43.恐怖心。
無事に千鶴を家に送り届けた真一だったが………。
倒れた千鶴を家へ送り届け、有馬真一は佐倉要と共に自宅へ戻ってきていた。玄関の扉が閉まった途端、扉に背を付けたままずるずると崩れるようにその場に座り込む。
「え？ 有馬？！ どうしちゃったんだよ！！」
そばにいた要がひどく驚いた声をあげている。その声を聞きながら、真一は胸をせりあがって来る吐き気と戦っていた。胸元を握る手が滑稽なほどぶるぶると震えている。
「もしかして、気分が悪いのか？」
頷くこともできない真一の背を、慌てて跪いた要がつたない手の動きで撫でる。
（弱っている時に触れられる人の手は、なんて温かいのだろう）
脂汗を浮かべながら、そんな事をぼんやりと思う。
ふらりと傾いだ千鶴の姿を目にした瞬間、真一の体は勝手に動いていた。そのあとは、ただ無我夢中だった。
だが、無事に千鶴を家へ送り届けたあと、緊張の糸がぷっつりと切れてしまったようだ。大怪我を負い地面にうつ伏せのまま動かなくなった千鶴の姿が蘇って来て、その時の恐怖心が今になって真一を襲ってきていた。
心の中で、『千鶴は無事だ』と何度も繰り返す。
要の手の温もりを感じながらじっとしていれば、ひどかった吐き気がかなりましになっていた。
「………もう、平気だ」
そう言ってゆっくりと顔をあげれば、要が心配そうな表情を浮かべて覗き込んでくる。
「本当に？ 無理してない？ 真っ青だよ」
「………佐倉に嘘をついて、何かおれに得でもあるのか？」
「──うん。いつもの有馬だね。良かった～」
「？」
どこに安心させる要素があったのかは分からないが、明らかに安堵する表情を浮かべる要の顔を見つめる。かなり心配させてしまったようだ。本当に大丈夫なのだということを示そうと立ち上がる。
しかし、その目論見は見事に失敗してしまった。ふらついた体をすぐさま要が支える。
「佐倉………」
真一の瞳が揺れる。その目を見た要がお道化たように片目をつぶった。
「お姫様抱っこ、しようか？」
「───遠慮しておく」
「え～、残念」
「ぷっ」
おもわず噴き出せば、要が明らかにほっとしたように笑う。要は本当にいい奴だった。
要に支えられながら真一は居間へ向い、ソファに倒れ込むように横になる。
「何か、飲む？」
「………ああ」
目の上に右腕を置いたまま答えれば、佐倉が離れていく気配がした。
「勝手に冷蔵庫を開けたよ。起き上がれる？」
心配そうに尋ねてくる佐倉に頷いて応じ、身を起こす。
「………ありがとう、佐倉」
「えへへ、どういたしまして」
照れくさそう笑う要からよく冷えた水のペットボトルを受け取り、口をつける。要は水を飲む姿をじっと見守っていた。まるで少しの変調も見逃すまいとしているようだった。
「まだ、顔色は悪いね」
「そうか？ 今は、それほど気分は悪くないんだけどね」
思わず苦笑をもらせば、要が大きく息を吐きながら床に座り込んだ。
「………ほんと、びっくりした」
「ははは」
「………いつから気分が悪かったんだよ。ずっと、我慢してたのか？」
「いいや。本当に、家に戻って来てからなんだ」
両手で持っている半分ほどに中身が減ったペットボトルを見つめながら真一は答える。
「ええ⁈ そうなのか？ ………原因はなんだろうね？」
「………………怖かったんだ」
真一は自分の気持ちを素直に口に出していた。どうやら要には、自分の弱みを見せてもいいのだと思えるようになっていた。千鶴に対して感じるのとはまた違う好意。これを信頼と呼ぶのかもしれない。
そう、要はとうとう真一から友情を得るまでになっていたのだ。
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