69.人の恋路を邪魔する奴は。
舞は千里という男の内面に気付く。
「ちづ!」
糸が切れたあやつり人形のように、音無千鶴が背後へ倒れていく。その姿を目にした瞬間、三嶋舞は親友の名前を叫び、駆け出していた。
千鶴は頭部を床に打ち付ける直前で、側にいた桐谷千里が抱き留める。
ほっとしながら舞が近づいて行くと、ぐったりとした千鶴を抱きしめたまま千里が振り返った。
「……また君か。どうして、ここに?」
どこか探るような眼差しで千里が問う。
「ちづが……、ちょっと気になることがあったから、ちづの教室へ向かってたのよ。そしたら、ちづが連れて行かれちゃったから、慌てて後を追いかけてきたの!」
千里の腕に抱かれている千鶴の顔を舞は覗き込んだ。
「……ちづは、どうしちゃったの?」
「気を失っている。……俺が来たから安心したんだ。こういうところが可愛いいだろう?」
「……」
キッ、と舞は鋭い眼差しを千里に向けた。
「あの中途半端な公開告白は、他の男子へ千鶴を狙っていることをアピールしたかったわけね。全然効果は無かったようだけど?」
棘だらけの問いに、千里は答えない。
それでも、舞は続ける。
「女子達へは、牽制? 釘をさすつもりだったのかしら? 俺が好きなのは音無千鶴だって。おかげで千鶴はこの有あり様よ。私は何もしないで、って言ったわよね?」
千里は表情を変えることなく千鶴を軽々と抱いたまま立ち上がった。舞には目もくれず背を向け、歩き出す。
だが、数歩先で足を止め、肩越しに振り返った。
「君は心理カウンセラーか何か? ……親切ついでに、保健室の場所を教えてくれる?」
舞は大袈裟に溜息を一つつくと、すくっと立ち上がった。
「……こっちよ」
まるで引率するように舞は千里の前を歩き出す。二人は保健室まで一言も言葉を交わすことはなかった。
「先生!」
保健室の扉をガラリと開け、舞はすぐさま部屋の中へ飛び込んだ。
だが、保健室に先生の姿が見当たらない。
「あれ?! 先生ったらどこに行っちゃったの? こんな時に!」
憮然として呟く舞の横を通り過ぎた千里はベッドの上にそっと千鶴を置いた。青白い頬にかかる髪を指先でどける彼の表情を見た瞬間、舞の心臓がドクッと鳴った。
(な、なんて顔してんのよ!)
見ている方が胸を締め付けられる、そんな表情だった。切ないと言うには思いつめているような、でもとても優しい顔だ。
今まで見せてきた不遜な表情と余裕のある雰囲気とはまるで違う、どこか彼が少年だった頃を彷彿とさせる隙だらけの姿だった。
「……俺が付いている、君は教室に戻るといい」
そう言い放つ千里の視線は千鶴に向けられたままだ。瞬時に舞の眉間に皺が寄る。
「はい。そうですか。って言うと思ったの? ここにちづと男を二人だけにできるわけがないでしょ! 私がいるから、あなたの方が教室に戻って先生にちづの事を伝えてよ」
腰に手を当て、腹立たし気に言えば、千里はあからさまに溜息をつく。
と、その時、ガラリと音がして、扉が開いた。二人は同時に入口に視線を向ける。
「あら? あなた達どうしたの?」
入口に白衣を来た先生が驚いた表情を浮かべて立っていた。
「……彼女が、廊下で倒れたので連れて来ました」
そう言って、千里は眠っている千鶴を振り返った。
「あら、貧血かしら? あなた達、ありがとう。後は私に任せてね」
「はい」
「お願いします」
意外にあっさりと千里は保健室から出て来た。二人は共に歩き出す。ちらりと隣を歩く男を見上げれば、すでにいつもの余裕のある顔で真っすぐ前を向いている。
「これからは俺が千鶴の側に張り付いているから、もう君は自分のクラスにいればいい」
ちらりと向けられた視線を舞はしっかりと受け止めた。
「あなたの指示は受けないわ。私がちづの側に居たいか居るだけ。あなたがそばに居ようが居まいが関係ないの」
堂々と舞が言い放てば、千里は再び前へ視線を向ける。彼の口角が僅かに上がった。
「君なら、海外でもどんなところでも充分一人でやっていけるな」
どこか感心するような声だった。
「ありがとう。誉め言葉だと思ってありがたく受け取っておくわ」
そう言って、自分の教室へ戻ろうと駆け出そうとした舞の耳に、千里のわざとらしい声が聞こえてきた。
「あ、そうだ」
「──何?」
「日本には、『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られる』ってことわざがあるんだろ? 君も馬に蹴られないようにしないとね」
千里は舞に視線を向けたまま、意味深に笑う。
そして『じゃあ』、と言いたい事を言うだけ言うと、さっさと歩き去って行く。
舞は何を言われたのかすぐに理解が出来ず、ただ茫然と見送ってしまった。
「……それ、ことわざじゃないから! っていうか、はあ?! 私が邪魔だって言いたいわけ?!」
言われた意味を理解した時には千里の姿はすでに無く、舞は怒りの矛先を見失う。
(何なの? あの男は?!)
舞の握り絞めた手が怒りで震える。
有馬真一は一方的に好意をいただいていた舞に対し、どこか警戒しながらも千鶴の親友として認めてくれている。
だが、桐谷千里という男は、友人さえ千鶴の側にいることを良しとしていないのではないだろうか。驚くほど独占欲が強いのかもしれない。
「まさか……」
ある可能性に気付き、舞は慄然とするのだった。
いつも読んでくださりありがとうございます。楽しんでいただけたでしょうか? 千里側のお話しを今のところ書いてませんが、今回のお話しで、彼の心の声を聞くのが怖くなりました。真一! 頑張ってハッピーエンドにしてよ! と言わずにいられません。真一に頑張ってもらいましょう!
また続きを読んでいただけると嬉しいです。




