42.真一が言うなら大丈夫。
倒れた千鶴が見た夢は小学校の時のこと。
『ちづちゃん、遅っそ～い』
『音無、先に行くよ！』
『サル！ 中庭な！ 先に行ってるからな！』
放課後、千鶴の教室を覗き込みながら男の子達が言いたいことを言う。
『サルじゃない！』
『あははははっ！』
笑いながら走り去っていく男の子達を見送る千鶴の後ろから戸惑うような声がした。
『音無さん、今日も有馬くんや桐谷くん達と遊ぶの？』
そこにいたのは同じクラスの女の子が三人並んで立っていた。あまりしゃべったことがない子達だった。
『うん！ 今日は空き缶見つけたから、缶蹴りするんだって』
缶蹴りに早く参加したかった千鶴は、答えながら急いでランドセルに教科書を突っ込んでいく。
『わたしたちも一緒に行ってもいい？』
『うん！ いいよ。じゃあ、一緒に行こう！』
そう言うと、千鶴はランドセルを背負い、後ろの扉から廊下へ飛び出す。扉の外で、真一が待っていた。
『真一！ 待ってくれてたんだ！ ありがとう！』
千鶴の弾けるような笑顔につられたように、真一も口元をほころばせる。
『今日はたくさんの人数だから、もっと楽しくなるよ！』
声を弾ませ千鶴は靴箱へ向かって走り出した。真一は飛び入り参加する女の子達に一瞬視線を向けたが何も言わずすぐに千鶴を追って駆け出した。その後ろを三人の女の子達もきゃっきゃ騒ぎながら駆けて行く。
次の日の朝、教室に入って来た千鶴を昨日一緒に遊んだ女の子たちが取り囲む。
『おはよう！』
千鶴の挨拶に女の子達は答えず顔を見合わせている。
『昨日は、楽しかったね！』
女の子達の妙な雰囲気に気付かない千鶴は昨日のことを思い出して笑った。
『………走ってばかりで疲れた』
『何が面白いのかわかんない』
『家でゲームしている方が面白い』
『え？』
千鶴には彼女達が何を言っているのか理解できず首を傾げる。
『ちづちゃんみたいに男の子とばっかり遊んでいるのは、男たらしって言うんだって』
突然、髪をツインテ－ルにしている子が得意げに言った。千鶴はむっとした表情を浮かべた。
『わたし、男たわし、なんかじゃないもん。女の子だし』
『はあ？ そんな事言ってないし！ それに、その髪型ってすっごい変！』
『絶対、男の子たちと仲良くしたいから髪を短くしてるんでしょ！』
どうしてなのか、昨日一緒に遊んだ女の子たちがなぜか千鶴を一斉に攻撃しはじめた。千鶴は状況が理解出来ずに茫然としている。
『千鶴の髪を切ったのは、おれの母さんなんだけど？』
背後から聞こえてきた声に、女の子達は顔を強張らせ振り返る。いつのまにか真一が冷たい表情で立っていた。
『あ、有馬くん………』
千鶴に『髪型が変』だと言った子が真一の名前を震える声で呟くと、すごい勢いで教室を飛び出していった。他の女の子達も急いで、後を追って出て行ってしまった。
『………真一、わたしの髪型変じゃないよね？』
『うん』
真一がこくりと頷く。それを見て、千鶴の顔に笑顔が戻った。
（真一が言うのだから大丈夫）
「！ ちづ？ 大丈夫？」
目を覚ました千鶴を心配そうに覗き込んできたのは舞だった。
「……あれ？」
千鶴はぱちぱちを瞬きをする。
そして、額に手を置きながらゆっくりと身を起こそうとして違和感を感じ、自分の手を見つめる。手に力が入らず、指先は僅かに震えていた。頭もぼうっとして上手く考えがまとまらない。
さっきまで体育館にいたはずなのに、いつのまにか自分の家のソファで横になっているのは一体……。
「………舞？ えっと、………私───」
「気分はどう？ ちづのお母さん呼んでこようか？」
「ううん。大丈夫」
「あ～、良かった。本当にびっくりしたんだからね！ 過呼吸になったんだよ！ 有馬君がここまで運んでくれたんだからね！」
「え？ 真一が？！」
（じゃあ、あれは幻覚でも夢でもなかったんだ。本当に真一がそばにいてくれたんだ）
だが、見まわしてみても、部屋の中には真一の姿はなかった。
（どうしてあの時、真一はあの体育館にいたの？）
「あら、千鶴。目が覚めたのね？ 三嶋さん、側に居てくださって、ありがとう。お茶を用意したからどうぞ」
「ありがとうございます」
「お母さん」
「体調はどう？ 今から病院に行く？ 用意はできてるのよ」
「あ、うん。でも、大丈夫。舞もありがとうね」
起き上がろうとすると、舞が手を貸してくれた。体全体が酷く重く感じるが、呼吸はずいぶんと楽になっていた。
目が覚める少し前、千鶴は小学生の頃の夢を見ていた。とても懐かしい。ただ毎日が楽しくて、真一達と笑い転げていた頃の夢だ。
それでやっと気付いたのだが、千鶴が困った時にはいつも真一がそばにいてくれていたのだと。
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