第五十二話:旅立ちの刻(とき)、それだけは忘れずに。
ようやくビーズの本質に気付いた優成。それは一日一粒ずつテグスに通すとやがて運気が上昇し、結果的に幸福が訪れ更に物事が自分の思い通りに進むという代物だ。
ただしそれをいい気になって暴走した使い方をすると自分や周囲の人々を奈落の底に落とすリスクを伴うものでもある。
優成の友人、石神井さやかの従兄弟である川越勇一は約七年前、十六歳の夏、さやかから貰ったビーズの効果でずっと好きだった末砂記の姉、絵里を恋人にし、その上、絵里、末砂記の母親、よし江と不倫関係を持った。
その行く末は絵里を原因不明の死に追いやり、よし江を現在に至るまで行方不明としてしまった。勇一本人は末砂記を人気のない波音のみが響く、灯台の光が僅かに届く夜の海岸に呼び出し、謝罪の意を込めて彼女の目前で焼身自殺を試みたが
『本当に償う気があるなら生きて償ってほしい』
と、止められ命を取り留めた。
ビーズに於ける不幸な例は今の所その一件だ。他のビーズ使用者たちは所謂『幸福』を手にした事になる。優成が気付いたのは何故欲求のまま自分勝手な事をした者は不幸に陥り、純粋に幸福を願った者はそれを手に入れられるという理由だ。
◇◇◇
俺がようやく辿り着いた答え、それはこんなにも単純な事で、これこそが『幸福』の真意であると確信した。
石神井さんが小学生の頃、謎の老婆からビーズを貰った事から始まり、末砂記のお姉さんや末砂記を介して俺やオタちゃんに渡ってきた、『幸福になれるビーズ』。
では『本当の幸福』とは誰のもので、どういった条件で成り立つものか。そこから考えた、というよりは自身の胸中を探ってみた。
とはいえ、それだけではきっと独りよがりな結論に達してしまうと俺の心は先ず訴えた。そこで俺は末砂記をはじめ、身の回りの人々とのコミュニケーションのうちに、時に自分から求めた訳ではないがヒントを貰った事もあった。その他の人物も、時に反面教師も居たけれど、ヒントは至る所に散らばっていた。周囲を参考にしたという訳だ。
幸せを呼ぶビーズで本当に幸せになる方法――
それは、自分『だけ』が幸せになろうとしなければ良い。
たったそれだけだ。
本当の幸せ、それは決して一人では手に入れられないもの。昔から言われているが人は一人では生きられない。自分を支えている人の数は知れず、人だけではない。ペットや食べ物にだって支えられているのだ。
自分というたった一人が、数えきれない、把握しきれないほどの誰かや何かに支えられ、生きていられる幸せになれる。だから当然、自分も誰かを幸せにする歯車の一つにならなければならないし、そうでありたい。
自分の欲のみを満たすなど、本当の幸せとは言えない。あのビーズを作った誰かは、それを伝えたくて人々にビーズを届けたのだろう。
2008年2月29日、俺、宮下優成は以上の結論を導き出した。
社会人になるまで残り一ヶ月。きっと未来は楽な事ばかりではない。泣きたい程に辛い事もある。でも俺は一人じゃない。恋人、友達、ネコを含む家族、僅かな数でも味方が居る事は忘れないでいよう。
「優成、涙目になってるよ?」
昼下がりの俺の部屋、ネコと共にここへ入ってきた末砂記が俺に微笑んで言う。
「あぁ、ビーズの真意に辿り着いたのはいいけど、やっぱり不安で心淋しいんだ、社会人になるのってさ」
そんな事、誰にも言った事なかった。自分がそこそこ幸せなのはわかっている。だがどうにも割り切れないのだ。悔しいけれど、それが、まだ未熟で弱っちい俺の心情だ。
「そうだよね、私は進学だからまだそんな事は分からないけど、時には子供の頃は実在しないと思っていた『悪魔』にも立ち向かったり、一緒に仕事したりしなきゃいけないんだもんね。でも、私はいつでも貴方の天使だから」
「へっ?」
未砂記の最後の一言に、ちょっとドキッとした。やばい、素直に嬉しい。
「なんてねっ! でも、何があっても私は優成の味方だから」
また未砂記に安心させられてしまった。俺は女の子に守られるくらい無力なのか。
「サンキュー。なぁ、俺にも何か出来る事、ないか?」
未砂記は即答した。
「私ね、実は優成と付き合い始めるまで、ずっと寂しかった。姉貴は死んじゃったし、お父さんは単身赴任、母親もきっと死んじゃった。友達は居るけど何か物足りなかった。でも優成はそんな物足りなさを埋めてくれるし、一緒に居ると安心するんだ。私の淋しさだって癒してくれた。だからもう十分、私にしてくれてるんだよ。今度は私が優成を支える番」
そうか、こんな俺でも誰かの役に立ててたんだ。本当に必要とされてたんだ。だから今の生活はビーズのお陰か、半年前よりは少しマシになったのかな?
こうして俺は誰かを支え、そして誰かに支えられ、幸せを実感出来たのだろう。
きっと。
やべ、涙出てきた。
「どうした?」
「い、ひゃ、なんでも……」
俺をこんなにも良く言ってくれる人は初めてで、十年以上の苦労が報われたようで、どうしても涙を堪えられなくて、過呼吸になりそうなくらい苦しくて、嬉しい。
◇◇◇
彼等は今日また一つ、一生の大きな区切りを、旅立ちの季節を迎える。
2008年3月1日、この日は優成や末砂記たちが通う湘南海岸学院の卒業式が催される。一学年二十クラスで全校生徒約三千人、築三年、エレベーター付き四階建ての横に長い学校とも今日でお別れだ。
卒業式では『旅立ちの日に』を合唱し、一人ひとり卒業証書を受け取った。思ったより素っ気ない式ではあったが、ここで一つ、未来へ腹を括った。
式を終えて『最後の教室』に戻る。
優成は思った。
もう俺にはこうやって教室に戻る日々もないと思うと少々切なかった。色々不満はあったが、なんやかんやで楽しい学生生活だった。
教壇に立つ担任の朝川夕子が最後のホームルームを行った。
教室の後部には父兄も居る。
夕子の話は五分ほど続いた。
「……それじゃ、みんな、元気でね!! またいつでも遊びにおいで! 私立だから転勤はほぼないし、お昼と夕方なら休んでなければいつでも居るから。……う、うぅ、やっぱ淋しいよぉ、私の最初の生徒が卒業しちゃうんだもん……」
夕子は泣き出した。
「夕子ちゃん頑張れ!!」
「頑張って!!」
生徒たちからそんな声たちが飛ぶ。
「う、うん、ありがとう」
そして夕子は一気に涙を拭った。
「それじゃ、みんな、元気でね! これにて解散っ! ばいばいっ!」
生徒一同が声を挙げる。
「バイバイ!」
「ありがとうございました!」
「ありがとう!」
人によって台詞は様々。その後、夕子には生徒一同から花束が贈呈され、また彼女は泣いた。
◇◇◇
クラスが解散し、俺たちの部活では卒業ライヴが行われた。俺たちのバンドでは最後の最後でベースを二本使ったロックや、卒業らしくバラードも演奏した。観客は軽音部員以外でも観覧自由、卒業生、在校生を交えた全バンドの演奏は4時間にも及んだが、あっという間に過ぎた。
卒業後の進路だが、俺とオタちゃんは同じ鉄道会社へ就職。未砂記は保育関係の専門学校へ、浸地と石神井さんは同じ四年制大学だ。
こうして各々の目標を胸に、俺たちは旅立つ。
私の処女作、なんだかガタガタでしたが一年間続けられました。
また別の作品をいくつか用意していますので、公開したら見てやってくれると嬉しいです!
一年間ありがとうございました!