桜談話
春。壮大なる草原の中に凛と咲き誇る一本桜の下で、男は竪琴を奏でる。
黒の騎士服に身を包む蒼髪の男は、静かに微笑み、桜を散らすそよ風に、その音色をそっと乗せる。
「あ、いた! エドワード!」
聞き覚えのある、元気のいい声。手を止め、声のする方に目をやる。そこには、白の騎士服に身を包む、浅緑の髪の青年が居た。
彼は、エドワード、と呼ばれた男に駆け寄る。
「何だ? アーサー。どうせ特に何もないんだろう?」
あ、バレた? 困り笑いでそう言う青年アーサーは、蒼髪の男エドワードの隣に腰かける。
「桜、きれいだね」
目を細め、アーサーは、桜の花を眺める。風に乗り、儚く、青空の中に散りゆく花々を。
「この花、桜というのか」
知らなかった。エドワードの言うに対し、アーサーは、そうなの? 本当に? と問う。
エドワードは、寂しそうにうなずく。
「こんなに美しい花なのに、俺の国にはなかったからな。いや、もしかしたら――」
もしかしたら、あったのかもしれない。エドワードは言う。俺が、気づいてなかっただけかも知れない。
俯き、黙り込むエドワードに、そっと空を仰ぎ――アーサーは、呟いた。
「桜は、綺麗だけどさ。知らない方が、よかったのかも」
なぜだ? そう問いたげに、エドワードは、アーサーを見つめる。アーサーは、哀しい笑顔を見せ、訳とも言えぬ訳を語りだした。
「桜は、綺麗だけど、見ていると悲しくなってくる。僕たちに似てるからだと思うんだ」
俺達と桜が、似ている? 素直な問いに、そう、と一言。エドワードは、なぜ、そう思う? と、質問を重ねる。
「僕たちは、いつ死ぬかもわからない人生を生きている。終わりは、年老いたときに来るのかもしれないし、誰かの手によってもたらされるのかもしれない。もしかしたら、自分で終わらせるのかも」
死に方には、色々ある。でも――そこで、アーサーの言葉がつまる。ふぅ、とひとつ息を吐き、彼は、再び言葉を紡ぐ。
「たとえどんな死に方をしたとしても、それは、とても、儚いものになるんじゃないかな」
この花みたいにか? 問うエドワードに、ん、と、彼は、短い返事をした。
確かに、そうだな。微かに言い、エドワードは、再び頭を下げる。
そんな彼を見つめしばらく、アーサーは、でもね、と続ける。
「この花があってよかった、って思うこともあるんだ」
薄桃色だからかな。笑い声で、彼は言う。先の見えない人の世を、手探りで生きている僕たちのことを、この花は、そっと微笑んで、励ましてくれているような気がする。消える間際にも、諦めず、笑って、精一杯、生きようとしているように見えるんだ。
だから、毎年、この花を見るたびに、ああ、今年も生きよう、そう思える。
それに。
「この花がなかったら、僕は、風に乗って聞こえてくる美しい音色に、耳を傾けることはなかっただろうし」
聴いてたのか? 問うエドワードに、ごめん、と、アーサーは、申し訳なさそうに謝る。エドワードは赤面する。恥ずかしさのあまり、言葉がでない。アーサーは、眉尻を引き下げ、笑う。
「人がこっそり弾いてるのを盗み聞きするな。相変わらず、人が悪いな」
自覚あるのか? 未だ赤い顔で、エドワードは問う。もちろん。笑いながら答えるアーサーに、彼は頭を抱え、最悪だ。そう呟いた。
沈黙が続く。しかしそれは、重いものではなく、どこか、心地良いものだった。
東にあった太陽は、いつの間にか、真南に近づいている。
「なあ、アーサー」
何? 優しい声で、アーサーは聞く。その顔は、齢17にしては穏やかすぎる気もしたが、それでもやはり少年のようだった。
その事に、少し、安心し――エドワードは、ちょっとしたことを問う。
「俺を、呼びに来たんだろう?」
その問いに、ほんの数秒考え――アーサーは、再び微笑んだ。
「そうなんだけどね」
桜の散りゆく青空を仰ぎ、言う。
「しばらく、こうしていようかな」
エドワードには、隣で微笑む彼の横顔が、どこか、懐かしく思えた。
澄み渡った青空の中に、薄桃の桜は、儚げに散ってゆく。
エドワードは、再び竪琴を奏で始める。
アーサーは、それに耳を傾け、かつて、どこかで聞いた歌を、そっと口ずさむ。
桜の花びらは、風に舞い、彼らを優しく包む。
そんな、束の間の休息は、短いようで、長いようだった。