第十話:あなたのためなら
作中、カタカナ表記の「ネコ」と漢字表記の「猫」が登場しますが、どちらも同じ個体を指すもので、「ネコ」は固有名詞です。つまり、「ネコ」という名前の猫なのですm(__)m
俺たちを襲った悲劇、それは正人が毎日家の中を水浸しにしているせいで家の柱が柔らかくなり、羽アリやシロアリが大量発生したのだ。それが視界いっぱいに隙間がないくらいウジャウジャしている。
「あっ、親から電話。もしもし?」
「あっ、もしもし!? お母さんだけど。家帰った?」
「帰ったけど、何この状況? だいたい想像つくけど」
「そうなの! ネコが帰ってこないから心配で!!」
「今どこ?」
「埼玉のおばちゃん家に避難したの! 瑞穂は友達の家!」
「埼玉って、どんだけ離れてんだよ」
「じゃあ猫見つけたらすぐ電話ちょうだい!」
「ネコ捨てて逃げたくせに」
捨て台詞を吐いて俺は電話を切った。
「優成、なんだって?」
心配そうに訊ねる未砂記。
「親は埼玉の親戚の家に避難して、妹は友達の家に避難したらしい。とりあえず猫探さなきゃ」
「シャーッ!!」
ネコが威嚇してる声だ。
「家の中だ!!」
「私も入っていい?」
「えっ、大丈夫? こんな所」
「だって、ネコちゃん何かに怯えてるよ!?」
「ありがとう。じゃあ頼む!」
「うん!」
俺たちは家の中に入りネコを探す。するとネコの身体いっぱいにアリがくっついていた。
「ネコー!!」
俺はすぐにネコに纏ったアリを素手で払おうとするがなかなか離れない。
「優成! 段ボールとかある!?」
「ロフト!」
「じゃあ取ってくる!」
「ありがと!」
未砂記がロフトから段ボールを持ってきて、俺はそれにネコを入れて持ち上げた。ネコに夢中で気付かなかったが暗いリビングでは正人がテレビを見ていた。俺は怒りを堪えられられず、正人の胸倉を掴んで持ち上げた。
「おいテメェ自分が何したか分かってんのかよ!!」
「テメェじゃねぇよお父さんだ!!」
「テメェなんか親じゃねぇんだよこのクズ野郎!!」
「親に向かってクズ野郎だぁ? それにここは俺がローン払ってるんだから俺さえ住めればいいんだよ!!」
「んだとゴラ!! いつも思うけどテメェはカネが全てなんだな!!」
「ハハハ!! 当たりめぇだろ!! 笑わせんじゃねぇよ。カネさえあれば何でも手に入る。世の中を制するのはカネと権力なんだよ!! 他の誰が何しようと主人の俺には逆らえねぇんだよ!!ざまぁみろ!! ヒェッヒェッヒェッ、いい気味だ!!」
「てめぇブッ殺してやる!!」
俺は正人の顔面を殴ろうとした。
「優成! 今はネコちゃんを動物病院に連れてくのが先!!」
「あっ、そうだ!」
未砂記の一声がなければ俺は人殺しになっていただろう。
「逃げんのかよ」
正人は俺に言い掛けてきたが構っている場合ではない。ネコの身体はアリに酷く噛まれ血だらけになっていた。
動物病院で診察を受けた結果、ネコの命に別状はないようだが、帰る家がないので暫く入院することになった。
「どうしよ、俺、ホームレスだ…」
「私の家に寝泊まりする? どうせ誰も帰ってこないし」
「誰もって…?」
「ウチね、父親は仕事で単身赴任してて母親はもう何年も帰ってないの。私、一人っ子だから他に残る家族はいないの。ネコちゃんも預かってあげるよ」
「じゃあそうさせてもらうか。申し訳ない」
「いいよ! 大歓迎だよ!」
未砂記は俺とネコの厄介を快く引き受けてくれた。なんてありがたいのだろう。何か恩返ししなきゃな。
「ありがとう。でも先ずある程度の荷物取りに戻らなきゃ」
家に戻ると正人が俺に再び喧嘩を仕掛けてきた。
「ほぅ、戻ってきたじゃねぇか。いい度胸だ」
俺は無視して末砂記と一緒に俺の部屋がある二階へ。この部屋はまだアリの被害を受けていないようだ。
「ねぇ、そういえば優成っておじいちゃんとおばあちゃんも一緒に住んでるんだよね?」
「うん。いつもこの時間は出掛けてるんだけど、もう帰って来てても…」
「じゃあおじいちゃんおばあちゃんも私の所に来る?」
「いや、大丈夫だよ。横須賀に爺さんの兄弟いるから。もしかしたらもうそこに行ってるかもしんない」
「あぁ、その二人なら家に帰るなり腰抜かしそうになったからトドメさしてやったぜぇ?」
「テメェ部屋に入ってくんじゃねぇよ!! ってか二人はどうなってんだよ!!」
「ああ、今頃どっかで気絶してるか死んでるかもな。ヒャッヒャッヒャッ、あ~おもしれ…」
「えっ、ちょっと、優成、ヤバいよ、ってか何なのコイツ、どっかおかしいよ…」
未砂記は顔面蒼白になって震えていた。
「大丈夫。末砂記には手ぇ出させないから。それにコイツが言ってるのは嘘だ」
「ほう。よく判ったな。うちに帰った途端血相変えて車で逃げたよ」
「やっぱりな。お前はこの時間一番楽しみなテレビがあるから何があっても一切動かないからな。人殺しなんかしてる場合じゃないんだよ」
「でもお前らにはここで消えてもらうよ? 完全犯罪の計画はちゃんとあるんだ」
その時だった。あまりに突然で予想外の出来事だった。
「キャッ!? いやっ!!」
あろうことか正人は未砂記を人質にとったのだ。法の壁を上手く利用して悪事を働いてきたコイツがこんな法外な事をするなんて思いもしなかったのだ。
「おいテメェ未砂記に手ぇ出んじゃねぇ!! 殺すなら俺だけにしろ!!」
「ダメだよ!! 私が死ぬ!! だって優成にはいっぱい迷惑かけて、それでも恋人になってくれる、命より大切な人なんだから!! だから今度は私が恩返ししなきゃ!!」
その言葉を聞いた時、俺の目から涙がこぼれた。
「えっ、俺、迷惑なんて、そんな…」
そして未砂記がその言葉を放った直後だった。
プスッ。
「痛っ!! 早く、早く逃げて!!」
俺は一瞬目と耳を疑った。何かが刺さった未砂記の腹部から真っ赤な血が滲み出てきていた。
「ハァ、ハァ、優成… 逃げなきゃ、私がやられた、意味、ない、よ…」
「みっ… みさ… なんで…?」
なんで、なんで未砂記がこんな…。
「でも、もし死んじゃったら、早く、私の事… 忘れて… ね?」
状況とは裏腹に、天使のような笑みで俺を見つめる未砂記。しかし息が荒く声がかすれている。今まで冷たく接してきた俺なんかの為に命を落とす気なのか? 冗談じゃねぇ、俺の勝手な事情のために末砂記が死ぬなんて、ぜってぇさせるか!!
「みっ、みさっ、未砂記を… て、てめっ、テメェ!! クソ野郎!! ざけんじゃねぇぇぇぇぇ!!」