第三十二話:Now and then
俺にとって人生最後であろう四十日以上の夏休みの最終日となる九月二日。俺と未砂記は以前から予定していた福島県の猪苗代へ旅行することに。猪苗代は、俺の思い出の地なのだ。
電車とバスを乗り継ぎ、幼い頃はかなり時間をかけて来たと思っていた思い出の地には意外と早く到着した。目の前には大きな湖が広がっていて、冬には白鳥が飛来する。
「ここが優成の思い出の場所?」
「あぁ、ここから眺める磐梯山は最高だ」
「へぇ、でもなんでここが優成の思い出の場所なの?」
「あぁ、俺のバァちゃんがこの近くに住んでて、幼稚園の時に死んじゃったんだけど、その頃よくこの辺で虫を追い掛けてたんよ」
「ふぅん」
「それが?」
「この近くって、確かヒタッチのおばあちゃん家がある所じゃない? 近くにガラス館とか野口英世の記念館あるってヒタッチ言ってたし…」
気になったので大甕に写メを送ってみた。
写メを送ってすぐ、ブルルル! とケータイのバイブがなった。さっそく大甕から電話だ。
「もしもし」
「もしもし? 二人ともそこに居るの?」
「あぁ、思い出の地を散策してるんよ」
「宮下の思い出の地? ここが? まぁいいや、実は私もこっち来てるんだ。良かったら家に来なよ! 道は分かるよね?」
「いや、知ってる筈ないだろ」
「えっ、小さい頃遊んだじゃん」
「はい?…………………………あっ…」
「やっぱり忘れてたんだ。虫の事いっぱい教えてあげたのに」
いま、俺が生き物を好きになったきっかけをくれたのは大甕だったことが分かった。というより思い出した。大甕のバァちゃん家は俺のバァちゃん家の近くにあり、夏休みは二人ともこちらに来ていたのだ。お互い住んでいるのは同じ県だが町が違うから顔を合わせるのはここだけだった。
そんなこんなで大甕のバァちゃんが住んでた家に到着。
「あの女の子って大甕だったんだ」
「そうだよ。私は中学で会った時にあの時の男の子って確信してたけど」
「優成ひど〜い。小さい頃から中学生になるまで会ってなかったとはいえ友達の事忘れるなんて」
「あぁ、すみません。名前が浸地だからもしかしたらと思ってたんだけど、ここは母方の家で苗字違うから確信なかったんよ」
「ハハハ、実は私もさっきの電話で確信したんだ。お互い聞き出しにくかったんだね」
結局、未砂記と二人きりの時間は短かったが、ウシガエルをぶつけてきたりして俺を大泣きさせたあの強暴な女の子がこんなに身近に居た事を確信出来た。
そういやあの時、俺のほかに、もう一人小さな男の子がいた記憶がある。あの子はいま、どうしているだろう?
「そっか。あのバァちゃん亡くなったのか」
「うん。七年前にね」
大甕のバァちゃんはいい人だった。それは孫でない俺にも分かった。大甕に玩具を沢山買ってあげたり、どこかに連れて行ってあげたりはしなかったけれど、ただ一緒に畑で野菜を収穫したり、料理を作ってあげたり、サイダーを一緒に飲んだり、そんな些細な事が何年もたった現在でも良い思い出として鮮明に残っている。
なぜそんな事が分かるかというと、それはこの近所に住んでた俺のバァちゃんもそうだったからだ。亡くなったのは俺が幼稚園の時だが、それでも畑でまだ緑色のトマトを一緒に食べたり、豆を摘んだり、それが楽しかった事をまだ思い出せるからだ。
「いいなぁ、二人とも」
「えっ? 何が?」
「あっ、ごめんね未砂記」
「ううん、いいよ。勝手に羨んでるだけだから。優成にはこの事話してなかったね」
未砂記の話によると、未砂記の祖父母は、父方の祖父は石膏メーカーの社長で、祖母は近所の仲間との交流で構ってくれた事は殆どなかったという。何かあったとしたら、正月の堅苦しい親族の集まりの時にお年玉をくれただけ。母方の祖父母は一度も構ってくれた記憶が無いという。
「それに、家から湖が見えるって所も凄い!」
「あぁ、しかも冬は正に白鳥の湖だ。こたつで蜜柑を食べながら白鳥眺めるってのもいい」
「そうだね。でもこたつから出たら凄い寒いけどね」
「そういえば家の人はどうしたの?」
「出掛けてるよ。二人が来る事言ったら今夜は御馳走だって」
夕方、俺たち三人は同じ墓地内にある俺のバァちゃんの墓と大甕のバァちゃんの墓に行った。
そこにバァちゃんが居ない事は去年の大晦日、紅白歌合戦で披露された『千の風になって』から全国的に有名になったが、ここに来ると、自分のメッセージが他所より伝わりやすい、向こうの世界へのアンテナのような気がした。
「あっ、モンシロチョウだ!」
「そういえば未砂記って、虫好きだよな。毎日虫をネタにした変な挨拶するし」
「うん! ヒタッチに小さい頃よく虫の事教えてもらったから!」
「そうだね。女の子なのに公園でウスバキトンボ追い掛けたり大きいアオムシ捕まえてアオスジアゲハを羽化させたりしたよね」
「あぁ、やっぱり未砂記がそういうの好きになったのは大甕が吹き込んだからか。結局俺ら二人とも大甕から吹き込まれたんね」
ウスバキトンボとは、漢字で「薄羽黄蜻蛉」と表記する、文字通り羽が薄く黄色、オレンジ、一部は赤い色をしたトンボで、夏頃になると校庭や空き地、海岸などに群れて飛翔する。春に沖縄から飛来して本州で子孫を増やし、秋には孫や曾孫に当たる世代が成虫になるが、寒さに弱いため本州の個体は幼虫、成虫共に冬になると全滅する。そして再び春になるとまた飛来する特殊な蜻蛉。
一方アオスジアゲハは、漢字では「青筋揚羽」と表記し、アゲハチョウの一種で割と小さい。瑠璃色と少し茶色っぽい黒の羽を持つポピュラーな蝶で、市街地でもよく見かけたが、近年あまり見なくなった。
◇◇◇
その日の夜。
「今日は浸地ちゃんの友達さ沢山来たから賑やかだぁ。優成くん大きくなったなぁ」
「おばさんお久しぶりです」
「はじめまして、仙石原未砂記と申します。浸地ちゃんとは小さい頃からの友達です」
「未砂記ちゃんさあなたの事かぁ。浸地ちゃんから聞いてるよ。べっぴんさんだべぇ!」
「いえいえ、私などまだ子供同然ですよ」
それから未砂記とおばちゃんの会話は長々続いた。
ガラガラガラ。
「こんばんは〜」
「あっ、お父さんとオタちゃん!」
オタちゃん!? なんでこんな所に?
「あらぁ、二人ともお帰りなさい」
大甕親子とオタちゃんは昨日からこの家に泊まり込んでいたらしい。
大甕の父親とオタちゃんがここに来てたのは、近くを走る455系という古い電車のさよなら運転があったかららしい。二人とも鉄道ファンなのだ。娘の浸地はこの機会に墓参りでもしようと思ってついてきたようだ。
夜九時過ぎ、家のおじちゃんが日曜出勤から帰って来て家の中は宴会状態になっていた。
「男ってのはなぁ※〒∀∬Å∂⌒ξだべぇ!!」
「おっしゃる通り!!ξ⌒∂Å∬∀〒※!!」
大甕の父とおじちゃんはすっかり漢の世界に入り浸っていた。もはや何を喋っているのか分からない。
こんな雰囲気は俺にとって、新鮮で胸が躍った。酒を入れたせいか、この空間がどこか幻想的に映っていた。明日からまた現実が戻って来ると思うと、かなり憂鬱だ。
明日から…?
「あっ…」
「どうしたの優成?」
「明日から学校だ」
「あっ、そういえば。宮下よく思い出したね」
「もういいよ。夏休みが一日増えたと思えば。それより今日は455系の送別会だ」
オタちゃんがそんな事言うなんて…。
「あらぁ、でももう電車終わったから帰れないべぇ、明日は学校おさぼりだぁ」
そういえば今日はビーズ出来ない。未砂記は必ず一日一粒ずつと言っていたが…。
「ねぇ優成、オタちゃん、今日は楽しかった?」
「あぁ、最高だったよ」
「僕も。455系が引退しちゃったのは残念だけど、いいお別れが出来た」
「そっか。よかったね!」
「でさ、今日はビーズやんなくていいの?」
「あっ、そういえば僕も」
「うん、いいよ。今日は特別ね! あっ、オタちゃんはそろそろビーズ終わりにしてもいいけど、どうする?」
「えっ? ん〜、仙石原さんが迷惑じゃなければ続けたい。習慣になっちゃってね」
「分かった! じゃあ今まで通りにね!」
「なんでオタちゃんは終わりにしてもいいのに俺は駄目なん?」
俺が問い掛けると、未砂記は一瞬困った顔をした。
「そっかぁ、じゃあ優成近いうちに教えなきゃね。ビーズの意味」
やっぱりビーズには何か意味があったのか。
更新遅れましたm(_ _)m
おじぃ初の小説となるこの物語ですが、ビーズの意味のヒントをちらつかせながらいよいよ佳境に突入です。