35.知っていたよ。
千鶴の心の傷を知った真一。それも、傷つけていたのは自分だと知って………。
女達に詰め寄られている千鶴の姿を見つけた時、全身の血が逆流するような怒りが真一の身を焦がした。
だが、今はその怒りが自分自身に向けられている。
（守りたくてそばから離れたはずなのに、その事が逆に千鶴を苦しめる結果になっていたなんて……）
改めてこの腕の中にある大切な者を守りたいと強く思った。自分から離れるという愚行を二度としない。愚かにもほどがある。自分も傷つき、千鶴も傷つけてしまった。
もし過去に戻れるなら、千鶴に出会った時にまで戻って、素直に好きだと伝えたい。ずっとそばにいて、誰からもどんなことからも守りたいと思った。
弾けるような笑顔が曇ることがないように。
輝く瞳が涙で濡れることが無いように。
「知っていたよ」
そう告げれば、腕の中の千鶴の体が僅かに動いた。真一は彼女を閉じ込めていた腕の力を緩める。
「……」
千鶴は無言で真一を見上げてきた。大きく見開いた目が不安そうに揺れている。その目が真一の庇護欲を掻き立てた。再び強く抱きしめたくなる。
だが、真一は理性を総動員して自分の気持ちを押えつけ、千鶴を安心させるために微笑んで見せる。
「ずっと、俺の事を心配してくれていたね。君を傷つけている俺のことを千鶴は見捨てずに気にかけていてくれていたじゃないか。ちゃんと分かっていたんだ。だから、千鶴が謝ることなんて何もないんだよ。逃げていたのは俺の方なんだから」
そう。真一は気付いていたのだ。身勝手に理由も告げずに離れた真一の事を千鶴が心配していることを。
ごめんね、千鶴、と囁けば、澄んだ瞳から再び大粒の涙が溢れては零れ落ちていく。その姿に、胸がズキっと痛んだ。たまらずに千鶴の頭を抱き寄せる。
「……ちょっと、話が長くなるから、場所を移動しようか？」
そう告げれば、千鶴は真一の服に、まるで縋るように掴んできた。
「……もしかして、私達って、目立ってるの？」
涙に濡れた千鶴の声は強張っていた。
「まあね」
「！」
びくりと千鶴の体が揺れた。きっと可愛く頬を赤く染めているに違いなかったが、残念ながら真一の胸元に隠すように埋めているその顔を見ることは出来ない。
もちろん、真一もまわりの視線が気にならないわけではなかったが、それよりも自分の腕の中にいる愛しい者の存在にすべての神経が集中していた。
もっと違う形で抱きしめていたかった。千鶴の温もりを感じていたかった。
真一は恥ずかしがっている千鶴のために、彼女が着ているパーカーのフードを引き上げ千鶴の頭を覆う。
「これなら、顔はまわりの人には見えないんじゃないかな？」
そう提案すると、千鶴は真一の服から片手を離し、フードの縁を摘まんで顔が見えないように引っ張っている。子供の頃に、泣いた顔を見られたくない彼女が良くしていた仕草だった。
少女から大人の女性へと向かって、千鶴の姿はどんどん変わっていこうとしていた。
けれど、彼女の本質はまるで変わっていない。その事に真一はどこか安堵している自分に気付く。
（……俺は、千鶴が変わっていくのを怖れているのだろうか？）
自分の心の内もはっきりと理解できていないのだから質が悪い。きっと、側にいる千鶴にはもっと不安にさせていることだろう。
「あっ」
まだ真一の服につかまっている手を掴み取れば、驚いた千鶴が慌てて顔を上げた。思ったとおり、頬が赤い。泣いて鼻の先も僅かに色づいているのが可愛かった。
「じゃあ、行こうか？」
さらに頬を紅潮させ千鶴がこくりと頷く。
真一は千鶴の手を引きながら、しっかりと前を向いて歩き出した。
千鶴には突き放していた理由を話さなくてはならない時が来てしまったようだ。
だが、好きだと言うことはできない。
（……おれが千鶴を好きだと知ったら、君はどんな顔をするのかな？）
触れ合った掌から千鶴の体温がつたわって来る。この温もりをずっと手放したくないと強く思う。
千鶴への想いばかりが募っていく
本当のことを話せば、千鶴はどう思うだろうか？
怒ってもいい。呆れてもいい。
（でも、嫌わないで……）
嫌われるのを怖れているのは、恐らく真一の方だ。
街の中にある公園に向かいながら、真一の心は大きく揺れていた。
読んでくださり、ありがとうございます。読んでくださる方が少しずつ増えて、とても嬉しく思っています。本当に、有難いことです。もうすぐ今年が終わりますね。今年は残念ながら、この35話までとなります。次の36話は来年です。また引き続き読みにきてくださると嬉しいです。では、皆様、どうか良い新年をお迎えください。幸多き事を心より願っております。
