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君のことが好きなんだ。  作者: 待宵月
37/81

37.大家。

真一の前に一人の男が現れた。男の正体とは………。

 すでに陽は落ち、道を外灯と家々の窓から漏れる灯りが照らしている。その中を仲良く並ぶ二つの大小の影があった。


「今日はありがとうね! じゃあ、また明日ね。真一」

「うん」


 元気に手を振る千鶴に対し、真一は軽く手を上げて応じる。その背が暖かい明かりが灯る扉の中へと消えて行くのを見届けると、名残惜しい気持ちを振り切るように、真一は隣にある自宅へと足を向けた。

 だが、すぐに立ち止まる。

 彼の視線の先、ゆっくりと向かって来た車が真一の家の前で止まった。中から長身の男が一人降り立つ。


「珍しいな。おまえが、楽しそうに笑みを浮かべているとは」


 バックライトになっていて男の表情は分からないが、穏やかなバリトンの声に僅かにからかう響きがあった。


「何の用ですか? 大家さん」

「……気付いていたのか?」


 少し驚いた声が返って来る。


「まあね。……でも、母さんは今も気付いてないと思うけどね」


 質問に応じながら真一は自宅の門を開け、道で佇んでいる男を振り返った。


「……母さんはいないよ」

「そのようだな……」


 男は灯りが消えた人気のない真一の家を見上げて、呟く。


「……入れば?」

「入れてくれるのかい?」


 男が苦笑するのがわかった。


「そんなところに立って居られた方が迷惑だからね」


 嫌味ではなく、それほどに男には存在感があった。


「真一様」


 男の背後からもう一人、別の男が姿を現した。


「……松田さん?」

「お久しぶりです。これほど立派になっておられて、驚きました」

「松田さんは変わらないですね。おれは立派でもなんでもないですよ。ただ背が伸びただけです。それよりも、相変わらず大変ですね。こんな休みの日までこの人に付き合わされて」


 心から気の毒に思いながら声を掛ける。


「いいえ。真一様にお会いできたのですから、役得です」


 お世辞ではなく、男の運転手をしている松田という男は、本当に喜んでいるようだった。


「松田さんも、どうぞ」


 真一は外灯を点けると玄関の扉を大きく開ける。


「ありがとうございます。ですが、私はここで失礼いたします」

「松田、三十分ほどしたら迎えに来てくれ」

「分かりました」


 松田は男に一礼をすると、真一にも恭しく頭を下げ、車へ戻って行った。


「……どうぞ」

「ああ」


 再び真一が声を掛けると、男は素直に玄関へと入って来た。手入れの行き届いた高級な革靴を脱ぐ姿を見ながら、真一は気になっていたことを口にする。


「……どうしたの? 母さんの行動を把握できていないなんて」


 男の眉がぴくりと動く。


「今、母さんと仕事を組んでいる人はかなり頭が切れるのかな?」

「……」


 どうやら、図星のようだった。

 おそらく、その男にまんまと出し抜かれたのかもしれない。表情だけ見れば、何とも思っていないようにも見えるが、内心穏やかではないはずだ。無言のまま真一の後ろを付いてくる。リビングの中へ足を踏み入れた途端、男の雰囲気が変わった。どこか感慨深気にリビングの中を見まわし始める。


「懐かしい香りだ。……どうして、この家の持ち主が私だと気づいたのか、教えてくれないか?」


 真一に広い背を向けたまま、男が問う。


「ああ、それはこの家を借りる条件があまりにおれ達には都合が良過ぎた。留守の間、家を管理すれば家賃はいらないなんてね。それに、この家の家具や内装がすべて母さん好みだったからね」


 コーヒーの用意をしながら、真一は答える。


「その割には、あまり生活感がないようだが……?」

「母さんは海外に赴任中の家主がいつ戻って来てもすぐに明け渡せるように、とても綺麗にこの家を使っているからね」

「……綾芽らしい」


 ソファに腰を下ろし、どうやら落ち込んでいる様子の男の前に湯気があがるカップを置く。


「……本当は、おれ達三人でここに住むつもりだったんでしょ?」

「真一、いつのまに自分の事を『おれ』と、言うようになったんだ?」


 質問されたことには答えず、男は別の事を口にした。


「昔とは違うんだ。……それに、一度手放したものを再び手にいれることは容易くはないからね。父さん」


 苦い思いを自覚しながら告げた真一の言葉に、男は『そうだな』とだけ呟いた。


「はい、どうぞ。口に合うかわからないけど」

「ありがとう」


 真一がローテーブルの上に湯気がのぼるコーヒーカップを置けば、父はすぐに手を伸ばし、香を楽しむように目を閉じた。


「良い豆だ。それに、綾芽の好きな味だな」

「そうなの? 母さんが貰ってきた豆なんだ」

「……」

 

 真一も自分のカップに残りのコーヒーを注ぎ込み、再び黙り込んだ父の横に座る。


「……父さん。おれ、好きな子がいるんだ」


 父が顔を上げ、真一を見た。


「先ほど、おまえが笑顔を向けていた子だな?」

「うん」

「昔、おまえを助けた恩人でもある」

「そうだよ」

「そうか。おまえは間違えるなよ」

「もう間違えたよ。今、彼女の隣に立てるように足搔いている。なりふり何て構っていられないくらいにね」 

「……なるほど、私もなりふり構わず足搔いてみるか」

「うん。母さんは今でも父さんのこと好きだよ」


 父が無言で突き出した握りこぶしに、真一は自分のそれを軽くぶつけたのだった。



読んでいただけて嬉しいです。ありがとございます。楽しんでいただけましたでしょうか? さて、真一の父親で出てまいりました。彼にも幸せになってもらいたいとは思っていますが、彼についてはどうなるかは、分からないんです。では、また時間があれば、続きを読んでいただけると嬉しいです。

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