#19 二日目 Secunda_Die
翌日。
カーテンの隙間から差し込んでくる太陽の光を目元に浴びた北條は、ロックスフィードに買った自宅の、一人部屋にしては少し大きめな自室で目を覚ました。
学園入学初日は何かと色んな事が起こりすぎて途轍も無く長く感じたのを覚えている。
まず一つ、Ⅴ等級だったはずの彼は何故かⅠ等級のクラスに入れられ、ガラの悪い不良学生に絡まれる。
次に実技演習でⅠ等級の魔術師とガチバトル――アウラはそれなりに本気を出していた――をして。
それを見かねた不良学生カゼルと喧嘩(?)をして。
初日の彼の印象は決して良いとは言い難いモノとなってしまった。
そこまで昨日の出来事を回想している内に、思い出したくないものまで思い出してしまって溜め息をつく。
ミルクティー地獄。
アレはそう称しても問題ない――まさに地獄だった。途中から数えるのを辞めてしまった北條だったが、その数実に数十杯飲まされているはずだ。
(誰が悪い……って考えると、一体誰が悪いんだ?)
事の発端を思い返しながら疑問符を浮かべる。ミルクティー地獄発生の理由は簡単だ。イヴとメリアン、どちらが作るミルクティーが美味しいか。より正確には、どちらの作るミルクティーを北條が美味しいと言うか、の勝負だ。
アレは北條とイヴが家を買って一週間ほど経過した時の事だった――
セリアに家を買った事を報告し、それを聞いたメリアンが彼の家に訪問した日。元々の目的は等級検査について教える、と言うものだったが、どういう訳かイヴに対抗心を燃やしたメリアンがミルクティーを作ることになった。
そして出来上がったミルクティーがイヴの作る物よりも美味しい、そう言ってしまった北條。ミルクティーの匂いを嗅ぎ付けて上から降りてきたイヴは、メリアンにその事を聞かされて固まった。
――大体そんな感じだ。
イヴが作るミルクティーよりもメリアンの物の方が美味しいと言ってしまった北條が悪いのか。
それともメリアンがその事をバカ正直にイヴに伝えた事が悪いのか。
それともイヴが妙な対抗心を燃やしている事が悪いのか。
「……そんなの考えたって意味ねー」
問題は北條の胃の方にある。どういう訳か嘘を付いてもイヴに見破られてしまうため、正直に答えないといけない。そうして大量のミルクティーを胃袋へ送り、先日、トイレに籠もっていた。
シーナまで巻き込んで。
「ふふ、すまんな、シーナよ」
乾いた笑い方でそう言った北條の瞳は虚ろだった。これ以上は身が持たない。こうなったらあの二人に北條自身がキッパリと争うのをやめる様に言うしかない。と言うよりむしろ、飲まされすぎて名前を聞くのすら多少の拒否反応を示す様になってきたこの身体、コレを利用して、もうミルクティーは飲みたくないと言えばいいのではないだろうか?
「そうだ! そうすればいい!」
ドバッとベットの上で立ち上がった北條は、拳を握りしめて決意する。
「今日こそ、ミルクティー地獄から脱出するんだ」
入学二日目。
学園の黒い制服を身に纏った北條とイヴの二人は、片道およそ十分の道のりを歩いて移動して登校する。
「あ、おはよう……イツキ君、イヴさん……」
学園の門の前で若干顔色が悪い少女が手を挙げていた。
シーナ=レイラン。
北條と同じレイヴス学園に所属するⅠ等級の魔術師で、その実態は人と霊獣のハーフだったりする。桃色の髪と水色の瞳を持った可憐で活発な性格をした美少女だ。
それに気が付いた北條も苦笑しながら手を挙げて返す。
「おはようシーナ……その後、調子はどうだい?」
昨日あった出来事から察するに、彼の『調子』と言う言葉が指すのはスバリ胃の調子の事だろう。彼女もまた、ミルクティー地獄の被害者。北條と同様、トイレに籠っていた事から、彼女のお腹にも甚大な被害が出ていることは明確である。
「何とか……市販の胃腸薬に少し頼っちゃったけど。イツキ君は……?」
自分のせいで巻き込まれてしまったというのに、それに対して咎める様子を見せないシーナに感謝の気持ちで一杯になりながら、
「僕も絶好調とは言い難い状態です」
自宅のベッドの上で元気一杯に宣言した北條だったが、その後、朝食の後に再びトイレに籠っている。起床時間はいつも余裕を持っているため、時間が危ないと言う事態は起きないものの、やはり朝から腹痛に苛まれるのはその後のモチベーションに関わってくる。
イヴはそんな二人に心配した様子で声を掛けているも、どうやら自分が原因だという事には気がついていないらしい。
ゲッソリしながら並んで歩く北條とシーナは、Ⅰ等級の教室に辿り着くなり机に突っ伏した。
「本当に大丈夫ですか、イツキ様?」
「……うん、大丈夫」
ミルクティー地獄の話をするのはメリアンが教室に来てからだ! と心の中で計画しつつ、思考を別の方向へと向ける。
霊獣についてだ。
先日、霊獣の世界――霊界に趣いた彼が出会ったのは三人の神霊だった。
一人、赤髪を持つヘリオスと言う神霊は妙に好戦的で、どうにもイヴに対して強い敵対心を持っている様子が伺えた。
後の二人は珍しい(?)双子で、少女の姿をした雷と水の神霊だった。名をシグとリズと言う二人はイヴと仲が良かったらしく、家に招いて貰ってコーヒーを飲ませてもらっている。
ヘリオスの方は別の意味で危ない気がするが、今のところは三人とも、シーナから聞いた霊獣狩りとやらとの繋がりを感じられない。シグやリズに至っては、契約相手がいない、北條となら契約してもいいとまで言われたのだから、九九パーセント関係ないと言ってもいいだろう。
(警戒するにも……情報が少なすぎる)
シーナは一度襲われたことがあると言っていたが、逃げる事に必死で相手の情報をあまり持っていないらしい。自分の命を狙われていたのだから仕方がない話ではあるのだが、やはり容姿的な特徴の一つでもあった方が警戒しやすい。
(契約霊獣が神霊――せめてイヴより序列が上の奴じゃなければいいんだけど……)
霊獣狩りの契約霊獣が精霊なのか神霊なのかすら分からない彼にとっては、その契約霊獣が神霊の中でもトップクラスに位置する奴だという可能性も考慮して考えなければいけないため、ぶっちゃけこの件について考えるだけで精神的疲労が溜まっていく。
イヴよりも実力が下の相手ならば何とか出来るはず――自分の契約霊獣が序列第四位の神霊である事だけが唯一の救いだった。
ハッキリ言って、今の北條は強くない。
この世界に来てから、明確な殺意を持って攻撃してくる相手と戦った事がない彼は、戦闘の経験値が少なすぎる。いくら強大な霊力を持っていて、高度な演算能力を持っていたとしても、本当の殺し合いと言うものを経験した相手と戦うのは全く別の威圧という物がその身に降り掛かる。
イヴとの修練や、学園での実技試験とはワケが違うのだ。
(異世界……本当の殺し合い、か)
彼がこの世界に来て一年経つが、人間ではないものの殺意を持つ魔物とすら戦った事がない。
いや、本当はそう言う機会を作ることも出来たのだが、していなかった。
(ひたすらイヴとの修練、下位魔術の練習……そんな感じで過ごしていたからな)
もしかすれば、霊獣殺しの様な殺意を持つ相手を前にして、足が竦んで動けなくなるかもしれない。足が竦む事はなかったとしても、自分に害を与えてくるものに手を下す必要があうかもしれない。
そうなれば、それなりの覚悟が必要になってくる。
(強い力を持って慢心しちゃいけない。今の僕は、たまたま別の世界で強い身体と強い霊力を持ち合わせた、鍍金の少年でしかないんだ)
本当に強くなるためには、やはりまずは魔物との殺し合いをするのが一番手っ取り早いだろう。
(近い内にイヴに言って冒険者になろう)
簡単な後の方針を決めた所で、イヴのものではない自分とイヴ宛の声が聞こえてきた。
「おはようイツキ、イヴ」
メリアン=ユイハード。
銀色のゆるふわウェーブが肩に掛かるくらいまで伸びていて、青金石を思わせるような深い青色の輝きを持つ瞳が特徴的な、これまた美少女である。
セリアに仕えているらしく、シーナと同様Ⅰ等級の実力者だ。
北條の隣の席である彼女は、手持ち鞄を長机の上に乗せて席に着く。
「おはようメリアン。鞄の中、何入ってるの? 今日も午前授業でさして持ってくるものは無かったはずだけど」
「特に何も入ってないの。昨日と同じなの」
一見無愛想に見えるが、これが彼女のデフォルト状態である。
そして、彼女こそがイヴと壮絶なミルクティーガチバトルを繰り広げ、ミルクティー地獄を展開している少女。彼女は既に超級のミルクティー能力(?)を持っているのだから、出来ればこれ以上上手くなるのはやめて欲しいと言うのが北條の本音だったりする。
「そ、そうか……」
タイミングを見極めろ。
偶然――実際はメリアンが仕組んだ為そうは言えない――にも、イヴとメリアンは北條を挟むような席となっている。ミルクティーの事を伝えるなら今が絶好のチャンスである。
(言え、言うんだ僕……ッッッ!!!)
しかしどういう訳か声が出ない。
決して彼が本当はミルクティー地獄を抜けたくないだとか、そう言った理由ではない。彼自身、一刻も早く抜け出したいと思っているのだが、何故か言葉が出ない。
(心の何処かで、これを言ってはマズイと思っている……だと!?)
あるいは、北條の中に存在する良心とやらが、今まで頑張ってきたイヴの努力を無駄にしてはいけないと思っているのか。
あるいは、コレを言ってしまえばイヴやメリアンとの関係がギクシャクしてしまうんではないかと言う恐怖心が存在するのか。
あるいは、北條はミルクティー地獄を抜け出すことが出来無いと言う運命パワーが作用しているのか。
そんな心の葛藤を繰り広げている間に、昨日も聞いたチャイムの音が教室内に鳴り響いた。まだホームルームの時間ではないから、おそらく別の要件なのだろう。
『一学年、イツキ=ホウジョウ、イヴ=ヴァレンタインは至急学園長室まで来なさい』
セリアの声だった。
それを最後まで聞き届けた北條は顔をしかめて呻く様に言った。
「ねえこれわざとなの? 絶対わざとだよね。折角遠隔通信術装もらったのに使わないの!?」




