第1幕―8 その来歴 平凡には程遠く
通常魔導術は、魔導炉と魔導経路を魔導力が循環することで発生させることのできる超常現象の効率化のことを指す。この過程で魔導力は体液を通る性質があること、付近に体液があればそこに伝播すること、蓄積できる量は魔導力を産み出す魔導炉と魔導経路に比例すること、とある決まった経路を循環させることで特定の超常現象を起こすこと、魔導炉と魔導経路の中で作りことのできる経路で行使できる異能が決まることなどが判明した。
これにより体液、主には血液を利用して経路を形成したものに魔導力を巡らせば自身の魔導経路では行使できない異能を行使できるようになった。単純な異能なら魔導力を通すだけでも行使でき、経路のパターンの研究によってより特殊な超常現象――――例えばジラの使った、対象を追尾する魔導術である捕縛の神鎖もイメージを伴えばほとんど確実に行使できるようになった。そしてこのイメージを形作るために現象を連想させる言葉、いわゆる呪文を設定することが多くなった。
この経路を人工的に形成し、持って生まれた経路では行使できない異能を行使すること。および蓄積できる魔導力の増加を目的に生み出されたものが血環魔導術である。簡単に説明すれば、人体を走る血管を魔導経路に、血管へ血液を送り出す心臓を魔導炉に見立てることで行使できる異能と魔導力の蓄積量を増加させるものである。これは、ある一人の流体を操作することに長けた魔導師――イグニットが考え出したものであり、その実現のための手段によって忌み嫌われるようになったのである。
その手段は、魔導経路と魔導炉をそれぞれ血管と心臓につなげること。所謂外科手術によるものであったが、その男に満足な外科手術に必要な知識などあらず、技術を持つために多くの人間を実験台とし死に至らしめたのだがそれでもなお不完全であった。繋がった血管と心臓は魔導経路の延長になり、使用できる異能の種類は増えたが魔導力を産み出さなかったのである。そして、その男が導き出した答えは、他の魔導師の魔導力を奪うことであった。流体を操作することに長けたその男は、他の魔導師を負傷させその血液を操作し魔導力を絞り出し取り込んだ。最初の1人で魔導力が増加したことを確認した男は、これによって次々と魔導師を襲撃し魔導力を吸収した。その結果、膨大な魔導力によって生命力が増加し怪我の治癒速度が上昇、また身体能力も同様に増加した。さらに、死体に対して自身の魔導力を流し込み傀儡とする魔導術を開発した男は、死体と血環魔導術に魅せられた異端派を取り込んだ勢力となった。このことから、血環魔導術は吸血鬼と呼ばれ忌み嫌われるようになった。
ハンナ・アトウッドは吸血鬼である。その来歴は古く、本人は隠匿派の魔導師の元に生まれたために正確な年月を理解していない。だが、この後の経験から1930年よりも前であることは確かであると考えている。
ハンナの幼少のころの記憶は、決して陰惨ではない。イギリスにおいて、穏やかな母と水を操る不思議な力を持った父に愛された穏やかな生活が続いた。だが、おそらくはもうその頃から今の結末をたどることは決まっていたのだろうと思い返すたびにハンナは考える。
きっかけは、ハンナの母が死んだことだった。父に問いかけても遠いところへといったのだと返すばかりだった。昨日の夜、寝る前に母は父と話していたはずだったのに。だが、その疑問をハンナは気付かぬふりをして蓋をした。もうこの時に、父は自身の知る穏やかな人ではないと幼心に気付き、けれど付き放されぬために自分に嘘をついたのだろう。だが、その結果は燦燦たるものであった。
母が死んですぐに、ハンナとその父は自身の住んでいた家を出た。正確には、父が出かけなければならないと言い、ハンナはそれに従ったに過ぎなかったが。ハンナは母の思い出の残る家を出たくはなかったが、父の鬼気迫る様子に、再び自身に蓋をした。
その後、二人はドイツ近辺に移り住んでいた。この時から目に見えて父の様子はおかしくなったとハンナは記憶している。この時9歳のハンナは父の用意した家に住んでいたが、時折父以外の人の声が聞こえるようになったのだ。
そして再び移り住むことが決まった。今度はハンナも特に反対はしなかった。日に日に聞こえる人の声は苦悶に満ちはじめ、もはや耳を懸命に塞いでも聞こえるほどだったのだ。
「歓迎しよう、魔術師殿」
着いた先にいたのは、黒い服を着た男たちだった。その口にした言葉に、幼いながらも魔術師の秘匿に対して聞かされていたハンナは父を見るが、感情の浮かばない笑みを浮かべた父に言葉が出なかった。
そして、ここからがハンナ・アトウッドの運命が致命的に狂わされる起点であったのだ。