#1 半年後 dimidium_annum
学園都市ロックスフィード周辺の森。
緑が生い茂るその森にはEからDランクの魔物しか生息しておらず、学園都市で鍛えた自分の力を試す場所としては最適な場所である。
しかし、周辺と言っても些か距離が空いており、移動はそう容易いものではない。
身体に通常魔力量で展開した強化術式でも施せば五時間掛からない程度だろう。
そんな広大な森の中に、明らかに不自然な平野が出来上がっていた。元々あったものではなく、人的な力によって生み出されたものだ。
平野の隅には洋館が建っていて、その周囲をシャボン玉の表面の様な虹色の膜が包んでいる。
霊術による結界。その防御力は強大なものだった。
魔術や霊術等と言った術の類は、術者の使用エネルギー量でその威力を変動させる。
エネルギー量を増やせば威力は増えるのだ。
威力に限らず、結界の強度もエネルギー量で変動する。
そしてこの虹色の輝きを持つ霊術結界も、尋常ではない霊力量によって生み出されたもので――、
神霊の術すらも容易く防ぐほどの強度を持っていた。
「そんな調子じゃその内当たっちゃうよー?」
呑気な声でそう言ったのは、身に纏った礼服――学生服と同じ黒い髪を持つ少年だった。目に掛かるくらいの前髪の奥にある瞳も同様に黒で、中性的な顔立ちをしている。
元は高校一年生で身長も一七○センチメートル程あったのだが、今は何故か十センチ程縮んでいた。
北條壱騎。
いわゆる異世界転移という現象に巻き込まれた虚弱体質持ちの元日本人だ。
理由は定かではないが、今の身体は虚弱体質等ではなく、至って健康体である。
具体的には、神霊を遥かに上回る量の霊力を保持していたり、例によって神霊の術すら容易に防ぐ霊術結界を生み出したり、神霊と互角に闘り合ったり。
ハッキリ言って健康体どころではない、良い意味で(?)異常だった。
「ちょ、数が多いですってば!」
対して、襲い来る炎の矢を回避・防御しながら女性がそう叫んだ。
おかしなくらいの美貌を持ち、出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいるグラマラスなモデル体型の女性。頭には狐を思わせる三角の耳があり、お尻からは同様に狐の尻尾が伸びていた。
この世界において高位の存在である霊獣の中で、更にそのトップクラスに君臨する『神霊』と呼ばれる精霊の高位種の一角。
神霊イヴ。
炎と氷を司る九尾の妖狐の神霊だ。
そんな二人が行っているのは、霊術の修練である。
二人が契約して半年の時が経過していた。
彼らは今、魔術学園に入学するために力を付けるべく、毎日修練に励んでいる。
というのも、イヴの友人でもある魔術学園学園長セリア=オレアスは交渉の際、おそらく決闘を申し出るとの事なので、何とか認めさせるために北條は戦闘能力を磨いているのだ。
もっとも、明確な『敵』の存在があるこの世界では力が必要になる訳だが。
炎の矢を撃ち落としたイヴが北條に接近しながら言った。
「それにしても――冒険と言うのは一体どれほどの規模のことを考えているんですか?」
「ん、いやね、別に絶対冒険したいって程の願望でもないんだよね」
対して北條は一気に距離を詰めてきたイヴから距離を取って、再び炎の矢を放ちながら、
「人生楽しければ何でもよし。ただ異世界ってコトで、咄嗟に思いついたのが冒険ってだけだよ。世界を見て回るとか、そう言うのが無くても楽しければいいなあって最近思うんだ」
だから、と続けて言った。
「今は毎日が楽しいよ。こうしてイヴと霊術の修練してるだけでね」
「い、イツキ様……っ」
顔を赤くして小さく震えたイヴ。尻尾はビンビンに立っている。
歓喜の表情で炎の矢を落としながら言う。
「近頃、イツキ様の対人能力は非常に伸びてきています。この調子で行けばかなりの実力を付けられるかと」
霊術の基本から始まったこの修練は、霊術の反復練習、使用霊力調整による威力の操作、そして今の対人戦闘形式となっている。
才能というものがあったのか、北條は霊術をすぐに扱えるようになった。霊力量を見ても分かる様に威力もかなり大きい。
対人戦闘形式の修練に入ったのは修練開始から二ヶ月程経った頃だった。
最初こそ、ひたすらに火力でゴリ押しと言ったスタイルで、接近されたら詰む戦い方だったのだが、最近はまともな戦いが出来る様になっている。
「本当か? そのセリアさんとやらに勝てるかなぁ?」
「流石の彼女も負ければイツキ様を認めるでしょう。例えどんな戦い方でも。ですから、セリアと闘う時は火力で攻めて大丈夫です」
「まあ、今の僕じゃ戦闘経験豊富な学園長さんには、戦術でなんて絶対に勝てないだろうしね。火力だけが取り柄だから」
まともな立ち回りが出来る様になるまでは多方火力に頼ることになるだろうが仕方がない。
ふと隙を見せた北條の懐に潜り込んだイヴが、地に付いていた右足を払って態勢を崩し、その上に跨る形になって言った。
「今日はそろそろ終わりにしましょう。明日はそのセリアとの初対面なんですから」
「ん、それもそうだね」
やっぱり隙が多いんだな僕は、と悔しそうな顔で呟いた北條は、イヴの手を借りて立ち上がると尻に付いた土埃を払う。
季節は冬の終わり。
大体一月中旬辺りである。
『お願い事』は早めにしておいた方がいいんじゃない? と言う北條の提案から、セリアとの『面接』は明日にしようとの事になったのだ。
勿論、セリアはこの事を知らない。
正確には、明日会いにいくと言う事は伝えてあるが、そこに北條がいる事や入学についての事、そしてイヴが北條の従者となった事等は何一つ言っていない。
イヴはどうやらサプライズ気分でいるらしい。
北條が虹色の膜――もとい霊術結界を解く。
言うまでもなく、この結界はイヴや自分の術が洋館を壊さないようにするために北條が施したものである。
洋館の中に入った二人はリビングに向かう。
北條は何時もの様にソファに腰を掛け、イヴは何時もの様に紅茶を用意する。
「ん、今日はミルクティーだね」
漂う香りでミルクティーだと判断した北條が、キッチンから匂いの発生源であるティーポットを持ってくるイヴを見ながら言った。
手際よくティーカップを用意したイヴがにっこり微笑んで、
「はい。イツキ様が一番好きなものにしました」
「ありがと」
日本の非リア充男児が見たらさぞ恨めしそうな顔をするであろう光景。
神霊を絶対服従(イヴの意思)させる北條はやはり変わり者なのだろう。もしかしたら、変わり者の域を超えているかもしれないが。
その後、北条壱騎は身体を休めるためにふかふかのソファに腰を掛けながら、霊術についてや、イヴの話を聞きながら過ごした。
既に日は落ちていて、外は暗闇に包まれている。
時刻は七時を過ぎていた。
「ん、じゃあ僕はそろそろシャワーを浴びるよ」
ティーカップをテーブルに置いた北條壱騎が立ち上がった。
それに頷いたイヴが、彼が置いたティーカップを手にとって、
「分かりました。ごゆっくりどうぞ」
「ん」
そう言ってシャワールームの方へと向かう北條壱騎の背中を見届けて、今日も美味しいと言って飲んでくれた彼を思い出しながら洗い物をするイヴ。
完璧に恋する乙女の表情だった。
最近勇ましくなってきた北條壱騎は、どうやらイヴのツボにハマっているらしい。
自分よりも強大な力を持つ中性的な美貌の少年。
日本では体質のせいで多少やさぐれている所があったが、それさえなければ心優しい普通の少年だったのだ。
それこそ、虚弱体質がなければモテモテだった程に。
「今日のイツキ様も素敵でした……。私自身も半火力押しスタイルですから、このままだと私じゃ役不足になってしまいそうです」
元々イヴもあまり戦闘を好まないため、戦闘能力がさほど高いわけではなかった。それを差し引いても彼女は神霊であるため、術の火力は高い。
力が強すぎればそれに頼ってしまう。
あまり良くない傾向だ。
ある時それに気が付いたイヴが、その戦闘能力を鍛えるために頼ったのが、当時学園長ではなかったセリアだった。
「でもセリアはスパルタすぎです……。私はあくまで神霊ですから、その属性のおかげでスタミナ面は大丈夫でしたけど……出来ないことを要求し過ぎなんですよセリアは」
そのお陰で火力に頼らない技術的な戦いが少しはまともに出来る様になったイヴは、そこで愚痴るのをやめた。
どうやら今、北條壱騎がシャワーに入ったらしい。水の音が微かに聞こえてくる。
そしてイヴはそれを聞き逃さなかった。
三角の耳をピコピコ動かして水の音を聞きとった彼女は、目を光らせて小さく呟いた。
「お背中でも流して差し上げましょうか。うふふ」
思い至れば即行動。
イヴの準備はかなり早かった。
ティーカップを片付けて一度自室に戻った彼女は、いつも使っている少し大きめのバスタオルを持って階段を下りる。
ソレを巻いて、浴室に特攻するのだ。
「流石に全裸はイツキ様に怒られそうですから……はしたないと思われるのもちょっと嫌ですし……」
かなり積極的だが、多少は常識と言うものを知っているらしいイヴ。
高校生――思春期の少年が目の前に現れたスタイル抜群の美女を見たらどうなるかなど、考えずとも分かるだろう。
もっとも、北條壱騎はしっかりしているから何とかこのイベント(?)を乗り切ると思われるが。
「ふっふーん」
すっかり上機嫌なイヴは、身に纏っていたスカートが短いワンピースを脱ぎ捨て、その上に下着を落とし、胸から太ももまでが隠れるようにバスタオルを巻いた。
「んー、ちょっぴり胸が苦しいですね……」
胸に視線を落として不満そうな表情を浮かべる。
とは言え、これ以上バスタオルの巻きを緩くするわけには行かない。あと少しでも緩くすればズルリと下に落ちてしまう。
「――ハッ! 敢えて落ちるように巻いて、イツキ様の反応を楽しむって言う手も……」
神妙な顔で顎に指を当てるイヴ。
真剣に考えた後、
「はい。やっぱりちゃんと貞操観念を持っている事をアピールして、純粋なイツキ様に高得点を貰うべきですね」
と言う考えに至った。
どうやら彼女は、そんな事で悩んでいる時点で貞操観念も何も無いと言う事に気が付いていない様子だった。
胸元が少しキツイのを我慢しつつ、鏡を見て自分をチェックした後、彼女は意を決して浴室の扉を開いた――。
2
男にしては少し長めの髪を洗いながら、北條は小さく「そろそろ切らないとな」と呟いた。
彼が最後に髪を切ったのは八ヶ月程前――まだ日本にいた頃である。
異世界転移に巻き込まれてこの世界に来て以来、彼は神霊イヴに拾われて森の中にある洋館で半年を過ごしていた。
森から出て街に行ったことは一度もない。
イヴから聞いた話によれば、「イツキ様の霊力量と身体能力なら強化付与を使えば一飛びじゃないですか?」との事だが、試したことは一度もない。
「……にしても、この力は一体なんなんだろう」
自分の手を開いたり閉じたりしながらそう言った。
この力と言うのは、神霊をも凌駕する霊力量の事ではなく、文字通り身体に宿った腕力や脚力等の『力』である。
今の彼の身体はハッキリ言って異常だった。
神霊越えの霊力もそうだが、虚弱体質を持っていた身体とは思えないような筋力に驚いていた。
既に普通の人間の出せる力の域を超えている。
具体的に言うならば、アドレナリンが出まくっている、もしくは脳のリミッターが外れている状態の人の力が、彼の通常状態の力と同等――、
「いやおかしいだろ。どこからそんな力湧いて出た?」
心の中で行われた自分の身体状況整理に思わずツッコミを入れる北條。
どう考えてもおかしかった。
別に悪いことではない。
その力をうまく制御出来る様になればかなり役に立つことだろう。
「でも、何だよソレ。人は基本的にリミッターの所為で全力の二割しか出せないって言うけど、僕の場合は基本が十割かよ。何だよソレ」
この世界にもあったシャンプーの泡が目に入らないようにギュッと瞑りながら呟く。
とは言え今まで身体が弱かったせいで不便な点も多々あった北條にとっては、力が強いというのはいい事だから良しとした。
小さく息を吐いた北條は、
「理由は分からないけど、不便な所は無いし気にしないでおこう。問題は明日の決闘だ。イヴは火力でゴリ押しすれば勝てるって言ってたけど、果たしてちゃんと命中させられるかな? イヴの戦術の師匠がそのセリアさんらしいし……」
イヴに勝てない自分が、その師匠であるセリアに認めて貰う事が出来るのだろうか。そんな疑問と不安が脳を駆け巡っていた。
直後、目を瞑って長い髪を洗っていた北條の身体がビクン! と震えた。
理由は単純、突然シャワールームの扉が勢いよく開かれる音がしたからだ。
「な、な、なんだ!? 誰だ!? うっ、泡が目に入って、ぐぉぉお!」
「うふふ」
「ふあっ!?」
突如背中に押し付けられたふんわり柔らかい感触と、妙に色っぽい女性の声が聞こえてきて変な声を上げる北條。
その声の主がイヴだと気が付くまでに数秒掛かった北條が、慌てて抗議の声を上げる。
「お、おまっ、イヴ! ききき、貴様は一体何をーーッッ!?」
「ひゃん! イツキ様、そんな激しく身体を動かされては、擦れて……んっ! ちょ、落ち着いてください。私は明日セリアと決闘をするイツキ様の為に背中を流しに来ただけです!」
そんなイヴは、北條が目を開けられない状況だと言う事をイイコトに、身体に巻いていたバスタオルを入口に落としている。
「ていうか! 今思ったけど、そのセリアさんが決闘を挑んでくるのは確定事項なのか!? 自信満々に百パーセントとか言ってたけど!」
必死に別のことに意識を持っていこうとする北條は、未だ泡が目に入った事による痛みと戦っていた。
「はい、確実と言っていいでしょう。まさかあのセリアが、無償で異世界人を入学させるためにアレコレ手間を掛ける訳ないですしね」
「ボロクソ言ってるけど今すぐ離れないと会った時チクるよ?」
「別にいいですよ?」
妖艶に微笑むイヴを瞼の奥で見たような気がした北條が身震いする。
六尾状態まで力を開放すれば、そのセリアを撃退するのは容易だと言っていた事を思い出し、小さく溜息を付く。
「……まあ取り敢えず、離れて? 僕も一応健全な少年なんだから」
「いえ、イツキ様はそのまま目を瞑っていて下さい。その間に私がイツキ様の身体の隅々まで洗って差し上げます」
「断る! いいからホント離れて! コレ主命!」
「……はぁい」
渋々といった表情で離れるイヴ。
確認するが、契約儀式によって『支配の契約』を結んだ二人、主は北條壱騎で従者が神霊イヴとなっている。
普通ならおかしな現象だ。
彼女は人間や魔物よりも高位の存在である霊獣。
ましてや、その霊獣の上位種である神霊なのだ。
当のイヴも『対等の契約』を結ぶつもりだったのだが、彼女では北条の"器に見合わなかった"ため、主と、絶対的な支配下に置かれる従者が定まる『支配の契約』となってしまったのだ。
「全く、僕は目を閉じてさっさと洗うから。イヴはあっち向いてて!」
泡を流して薄目を開いた北條が、手でイヴに後ろを向くように促す。
「……はい。ですがイツキ様。私は貴方様の従者、下僕です。もっと、どの様な事でも命じてください。喜んで励みます故」
突然真面目な顔をしたイヴが、片膝を着いて北條に頭を下げる。
彼女がコレほどまでに北條に忠誠を誓っているのは、単に彼に惚れているからだけではない。
まず、彼がこの世界の人間ではない異世界人だという点。俄かに信じ難い話ではあるが、その信憑性は高い。実際にこの世界には存在しない物を見せて貰っている。
次に、神霊をも凌駕する霊力量と器。
「私は、イツキ様の側でイツキ様の一生を一緒に歩みたい。例え、共に命を落とすことになっても」
神霊を含む霊獣の寿命は人間の十倍以上はある。
それこそ、普通に生きていればイヴはあと千年以上は生きる事が出来たはずだ。
しかし、北條と契約をした。
北條と時を同じくして死する事を決めたのだ。
「……イヴ」
「!」
北條の優しい声を聞いたイヴがビクンと身体を震わすのと同時に、彼へ下げていた頭にポンと手が置かれた。
くしゃくしゃと撫でられて気持ち良さそうな顔をするイヴに北條は言った。
「イヴは十分僕の力になってくれているよ。そもそも、イヴが僕を見つけて、セリアさんから命を守って、看病してくれていなかったら、僕は此処にいなかったんだ。それに、イヴのおかげでこうして毎日充実した日々を送れている。霊術の修練にしろ、毎日用意してくれる美味しい紅茶にしろ、ね」
「……イツキ様」
「ま、だからあまりそういう事は気にしなくていいんだよ。僕が主だからって、そんなに尽くさなくていいんだ。分かった?」
「……はい」
「だからまずは、明日の決闘に備えよう。認めて貰えなかったら今後の計画練り直さないと」
「いえ、それについては大丈夫です、イツキ様。もしイツキ様が認められなかったとしても、私が何とかして入学させてみせます」
「強行手段はやめろよ」