72.落書き。
教室では千鶴の席に千里が座っていた。真剣な表情で何かを書いている。その周りを数人のクラスメイト達が囲んで茶化していた。
(? 千里、何を……?)
千鶴は首を傾げながら近付き、千里の手元を覗いた。
途端、おもわず半眼になる。何をしているのかと言えば、千鶴の机の上に落書きをしていた。「う」と「ち」の文字の間に漫画にしか出てこないような立派な『う〇ち』の絵を書いているのだ。
(……あんたは、小学生か!)
「何、やってんの……」
頬を引き攣らせながら声を掛ければ、千里がハッとしたように顔を上げた。
「……ちい」
一瞬表情を強張らせたように見えたが、千里はすぐににっこりと笑った。
だが、笑ってごまかすとかそういうつもりでもないようだ。
「ちょっと! 人の机に何書いてくれてんのよ!」
「見て分からないのか?」
まるで分からないことが不思議だとでも思っているような言い方だ。
「分かってるから怒ってんの! うわっ! そのペン油性じゃないのよ!!」
慌てて千里の手からペンを取り上げる。
「どうだ。なかなかのもんだろ?」
(う〇ちを机に落書きされて『どうだ』と得意げな顔で言われても……。まさか本気で褒められるとでも思っているのだろうか?)
目の前で座っている幼馴染の思考回路を心底疑いたくなる千鶴だった。まわりにいる外野は大笑いしている。
「こんなものを書かれた机で勉強しなくちゃいけない私の事をちゃんと考えてる?」
「喜んでくれないのか?」
脱力したように椅子の背にもたれかかり、少し拗ねたような口調で聞いてくる。
(さっき保健室で慰めてくれた人とは同一人物とは思えないんだけど……。夢だったのではなかろうか?)
「……ねえ、喜ぶ人がいるんだったら教えてほしいんだけど?」
『ここ』と、千里の人差し指が千鶴の方へ向けられた。
瞬時に千鶴の眉間には皺が一本深く刻まれる。その姿を眺めながら千里はぼそりと呟いた。
「ちいは喜んでいたじゃないか」
「へ? いつよ?」
「小学……二年かな?」
「……その顔に、同じ絵を書いてあげましょうか?」
ゆらりと千里に近づきながらペンの蓋を抜けば、千里が顔を引き攣らせる。千鶴の本気に気付いたようだ。仰け反るように千鶴との間に距離を取る。
「分かった。分かった。仕方ないから、俺がこの席に座ってやるよ」
どこかなげやりな様子で、千里は頭の後ろで両手を組んだ。
「じゃあ、私はどこに座ればいいのよ」
「そこに座ればいいんじゃないか?」
当然のように千里は一つ前の席を指さす。
「ここは、浜田君の席だよ」
「浜田君は、俺の席に座るから大丈夫」
視線を巡らせれば、千里の席にすでに座っている浜田君と目が合った。
だが、速攻で目を逸らされてしまった。関わってはいけないと思われているに違いない。もうすでに千里は浜田君に席を代わってもらっていたということだ。
「じゃあ、私はクラスに戻るわ」
千里とのやり取りを背後で静観していた舞が、突然千鶴の肩をポンと叩いた。
「! あ、うん! ありがとうね! 舞」
振り返りお礼を言えば、舞は笑顔で頷き自分のクラスへと戻って行った。教室を出る寸前、ほんの一瞬、舞が千里と視線を交わしたことに千鶴は気付いていなかった。急いで荷物を入れ替えいる間に次の授業の先生がやって来たので、千鶴は慌てて椅子に座る。
だが、ふと気になった事があった千鶴は、後ろの席を振り返った。
「ねえ、千里」
「ん? 何?」
「何か、怒ってる?」
千里の顔が驚いたような表情に変わった。
だが、質問のどこに喜ぶ要素があったのか、すぐに千里の顔が嬉しそう破顔する。
「……怒ってない。それより、早く前を向け。先生に怒られるぞ」
「!」
千里の指摘に、千鶴は慌てて前を向いたのだった。
読んでくださり、ありがとうございました。楽しんでいただけたでしょうか? 久しぶりにアップした話が『う〇ち』って……。と自分に突っ込みを入れながら書いておりました。呆れずに、また続きを読んでいただけると嬉しいです。
では、熱い日が続きますが、みなさんどうかお体を大切になさってくださいね。




