56.クラスメイト。
千鶴の周りがざわつき始める。
早朝練習を終えばかりの千鶴は茫然となっていた。スカートのファスナーを上げる手が途中で止まっている。
「え? 英語の小テスト?!」
「そうだよ。やってないの? 一時限目だよ?」
「……ははは」
蒼ざめ乾いた声で笑う千鶴を舞が呆れた眼差しで見つめている。
「早く着替えて、一つでも多く覚える! 『再テストで部活に遅れました』なんて理由、キャプテンには通用しないんだからね! 頑張れ!」
舞の言葉に、千鶴は深刻な顔で頷いた。
小テストといえど、点数が悪いと放課後に容赦なく再テストが待っている。もちろん、部活に遅れてしまうことになって、キャプテンに理由を言わなければならない。それはどうしても避けたかった。
急いで着替え終えると、千鶴は部活の仲間達と早々に分かれて教室へ向かう。いつもより教室が騒めいていたが、気にしている余裕は無かった。席に着くと、すぐに本を取り出し、テストの範囲を開く。千鶴はギンッと目を見開き、必死になって片っ端から英単語を覚え始めた。
「早く席に着け! 朝礼を始めるぞ!」
「!」
担任の声で、集中していた千鶴は弾かれたように顔を上げた。
「ん? ……あっ!」
驚きのあまり声を上げて立ち上がる。見慣れた担任の横に立っていたのは、千里だったのだ。くっきり二重の目を大きく見開き、こちらを見ている。どうやら千里も驚いているようだ。
(そうだった! 今日から千里もこの学校に通うんだった!)
小テストの事で千鶴は綺麗すっぱりと千里の事を忘れていたのだ。
(まさか! 同じクラスになるなんて!!)
口は『あ』の形で開いたまま、千鶴は時が止まったように千里を見つめ続ける。
(あれ? 髪が……)
昨日は長かったはずの千里の髪が、バッサリと短くなっていた。分かれた後に髪を切りに行ったのかもしれない。
(やっぱり千里は短い方が似合ってる)
そんな事をふむふむと考えていると、千鶴の耳に担任のワザとらしいゴホンゴホンという咳ばらいが聞こえてきた。
「あ~、音無。イケメンが来て嬉しいのは分かるが、落ち着いて座れ」
「うっ……」
教室中がどっと笑い声で溢れる。
千鶴は真っ赤になってすぐに腰を下ろした。顔を下げたままちらりと目線だけを上げれば、千里は左手で口を覆い、顔を僅かに背ける。肩が小刻みに震えているのは、必死で笑いを堪えているからだろう。
(ううっ、千里に変なところを見られた!)
恥ずかしさのあまり、もし穴があれば千鶴は全力で駆けこんでいた。
「静かにしろ~。朝礼を始める前に新しいクラスメイトを紹介するぞ」
ざわめく生徒達に背を向け、先生はカツカツとチョークの音を響かせながら黒板に千里の名前を書いていく。
「では、まず自己紹介をしてもらおうか」
「はい。桐谷千里です。父の仕事で小学5年から渡米して、昨日帰国したばかりです。はっきり言って、浦島太郎状態です」
千里の軽いジョークに笑いが起こった。
「いろいろ分からないことばかりなので教えてください。宜しくお願いします」
ピシッと頭を下げた千里に、教室のみんなが拍手をする。もともと雰囲気が悪いクラスではなかったが、千里の日本での高校生活はいい感じでのスタートになったようで、千鶴は胸を撫でおろした。
「環境がガラリと変わって戸惑うことばかりだとう思うが、あせらずに慣れていけばいい。みんなもそのつもりで手を貸してやってくれ」
「はい!」
「いい返事だ。特に女子の声が大きいように思うがな」
再び教室に笑いが起こる。
「桐谷。席は窓際の一番後ろだ」
「はい」
千里が自分の席へ向かって歩き出す。
千鶴は前を向いたまま考えていた。千里の様子を見るには教室の中央にいる席からでは振り向かなければならない。
でも、先ほどの事があるので、あまり目立つことはしたくなかった。千里と話がしたかったが、しばらくは近づくことも我慢しようと心に誓う千鶴だった。
(でも、これからは千里が同じクラスにいるんだ!)
そう思うだけでなんだかワクワクとしてきて、千鶴は落ち着かない気分になっていた。
(ひっ!)
突然、千鶴は青ざめる。
(小テスト!)
慌てて広げていた本へ視線を戻し、千鶴は泣きそうになりながら単語を再び必死で覚えはじめた。その後ろ姿を、千里が強い意志を感じさせる眼差しで見つめていることにも気付かずに。
読んでくださり、ありがとうございます。楽しんでいただけたでしょうか? 千里の出現に、真一と千鶴の仲は進展するのか、後退するのか。また続きを読んでもらえると嬉しいです。宜しくお願いいたします。




