80.夕暮れ
真一と千里が火花を散らす。
音無千鶴は有馬真一と向かい合ったまま立っていた。いつもより熱の籠った眼差しに囚われて、千鶴は動けないでいた。
「キノ」
何かを決意したように真剣な表情で真一が口を開く。
「ちい!」
突然、聞き覚えのある声が響き、千鶴だけでなく真一も同時に振り返った。赤い太陽を背に長身の影が駆け寄って来る。
「え? ……千里?!」
目を真ん丸にしている千鶴の目の前に立ったのは、霧谷千里だった。ずっと走ってきたのだろう、肩で息をしている。
「……間に合ったみたいだな」
そう言って、千里は微笑む。包み込むような優しい笑みを向けられれば、好意を抱かない人はいないだろう。そんな笑顔だった。
「間に合った? 何が? ……どうしたの? 今日も叔父さんのお店のお手伝いだったんでしょ?」
状況が理解出来ない千鶴は驚きを隠せないまま矢継ぎ早に疑問を投げかける。
「店はちゃんと手伝ってきたよ。今日は客が少なかったから、早く上がらせてもらったんだ」
「もしかして、私の……ため?」
返事の代わりとばかりに千里は優しく微笑んだ。
「……私は千里に凄く心配させてたみたいだね。ごめんね」
「謝るな」
「うん。ありがとう。でも、もう大丈夫だよ」
「ちいの大丈夫は、あてにならないからな」
少し困ったように僅かに眉を寄せ、千里は千鶴を見下ろす。
「本当だって。だって、真一に元気をもらったもの。ね? 真一」
「ああ」
千里は視線だけを動かし、ちらりと真一を見る。
「……そうか。元気になったのなら、良かった」
ガラリと表情を明るいものに変え、千里は千鶴の頭をくしゃくしゃと撫でまわす。
「うわっ! ちょっ、ちょっと! ぐしゃぐしゃにしないでよ!」
千鶴は千里の暴挙から逃れるように距離を取る。
「逃げるなよ」
「逃げるわ! って、もしかして、今日は賄い食べてないんじゃないの?」
「うん」
「! ちょっと待ってて!!」
千鶴は慌ててポケットの中から携帯を取り出す。
「あ、お母さん?」
千鶴が家に電話をしている背後で、二人の男が対峙していた。どちらの表情も険しい。
「何? 不満そうだな」
表情を崩したのは千里の方だった。わざと真一を煽るような口調だ。真一は千里の挑発には乗る事はなかった。
「……どうやら、褪せっているのはセンの方だったみたいだな」
落ち着いた声で真一は千里を見据える。
「どういう意味だ?」
「言葉どおりだ。一緒にいる時間が問題じゃないみたいだな」
無言で真一と千里は火花を散らす。
「千里! 良かったら私ん家でご飯食べない?」
一触即発な雰囲気の男達の耳に、場にそぐわない千鶴の明るい声が割って入る。
「え? いいの?」
「うん! もちろん! お母さんが会えるのを楽しみにしてるって!」
「嬉しいな」
千里は真一の横をすり抜け、千鶴の隣に並び立った。
「ちいの家に行くのは本当に久しぶりだ」
「引っ越しする前だから……」
「4年」
会えなかった期間を数えようとする千鶴の声を遮り、千里は答えた。あまりに早い返答に千鶴は僅かに驚いた表情を浮かべた。
「4年だ」
もう一度、まるで噛みしめるように千里は言った。あまりに真剣な表情で言うので、千鶴は答えを探すように千里の顔をじっと見つめる。
「さあ、急ごう。桜子さんが待っている」
突然、真一が千鶴の手を掴むとぐいぐいと引っ張りながら歩き出した。
「え?! あ、ちょっと、……引っ張んないでよ~」
焦る千鶴の声が夕闇に溶ける。一瞬眉を寄せた千里だったが、すぐに真一と千鶴の後を追って地を蹴った。
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