路整然とした正しさに満ちており、優しさに溢れたものであったなら……。

 人は生きることに苦痛を覚えずに済むし、幸福な死の定義について呻吟する必要もない。


(それのどこに不都合がある?)


 進んで地獄に堕ちたがる者はいない。全人類が他人を尊重し合えれば天国など簡単に出来上がるのだ。

 幼心にそう思った僕は、努力と善意が報われる世界を生きようとした。

 しかしそれは生易しいことではなく、いつしか僕の認識は醜く歪んでいく。

『自分の努力や善意が報われないのは間違っている』という風に。

 それでも耐えた。

『報われないのは努力の仕方が間違っているのだ』

 間違っているのが自分だと仮定する限り、世界は正常な姿を保ち続けたからだ。

 乖離していく僕と世界の距離。

 やがて僕は、正しい努力や善行のできない自分に見切りをつけ、世界の端っこで生きることを選ぶ。

 否、進んで身を引くことで許されようとしたのだ。


『誰も傷つけないし何も否定しない。だから僕が存在することを許してくれ』と。


 神と呼ばれる存在が幾ら狭量であろうとも、これくらいは許してくれるだろう。そう思った。

 もちろんただの勘違いでしかなかったが……。


 そんな過ちにすら気付かない僕の愚かさは、二人と出会うことで深刻なものとなる。


 世界の片隅で出会った僕たちは、図らずもそこに小さな楽園を発見した。

 自分の幸福と他人の幸福が一致する調和に満ちた理想の世界である。

 僕が求めて止まなかったものだ。


 それはまさに奇跡。つまり単なる偶然であった。


 あまりの輝きに目を奪われた僕は、そんな単純な事実さえ見落としていた。

 ここで僕たちは死ぬまで幸せに生きていくのだと、心の底からそう信じていたのだ。


「そして二人は幸せに暮らしましたとさ————か」


 長い余韻を残して、呟きは空間に消えていく。




—――長い余韻――――――




 もしかしたら生の本質はそこにあるのかも知れない。



 おとぎ話の後日譚――それは語られなかったのではなく意図的に隠蔽されたものではないか?


 陰謀論に鼻息荒くするマキャベリストを気取るつもりはないが、口当たりの良い言葉に踊らされるオプティミストに成り下がる気もない。


 見知った人が結婚したとして、『それ以降二人は幸せな結婚生活を送りましたとさ』と言われて鵜呑みにできるだろうか?

 我々は知っているはずだ。


—―結婚してから後の方がずっと長いことを——


 そこには、結婚するに至った劇的な過程とは比べ物にもならない平凡な日常があるだけだ。

 俯瞰的な視点に立った際、我々が認めるのは己の人生の実に大半を『幸福の余韻』が占めているという事実である。

 ストーリーテラーであればそれを蛇足と言い切るだろう。故に御伽噺はいつだって現実のアンチテーゼであり続ける。


 思うに理想とは、『本来であればこう在るべき現実』を表す指標ではない。


 得てして人は、完璧な存在を原初に求めがちだ。

『赤ん坊こそが人間の最も純粋な姿である』のだと。


 だがそれは違う。


 努力と善意の報われる正しい世界が最初に存在し、人間の欲望やシステムによって徐々にその完全性が歪められてきた訳ではない。

 そもそも世界には発生当初より致命的な欠陥が内包されていたのだ。

 生まれつき我々の体に死が巣食っているのと同じように。



   搾りたての牛乳は新鮮であるが清潔ではない。


   洗いたてのシーツは清潔であるが無垢ではない。



 それらはこの世に生み出された時から既に汚染されているのだ。

 

(何によって?)


 生という死の残滓によって。



 生とは根源的矛盾の始まりなのである。


 生まれたことにより我々は奪うことを余儀なくされる。生きる苦しみはそれに付随する副産物だ。

 

 必然的な生を持たない我々は世界から存在することを許された訳ではなかった。

 偶然生まれたに過ぎない我々は、生まれ落ちた世界と戦うことでしか己の存在を獲得し得ないのである。

 二人を失ってから、ようやく僕はその事に気が付けた。

 ただ耐えるのではなく、自分を生み出した世界と戦うべきだったのだ。


 僕たちを楽園から追放した世界を、僕はもう信じることができない。

 一体僕たちが何をした?

 クリスマスの賢者に倣い、お互いの大切な物を贈りあっただけではないか!?

 一条と二見の喜ぶ顔が見られればそれで良かったのだ。

 たったそれだけのささやかな望み…………それを罪とは決して呼ばせない。


 もしも世界がそんな僕に罰を与えたというのであれば、それに相応しい罪をこれから得ようと思う。

 敢えて咎人となることで、僕は世界の不実を暴いてみせる。

 もう僕は自己否定に終始していた昔の僕ではない。

 二人が信じてくれた三守秋途ぼくの価値を、俺もまた信じているからだ。


 だから俺は、僕たちが手に入れた正しさを振るうことを躊躇わない。

 たとえどれほどの犠牲を払おうとも、それは今より正しい世界を形作るであろう。













 殺してやるぞ、異世界!!

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