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46.願い。

真一の千鶴への気持ちがますます加速する。

「真一、おはよう」

「！　千鶴………？！」

　月曜日。

　いつものように家を出た有馬真一は、聞こえてきた声にぱっと顔を上げた。視線の先、眩い朝日に包まれるように、千鶴が門の前に立ってこちらを見ている。

　一瞬、『千鶴に会いたい』と思う欲求が見せる幻なのかと真一は思ってしまった。

　理由は簡単だ。

　いつも早朝練習がある千鶴にこのような時間に会えるはずがなく、さらに、朝練が無い日は家を出るのが真一よりも遅い千鶴には、朝から会えることなど今までに一度もなかったからだ。

「どうして……」

　思わず駆け寄る真一を、千鶴は笑みを浮かべて見上げてきた。清々しい空気の中、千鶴の笑顔が眩しく感じられる。

「土曜日、助けてくれてありがとう。真一のお陰で、怪我もなかったよ。それに、日曜日にゆっくりさせてもらったから、ほら、もうこのとおり、元気！」

　そう言って、千鶴は両腕に力こぶを作ってみせる。こぶといっても、可愛らしいものだ。それに、元気と力こぶの関係がイコールだと思っていることが不思議ではあったが、真一は素直に頷く。

「………うん。良かった」　

「元気になったって、どうしても真一に直接言いたかったの」

　そう言って笑う千鶴の様子からは、決して無理をしているようには見えなかった。元気になったということは、すでに千鶴のお母さんから連絡を貰っていたので知っていた。

　だが、苦しそうに喘いでいた千鶴の姿を目の当たりにしていただけに、実際に彼女の元気な姿を見るまでは、心から安心することができずにいた。

　いつものように笑う千鶴の顔を見て、やっと安心することができた真一の表情も明るいものに変わっていく。

「………今日、朝練は？」

「念のため、月曜日は朝も放課後も部活は休めって、先生が」

「そうなんだ。じゃあ、途中まで一緒に学校に行くことになるね？　………鞄の中身を地面にぶちまけたりしないかな？」

「ん？　何それ？　誰がそんなことするの？」

「キノ」

「は？　そんなことするわけないでしょ！」

　すぐにむきになる千鶴を見て、真一はつい笑い出してしまった。

　朝から千鶴がそばにいる。

　その事実に、心が浮足だつのを止めることができない。彼女の色んな表情が見たくて、ついからかいたくなってしまう。

（楽しくてしかたがないよ。千鶴）

　笑い過ぎてしまったからなのか、真一を置き去りにして千鶴はさっさと歩き出してしまった。真一はすぐに千鶴の横に並ぶ。

「………こうして学校に並んで行くのは、3年ぶりかな？」

　つんと前を向いて歩く千鶴を見下ろしながら真一は話しかける。

「え？　たった３年？」

　千鶴は驚いた顔で見上げてきた。

「………そう………か、そんなもんか。もっと長い感じがしてた」

　しんみりと呟く千鶴の言葉に、真一の胸が痛んだ。

　千鶴から離れると決めたことは、真一が勝手に決めたことで、千鶴にとってはあまりにも突然だった。退院した次の日に足をひきずりながら真一の家へ遊ぼうと誘いに来た千鶴に、『中学受験をするから、もう一緒には遊ばない。誘いに来ないで』と一方的に言った瞬間、真一は胸が引き裂けるのではないかと思うほど苦しくて、逃げるように扉を閉めた。

『真一に嫌いだって言われるのが怖くて、逃げてたの』

　先日、千鶴が心の内を打ち明けてくれた。彼女に辛い思いをさせてしまった事を、今は酷く悔んでいる。

　だが、一方で、初めて千鶴の本心を知ることができて、正直嬉しいと思ってしまったのだ。

（おれは、なんてひどい人間なのだろう）

　もし、自分が千鶴に同じことをされていたらと考えるだけで、足元が無くなるような恐怖を感じてしまう。

　もう傷つけたりしない。

　千鶴を大切にしたい。

　自分が傷つけてしまった傷を側に居て癒したい。

　もちろん、他の誰にも、傷つけたりなどさせはしない。その為にも、千鶴の側にいる権利が欲しかった。今は仲良しの幼馴染に戻れてはいるようだが、それ以上の進展を真一は望んでいた。

『千鶴の彼氏』になりたいのだ。

（おれが男だと、まず意識させないと………）

　佐倉を真一の彼女だと思い込んだ千鶴の動揺を知ってから、積極的に千鶴に揺さぶりをかけてはいるのだが、なかなか思うようには事が運べていない。

　なのに、千鶴の方は、『私は真一が危険にあったら、何度でも助けに行く』と言い放ち、さらに真一の心を鷲掴みにしてくる。

（おれをどれだけ好きにさせれば気が済むのだろう？）

　千鶴をそばに感じていたい。すでに勉強を教える時間だけではまったく足りない。千鶴欠乏症がかなり進んでしまっている。

（重症だな）

　いつも考えていることと言えは、どうやって別の学校に通う千鶴と少しでも多く会うかだ。

　以前、千鶴は付き合った人としたいことがあると言っていたが、それは真一だって同じだ。千鶴と付き合ってからしたいことなど、山のようにたくさんある。

　まず、『好きだ』と言いたかった。理由をこじつけたりしないで、触れたかった。

「真一、日曜日の夜にやってるドラマ見てる？　あの展開にはびっくりだよね。聞いた話だと、原作の小説があるんだって」

　楽しそうに昨日見たドラマの話をする千鶴を見つめながら、真一は苦笑する。隣を歩く幼馴染が朝から『触れたい』と思われているなど、千鶴はまったく想像さえしていないのだろう。

「キノ、現実は小説より奇なりって聞いたこと無い？」

「ん？」

　意味深に真一は千鶴に微笑みかける。

　一方の千鶴は、真一の心に僅かな罪悪感を感じさせるほど、無邪気な様子で首をかしげていた。

読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます。楽しんでいただけたでしょうか？　千鶴目線で書くよりも、真一目線で書く方が楽しいです。要目線も実は楽しい。では、また続きを読んでいただけるとありがたいです。