プロローグ 死後観
人は死んだらどこにいくのだろう?
そんな問いは、人類が地球に誕生し、そして誰かの死を見た時から、死という概念を知ってから、人類に付きまとってきた永遠の疑問だろう。
人間は死ぬ、これは絶対。
心臓が止まり、生命活動が停止し、やがて身体も腐り、後には大したものは残らない。
それは人間に限らず全ての生きとし生けるものに共通する真理だ。
では、その後は?
死んだ後はどうなる?
天国、地獄、極楽浄土、魔界、あるいは今流行りの転生?
そんなことは誰も知らない、知る由もない。
確かめる術は1つだけ、自分で死んでみることだ。
しかし、ここで一つ新しい疑問が浮かび上がる。
人は死んだらどこにいくのだろう?――その疑問に明確な答えがあったとして、果たして俺達はそれに納得するだろうか?
天国、地獄、極楽浄土、魔界、あるいは今流行りの転生。
もしくはあらゆる全ての、あまねく宗教が想定していなかった全く新しい世界。
そのどれかだったとして、だからどうなる?
死後の世界が確約されたところで、いま生きている俺たちの人生に何か影響はあるのか?
生きている限り立ち向かわなければならない現実の壁は、そんなことでは揺らがないのではないのだろうか?
ならば――そんなものは知らない方がいい。
そんなものは死んだ後の楽しみに取っておけばいい。
お楽しみはこれからで。
お苦しみがこれからだ。
死んだら楽になるのか、もっと苦しむのかはわからないけれど。
そんなわけのわからないところに飛び込むより、たいていは生きていた方がマシだ。
死後の世界に思いを馳せることはあっても。
死後の世界に想いを寄せることはあってはならない――そう、思う。
だから、人は死んだらどこに行くのだろうという人類永久のテーマにあえて答えるとするならば。
「そんなことを考えているうちは当分死なないから安心して生きろ」
なのかもしれない。
「それは君が無宗教の国で生まれ育って、そして生と死の狭間を彷徨ったことも、死にたいと強く望んだことも、何より死んだことがないからそんな気取ったことが言えるのよ」
そんな事を、ある女の子に言われたことがある。
随分と棘を含んだ物言いだった、もしかしたら怒っていたのかもしれない。
彼女の身の上をよく知る俺からすれば、さもありなんと思った。
俺は別に彼女を怒らせるためにそんなことを言ったわけではないのだが。
ただの雑談の延長として、一種のノスタルジーを交えた談議のつもりだったが、しかし。
彼女には質の悪いブラックジョークにでも聞こえたのかもしれない。
「仏教にしろ何にしろ、『死後の世界は誰にも分からない』っていうのを前提にした宗教なんだし。現世でいい行いをすれば来世は救われるだとか、輪廻転生だとか、『分からない』からこそ好き勝手言えるのよ。それなのにある日突然科学だかなんだかで『死後の世界』が完璧に解き明かされようものなら、商売上がったりならぬ宗教上がったりね」
彼女はそう続けた。
確かにその通りだと思った、どこかからばちが当たりそうな意見だが。
しかし、彼女はもうばちが当たるような身体ではない。
否――そもそも身体がない。
既に理不尽な、罪なき罰を受けて。
彼女は現世には存在しない、形而上では。
にもかかわらず、彼女がここにいるということは。
つまり、『死後の世界』なんてそんなものだということだ。
「もしかしたら私は例外で、しっかり成仏した人は別に行くところがあるかもしれないわよ?じゃないとみんながみんな死んでも霊体としてとどまり続けるなんてことになったら現世が霊でパンクしちゃうわよ」
幽霊でパンクした世界など、百鬼夜行もいいとこだ。
だが、実際に彼女がこうして俺の前でおしゃべりをしているということは、人によっては死んでも現世にとどまり続けることがあるだろうということ。
彼女は例外であり、特別かもしれないが。
彼女だけが例外で、特別なわけではない。
それを俺は、思い知ることになる。
死んでからもなお人を縛り続ける怨念や悔恨や恨みつらみなど、世の中にいくらでもあふれており――。
それは毎日のように通っている学校でも同じだということ。
そんな当たり前の事実を、俺はこの果敢ない身をもって痛感することになる。
それでは、あの忌々しくも懐かしい記憶の数々を思い起こそう。
俺、白谷道弥の高校三年生の六月。
どこにでもいるプチ家出の経験がある男子高校生が、どこにでもいる受験生として奮闘を始める直前での、掛け値なしに命を懸けた激闘の日々。
それは普通の男子高校生が経験するには、あまりに魑魅魍魎が跳梁跋扈し、妖怪変化の類が七変化しながら、摩訶不思議な不可思議が渦巻いていた。
それは、誰しも聞きなれた都市伝説。
舞台は慣れ親しんだ高校。
隣には、頼れる仲間の美少女幽霊こと後藤朱音。
挑んだのは、七つの超常現象。
所謂――、学校の七不思議だった。