68.いい度胸だな。
「三嶋さんって、転校生に気があるんでしょ? ずっと転校生に会いに行ってるんだって!」
朝練の後、教室へ向かっていた音無千鶴は、すれ違った人が話していた会話の内容に驚き、慌てて振り返った。二人は千鶴に気付かずに会話に夢中になっている。
「でも、その転校生って、別の子に告ったんだよね?」
「そうそう! すっごい噂になってた。それに、告られた子は三嶋さんの友達らしいよ」
「マジで?!」
千鶴は煩く騒ぐ胸を押えながらその場から急いで立ち去った。
自分のせいで舞が変な噂に晒されている。舞の優しさに甘えていた結果がこれだ。その事実に、胸が押しつぶされそうになっていた。
(やっぱり、私は周りが見えてない! 本当に、ダメダメだ!)
千鶴は決意する。
休み時間を告げるチャイムの音と共に、千鶴は舞の教室へ大急ぎで向かった。
「舞!」
教科書をなおしていた舞が振り返る。
「ちづ?」
千鶴の姿を見つけると、すぐに教室から出て来た。
「どうしたの? 走って来たの?」
「あのね、舞。今日のお昼からクラスの子達と一緒に食べることになったの。今まで心配して、私のクラスまで来てくれてありがとうね! もう大丈夫だからね!」
千鶴は舞へ手を合わせて頭を下げた。
「え? ……そうなんだ? ……その……大丈夫?」
「ん? 大丈夫だよ! 舞は心配性なんだから。……でも、今まで一緒にいてくれて、本当にありがとう! 嬉しかった!」
心配そうな親友の顔を見つめながら、とびっきりの笑顔で答える。
「じゃあ、また部活でね!」
「あ、うん」
元気に舞へ手を振ると、千鶴は踵を返して廊下を駈けた。
「あれ? 音無さんじゃん」
廊下で千鶴は男子生徒に呼び止められた。
「?」
見覚えのない顔に首を傾げていると、近くにいた他の数人の男達もじろじろと見てくる。どの顔にも見覚えはなかった。
「あ、本当だ~。音無さんだ」
「あのさ、聞きたい事があるんだけど、ちょっとこっちに来てくれる?」
「え?」
「こっち、こっち、早く!」
千鶴が躊躇っていると手首を掴まれた。取り囲まれ無理やり引っ張って来られたのは、人気のない渡り廊下の影だった。
掴まれていた手が緩んだ瞬間、振り切って逃げようとしたが遅かった。あっという間に逃げ道を塞がれる。
「!」
じりじりと後ずさったが、千鶴の背は壁にぶつかってしまった。もう逃げ場はない。怯える千鶴の正面に立つ男が顔を僅かに近づけてきた。
「な、何?」
「音無さん、俺と付き合ってよ」
「え?」
「あ、俺も!」
「ええ?」
千鶴はあまりに驚きすぎて、言葉がそれ以上出てこない。
だが、すぐに頭を勢いよく下げた。
「ごめんなさい!」
「え~。何で? いいじゃん。付き合おうよ」
「本当に、ごめんなさい! 私、好きな人がいるんです!」
「知ってる。知ってる。三股やってんでしょ? あと一人や二人ぐらい増えたってかまわないだろ?」
「えええっ?」
言われている意味が分からず顔を上げ、背筋が凍る。千鶴を見下ろす男達の顔はニヤついていた。千鶴は体当たりで正面突破を試みた。
だが、囲んでいた男達の手が伸びてきて、千鶴の肩や腕を掴んできた。振り切ろうとしたが、思いのほか男達の力は強く、逃げることが出来ない。恐怖に身がすくむ。
(怖い!)
「逃げんなよ。じゃあさ、付き合わなくてもいいからさ、今から授業サボって俺達と遊ぼうぜ」
「おまえら、いい度胸だな」
背後から響いた声に、千鶴を掴んでいた男達が勢いよく振り返った。そんな男達を突き飛ばすように押し退け、姿を現したのは桐谷千里だ。
「──千里」
千里は千鶴の前でくるりと体の向きを変え、まるで盾のように男達に向き直った。
突然現れた長身の千里の姿に、男達は明らかに怯む。
だが、お互い顔を見合わせると、人数で勝てると思ったのか、ふいに勢いづく。
「何だ?」
「邪魔すんな!」
「おまえ、誰だよ?」
凄む男達に対し、千鶴に背を向けている千里の表情は見えなかったが、動揺する気配は感じられなかった。
「俺がこの子の事狙ってるって、知らなかった? まあ、それなら仕方ないから許してやるよ」
動揺どころか、取り囲んでいる男達を煽るような事を言う。
「ふざけんな!」
「ふざけてんのはどっちだ? おまえら、俺とマジでやる気か?」
明らかに千里の声のトーンが低くなった。周りの温度もまでも下がったような気がした。
「お、俺ら四人とやって勝つ気でいんのか?」
「ああ。もちろん。言っとくけど、俺、アメリカで2メートル近くある奴に勝ったことあるよ」
途端、再び男達が顔を見合わす。
そして、改めて長身の千里の姿をじろじろと見定めはじめた。
「あっ! こいつ、昨日転校してきた奴だ」
「帰国子女って聞いた!」
「2メートルって……」
「……お、おい! い、行こうぜ!」
男達はそれ以上何も言わず、立ち去って行く。千鶴は大きく息を吐き出した。ほっとしたその瞬間、去って行く男達の後ろ姿がぼやけていく。
(ん? あれ?)
異変に気付いた時には、自分の体の均整が取れなくなっていた。景色がグルンと回ったと思った途端、目の前がプツリと真っ暗になる。張り詰めていたものが抜け、千鶴は気を失ってしまったのだった。




