第1幕―6 その力、人の範疇に非ず
「あぁ、そういう類の方々でしたか」
魔導力の霧散した右の掌の感覚を確かめるように握ったり開いたりを繰り返しながら、ハンナはぼそりと呟く。右手そのものには特に異常はない、魔導力も放出出来ないだけで巡っている。ハンナにとってそれは問題とは言えなかった。
「で? これだけですか?」
「ハッ、そういうとは思っちゃいたが――なめんなよッ!」
アルジーの啖呵とともに、こちらへ向けられた右手から火球が飛来する。速度は決して遅くはない、ハンナの瞬き1つの時間でアルジーのいる5メートル先から鼻先まで、すでに到達していた。それを認識して、ハンナは右へと飛び出し風を切り、その挙動で足元のアスファルトが砕け散る。もし身長120足らずの少女の移動で起きたその光景を誰かが目撃したのなら、あまりに非現実的で自身の正気を疑うか夢かなにかだと考えるだろうが、今この場にはそんな人物は存在しない。
「水よ! 我が意を得よ! 捕縛の神鎖!」
ハンナの飛び出すタイミングに合わせるように、ジラの元から水流の鞭が狙いを定め蛇のように迫る。一方飛び出したハンナは、飛び出したその勢いのまま進行方向にあった看板、その脚である鉄パイプへかかとを向けた。アスファルトを砕く勢いに生み出された衝撃は、耳に突き刺さるような金属音とともに鉄パイプをひしゃげねじ切るという、ハンナの華奢な足に見合わない結果をもたらした。当然、その足は鉄パイプ同様にひしゃげた様に傷ついたが瞬きの間もなく、元のつるりとした陶器のような状態へと時間を巻き戻したかのようになっていた。
それを意に介さず、ひしゃげた脚を左手で無造作に掴んだハンナはそのまま手前に引きながら、自身の身体を隠すように看板の後ろへ回る。そうして右手で看板を押し出せば、甲高い悲鳴を上げながら片一方の脚がねじれ看板部分が歪み、迫り来ていた水流の鞭を受け止めた。
はっきりと見て取れるほどに看板の裏が、ちょうどハンナの右手が添えられた箇所を中心に音をたて歪む。ぶち当たった鞭の衝撃が、痺れとともに伝播する。だがそれにはさほど強度がないらしく、地面へと水がしたたり落ちていた。ハンナはそれを跳躍の瞬間に認識し、地面から3メートルほどの高さからの視界の中で看板に向かう火球を認識した。そしてアルジーとジラの顔に浮かぶ表情、そこに嘲りを見たハンナの頭に一昨日の追跡劇の結末がよぎる。瞬間、重力にひかれ火球が直撃した水浸しの看板まで1メートル足らずのハンナに衝撃が走った。そのまま弾き飛ばされ、眼前に建物の壁が迫る。だがハンナはくるりと回転し、壁に足を向け、そのまま壁を蹴り猫を連想させるようなしなやかさで地面へと降り立った。
「うひゃー、見た今の? 一昨日なんかくるくる回って情けなく飛んでったってのに、華麗に着地なんか決めちゃってさ。さすが吸血鬼、魔導術なしでもやっぱ化物ね」
「だな、だからこそ全部ぶち殺すんだ」
――――吸血鬼とは、禁忌とされ忌み嫌われるとある魔導術の行使者のことを指す蔑称であり、その魔導術は血環魔導術と呼ばれるものである。それは多種多様な魔導術の行使を可能とすることに、膨大な魔導力を保有するものである。そして、蔑称通り吸血鬼じみた強靭な身体能力と高い治癒能力を持つという副次的な効果も存在する。
「お褒めにあずかり光栄ですわ。そちらこそ、まさかこんな魔導術の応用を思いつくなんて思いもよりませんでした。それにしては、なぜこの結界を一昨日は機能させずに襲ってきたのか不思議ですが」
蔑みの言葉を聞き流し、代わりに素直な疑問をぶつけてみれば、その言葉にジラはよそを向きアンジーは隣を睨み付けていた。
自身の、おそらくは吸血鬼のみ魔導力の放出を阻害するような高度な代物を使いこなせていない様子に、聞くことが出来たと思ったハンナは、すぐにその思考を脇に置いた。そもそも自分は交渉だとか、尋問だとか、口を使ったものには向かない。なら、どうする? 簡単なことだ。
ハンナは、すぐわきにある自動販売機に手をかけ力んだ。側面に添えた左手が薄い鉄板を食い破り、地面に打ち込まれたネジが甲高い悲鳴を上げるのを意に介さずに持ち上げる。
「おいおい、そんな派手にぶっ壊していいのかよ……」
「貴方達が自前の結界を展開するのに利用したものの効果は、ご存じでしょう?」
呆れたような声を上げる神父に、あくまでも涼やかに対応する重量400kgはあるであろう自動販売機を持ち上げる人形のような少女、人通りのない街並み。出来の悪い子供向けのアニメのような、常識も物理法則もない空間にギチギチと自動販売機の悲鳴が響く。そしてハンナは口を開き言葉を紡ぐ。
「それに、貴方達とお話しするのも街並みを直すのも、私なんかよりずっと得意な方々にお任せすると決めているんですよッ!」
そして人ならざる者によって、脳筋な言葉と自動販売機が神父とシスターへと投げつけられた。