55.勘違いだけはするなよ。
真一の事を好きだと自覚した千鶴だったが、その事はまだ告げられずにいる。だが、真一は容赦なく接近してきて………。
「行って来まぁーす!」
千鶴は元気に玄関の扉を開け、突然動きを止めた。肩に掛けていたボストンバッグが地面に落ち、ドサッと音をたてる。
「!?」
家の門の前に、なぜか真一が立っていた。音に反応して振り返る。目が合った途端、朝日より眩しい顔で微笑んだ。
「おはよう。……鞄が落ちたよ」
涼し気な目が千鶴の足元へ向けられる。はっとした千鶴は慌てて時計を見た。
「大丈夫。遅れてないよ」
「じゃあ、どうして真一がいるの?」
朝の空気のように爽やかなオーラを撒き散らしながら立っている男に、右手の人差し指をビシリと向ける。真一は向けられた指先と千鶴の顔を一度ゆっくりと見比べ、わずかに首を傾けた。
「キノ、人を指さすのは良くないんじゃないかな?」
慌てて右手を背後に隠し、千鶴は顔を背けた。
(見られた? 顔が熱い! 絶対、今顔が赤くなってる!)
背後でくすりと笑った気配がした。
「いつもより早く目が覚めたんだ。図書室で本を読むのもいいかなと思ってね。……行かないの? 朝練に遅れるよ?」
「言われなくたって、行きます!」
鞄を掴み、門を開ける。平常心を装い、つんと前を向いたまま真一の前を通り過ぎる。ふいに左側が陰った。ちらりと視線を向ければ、真一が並んで歩いている。その表情は、なぜか朝からにこにこと上機嫌だ。
「……どうして、ついてくるの?」
怪訝そうに問えば、面白いジョークでも聞いたかのように真一が声を上げて笑う。
「あはははは。……可笑しなことを訊くんだね。同じ方向じゃないか。まあ、途中までだけどね」
「そうだけど……」
「それとも、おれがそばにいると何か困ることでもあるの?」
とぼけた口調に、千鶴は再び赤面する。
「べ、別に、困ることなんて無いよ!」
勢いよく否定すれば、真一が肩を僅かにすくめた。
「じゃあ、問題ないよね」
「うっ……」
思わずうめき声がもれる。
真一の事を『好きだ』と自分の気持ちに気付いたのは、昨日の事だ。意識せずにいられるはずがない。
(あの後の勉強だって、どれほど心の中は大変だったか! それに! 今、どんな種類の好きかを訊かれたらどうしよう……)
顔を赤くしたり蒼ざめたり、苦悩の表情を浮かべながら悶々と悩みまくっている千鶴の横で、真一はそれはそれは楽しそうに最近読んだ本について話している。もちろん、話の内容は千鶴の耳を右から左へ流れていく。
「あっ!」
突然、千鶴は声を上げて振り向く。無意識のうちにかなりの距離を歩いて来ていた。慌てて鞄の中からスマホを取り出し、電話をかける。
何? どうかした? と真一が尋ねてくるのを無視し、千鶴はコール音に集中する。何度目かのコール音に後に、はい、と気だるげな寝起きのかすれた声が聞こえてきた。
「千里? おはよう。起きてる?」
『─────サル? モーニングコールしてくれたんだ。はは、……嬉しいな』
「サルじゃないから! あっ……」
すっと手から抜き取られたスマホを千鶴の目が追う。真一が能面のような表情で千鶴のスマホを摘まみ上げていた。
「千鶴の気まぐれに、勘違いだけはするなよ」
低く冷たい声音でそれだけ言うと、真一は『はい』と、スマホを千鶴へ戻して来た。
だが、電話はすでに切られている。
「ちょっと! 何、勝手なことするのよ!」
憤慨する千鶴を見下ろし、真一は一瞬口を開きかけたが、すぐに口を強く引き結ぶ。
そして、おもむろに千鶴の手を掴むと、すたすたと歩き出した。
「え!? ちょっ……、引っ張んないでよっ!」
「キノ、こんな所でグズグズしていたら遅れちゃうよ」
前を向いたままで真一はさらにぐいぐいと千鶴の手を引く。
「真一!」
さすがに傍若無人な態度にキレた千鶴が声を荒げれば、真一は肩越しに振り返る。笑みを浮かべようとしたようだが、その顔は笑顔と呼ぶには引き攣っていて、爽やかだったオーラもいつのまにか霧散し、どこか不穏な気配が漂っている。
「な、何? ちょっと、どうしたの?! 笑ってる顔が、怖いんだけど……」
「ははは。笑ってる顔が怖いって、……キノ、目がおかしいんじゃない?」
「! おかしいのは、あんたの顔よ!」
乾いた笑い声をあげる真一に手をしっかりと掴まれたまま、千鶴は学校への道を連行されて行く。
ちょうどその時、カラリと音をたてて窓が開いた家があった。
「へ~、……面白い」
窓枠に寄りかかり、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら去って行く二人の姿を眺めながら男が呟く。
その男は、桐谷千里だった。
読んでくださり、ありがとうございます! 楽しんでいただけたでしょうか? 千鶴もやっと恋に目覚めて、真一の恋が成就するのかと思いきや、千里の存在が真一を脅かしているようです。次回からは、千鶴の学生生活に、千里登場です。また読んでくださいね。宜しくお願いいたします。




