序幕 その男、普通に非ず
序幕
「あ、あの、すみません……私、人を待たせてるんです」
「そんな釣れないこと言わないでさ、五分もかからないから一緒にお茶しよ、ね?」
傾いた日の光が赤く辺りを染める夕暮れ時、帰路に就く人で明るい雰囲気の大通りを一歩外れた路地で男が女性に声をかけている。だが建物の壁に女性を押し付けるように追いやり、大通りの側で2人の男が路地を塞ぐように立ち、大通りからこちらへ視線を向ける人に対してジロリと威圧的な視線とともに舌打ちをして人を寄せ付けないようにしているのだから、お世辞にも穏やかな話ではないだろう。
女性は自身の不運を嘆いていた。特に人通りの少ない場所を歩いていたわけでもないのに、金や茶色に頭髪を染めた柄の悪い男たちに声をかけられたのだ。溜息のひとつも着きたくなるが、あまりいい結果にはならないだろう。さらに運が悪いことに、ナンパによく使われるであろう文句のように済みそうにないことが、少しばかりプロポーションに自信のある身体を這い回るように見ている目の前の男の視線でよく分かってしまった。
「ほんとに人を待たせてるんで……これで失礼します!!」
二進も三進もいかない状況を打破するべく、仕方なく路地裏へと走り去ろうと女性は身体を左へとひねった。
「だぁかぁらぁ、そんなに時間はかからないって言ってんでしょ? 話聞いてるぅ?」
だがその眼前に、男が左手を突き出し進路を塞ぐ。あぁ、これが所謂壁ドンなのね、完全に進路を塞がれたために思わず現実逃避をしてしまった女性を尻目に状況は動き出す。
「なぁ、もう連れてっちまえばいんじゃね?」
大通りの側にいた2人のうち、金髪で最も大柄な男がしびれを切らしたらしくそう提案したのだ。残りの2人も異論はないらしくすぐに話はまとまってしまった。
「ってわけで、ちょっとついてきてもらうよ。だいじょぶだいじょぶ、時間はとらないからさ。……あんまり暴れんじゃねぇぞ」
最後の小さな、しかしどすの利いた声が女性を現実に引き戻すがしかし、いつの間にか肩に置かれた手が強く掴んだ痛みと、ほとんど初めて向けられた悪意に濡れた声に小さく声を漏らすことしかできず、それは大通りの雑踏に紛れて消えた。そのまま路地の奥に連れて行かれそうになる女性と、女性を押さえつけるように進む茶髪の男と心配そうな視線を向ける通行人に舌打ちと視線で威圧する二人の大柄な男はそのまま路地裏へと進み。
「あっ、もしもしお巡りさんですか?今なんかすっごいガラが悪い男が3人がかりできれいなおねぇさん路地裏に連れ込もうとしてるんですけど。…………えぇ、はい、無理やり」
呑気な声が聞こえた。その場で振り返ればリュックを背負ったそれなりに背の高い男が、スマホを使って110番通報をしているらしい姿があった。
「あっ、はい場所ですか……今は確か」
「おい、ちょっと行って来いよ。めんどくさくなる前にさ」
「ちっ、わかったよ……おい、てめぇなにしてんだ、あぁ!?」
女性を押さえている男はどうやらこういったことに慣れているらしく指示を飛ばし、一番大柄な男が大声で怒鳴り散らしながら現在地を教えようとしている男へと近づいて行った。いつもならこの大柄な身体と怒鳴り声ですぐに怯えてそそくさと、何も見なかったように逃げ出してお仕舞だったが、今回は勝手が違った。
「……番地、ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁ!!犯されるッ!金髪でピアスで I'm a demon ってプリントされただっさい黒のTシャツ着た男に犯されるうううぅぅぅぅぅぅ!?]
「ハ、ハアアアアァァァァァァ!?」
男を出迎えたのは、少し特殊な性犯罪者認定だった。それはあまりにも説明的で、そして男の特徴をしっかりと理解できる、電話相手に親切で目の前の男にはあまりにも不親切な叫びだった。その声に、大通りにいたほとんどの人間の視線が集まり、ひそひそと話が始まる。その内容は、説明の必要はないだろう。
「……野郎ぅ、ぶっ飛ばしてやる! オラッ……このッ……避けてんじゃねぇぞ、くそがぁ!」
頭に血が上った金髪の男は、目の前で何食わぬ顔で通話を続ける男に殴りかかるが、ヒョイヒョイとまるで風に舞う木の葉のように軽々と躱して見せるその様子にさらに苛立っていた。
「バカッ、落ち着け! おい、とっとと逃げんぞ見てねぇで早く手伝えよ!」
あまりに騒ぎが大きくなったためか、リーダー格らしい茶髪の男が女性を放り出して金髪を押さえようとするが、1人では手が足りず残っていたもう1人も呼びつけた。結果、3人の男は怒り心頭の金髪を2人が引きづるような形でどこかへと逃げ出していった。
「はい、もう大丈夫です。どっかいっちゃいました。はい、はい、いつもすんません。それじゃ失礼しました~」
あまりの急展開に、放り出されてから呆然としていた女性は目の前の、助けるために通報してくれたらしい男が通話を切ってスマホをしまってから我に返った。
「あの、助けていただいて、ありがとうございました!」
すぐに頭を下げた女性に対し、男は照れたように笑いながら口を開く。
「どういたしまして。……なんなら今から一緒にお茶しません?」
「…………ひ、人を待たせてるんで、失礼しましたぁぁぁ!」
最後の一言に女性は思わず顔をこわばらせて叫ぶように断った後、走り去っていった。それを見ながら男は頭をかきポツリと一言。
「お腹、すいたな。DX銀鮭弁当買って帰ろっと」
女性の態度など気にせず、呑気に呟いて帰路に就いたのだった。
この物語は、御覧のように普通だとは到底言えない男、樫屋修三がやはり普通とは到底言えないような物事にかかわっていく物語である。