第二十五話:いとしの?
今日は姉貴が通う高校と私が通う小学校のテストが返却された。姉貴は彼氏を連れて意気揚々と家に帰ってきた。
「未砂記ぃ、この人が彼氏だよ」
「こんにちは未砂記ちゃん」
「こんにちは!!」
彼は川越勇一。成績優秀で東大の医学部志望だという。
「未砂記ぃ、テストどうだった?」
姉貴は興味深そうに座布団でくつろぐ私を見下ろす。
「聞いて驚け!? なんと百点だよ百点!! どうです奥さん!」
「えー珍しい。見せて見せて!」
私は早速ご要望にお応えして三枚の答案用紙を右上の点数だけが見えるように重ねる。順番は一点のテストを一番左、あとは右隣に零点のテストを二枚。三枚をこう並べると左から1,0,0、という数値配列になる。これで百点!!
「どぉ!? 凄いでしょ!?」
姉貴は呆れた顔をしていた。当たり前といえば当たり前。この配列で百点になるなどと理解出来ない人も少なくないだろう。
「ハハハ、凄いね未砂記ちゃん」
「だべぇ!? 三枚寄れば文殊の点数ってか!?」
「大丈夫かしら? この先思いやられるわ…」
「私は今を生きるの!」
「そうね。人生いつ終わるか分かんないし、そういう生き方もアリかもね」
その後は姉貴と姉貴の彼氏にいっぱい遊んでもらった。姉貴もだけど、彼氏も面倒見の良い人なんだな。
◇◇◇
夜、姉貴の彼氏が帰って数分後、母親のよし江が帰ってきた。母親は自分の名前が気に入っていないらしく、お婆さんみたいだとか、同じ名前ならせめて漢字で『由恵』にして欲しかったとか言って愚痴を零す。お婆さんみたいというのは、単なる母親の思い込みなのではと私は思う。よしえという名前は同級生にも居るし。
「ただいま~絵里ぃ、テストどうだった?」
「お帰り。ってか一言目がそれ?」
就寝の時間。家には一人一室ずつ部屋が用意されているけれど、今夜は姉貴の部屋で二人一緒に寝る事にした。灯りを豆電球にしてふんわりしたオレンジの光が部屋を包み込む。
「実は私も点数良くないんだよねぇ…」
「え、どうしたの? 中学までほぼ毎回トップだったんでしょ?」
「高校って学力ほぼ同じ人が集まるから、今までトップだった私でも急に落ちこぼれちゃう事もあるわけ」
「そっかぁ、大変なんだね」
姉貴の口から学力に関する弱音が出るなんて、今までなかったので少し信じられなかった。
◇◇◇
土曜日の朝、この日は雨。私達はいつものように目覚め、いつものように朝食を摂る。
「二人とも~、ご飯出来たわよ~」
「は~い」
「ふにゃ~」
プルルルル!
電話が鳴り、母親が受話器を取る。
「はい、仙石原です」
「あぁ、俺だ。ちょっと話がある…」
電話の相手は大阪へ赴任している父親。
「えっ!? ちょっと、どうゆうこと!?」
母親はかなり驚いている様子で、焦り気味な口調だ。何があったのかな?
やがて電話越しに口論が始まり、母親の怒鳴り声が家中に響き渡る。
一時間後、父親との長い口論を終え、母親がテーブルに戻って来た。
「未砂記、聞いて」
「なになに?」
話の内容は、父親が勤める会社の経営状況が一気に悪化したため私が通っている小学校から高校までエスカレーター式の私立学校を小学校一杯で退学して、中学からは公立学校に通う事になるという事だった。
「うん、分かった!」
「あら、あっさりオッケーしたわね」
「うん、でもね、学校辞めるなら、浸地とか海老名君も一緒がいい」
「それは、それぞれの家庭の事情があるから何とも言えないけど」
退学の件について後に浸地と海老名君に話をしたところ、浸地は私と同じ公立中学校に通うことになり、海老名君は今の私立学校に残ることとなった。浸地をイジメの魔の手から逃がしてあげられる反面、恋人同士を引き離してしまうという申し訳ない気持ちもあった。
◇◇◇
「あっ、いけない! デートの時間だっ! じゃね! 行ってきます!」
「行ってらっしゃ~い。いっぱいチュ~して後で感想聞かせてね!」
「はいはい…」
午後3時頃、彼氏とのデートの約束をしている姉貴は、苦笑しながら私に返事をして急ぎ足で家を出ていった。夕方までの間、私は母親と駅ビルや大型スーパーのサティで買い物を楽しんだ。
母親はこの後友人と約束があるというので、私は一人、家路を辿ろうと駅のコンコースを歩く。
「未砂記!」
姉貴だ。なんだもう帰って来たのかぁ。
「あっ、姉貴ぃ、どうだった? チュ~した?」
「さぁね。それよりこれから横浜で遊ばない?」
「彼氏と遊べば良かったじゃん!」
「なんかね、これから用事あるから早く帰らなきゃいけなかったんだって」
姉貴と夜の横浜。朝から降っていた雨はすっかり止み、『港の見える丘公園』にはカップルがいっぱい! 私もいつかは…。
華やかだけどどこか切ない公園からの夜景を眺めながら、姉貴と私はその一時のトークを楽しんだ。
「私さぁ、サザンのコンサートに彼を誘ったんだけど、家族と行くからダメなんだってぇ」
「へぇ、普通なら彼女と行きたいと思わない?」
「家族想いなんだよきっと」
「そっかぁ、優しい人なんだねぇ」
「だからさ未砂記、私と一緒に行こ? ね?」
「うん! いとしの絵里ぃと一緒にね?」
「そうそう! いとしの絵里ぃと!」
家に帰ると私達は一緒にお風呂に入って、今日の思い出話やくだらない話で静かに盛り上がる。リビングのソファーで眠っている母親を気遣ってのことだ。
「喉渇いたから飲み物取って来るね」
「うん」
姉貴はそう言って階段を下り、冷蔵庫があるキッチンへ向かったのだが、なかなか戻って来ないので私もリビングへ向かおうと階段を下る。深夜なので物音を立てないようにそ~っと。
ところが姉貴は階段を下りてすぐのリビングの横開きの扉をほんの3センチほど開けて部屋を覗き込んでいた。
「ねぇ、何してんの?」
掠れるような声で姉貴に理由を尋ねる。
「だ、ダメ、見ちゃ…」
「まぁまぁ、そんな事言わないで見せてよぉ」
気になるので姉貴をそっと押し退け私もリビングを覗く。
「えっ、うそ…」
私は自分の目を疑った。