#18 神霊 Sanctus_Krad
ドロイトが得意とするのは順に、強化付与、結界、治癒であり、攻撃系の術式はさして修練しようとしていなかった。体格がよく、体術もそれなりに扱える彼は、強化付与で己の身体を強化する事で、ソレを武器にして今まで戦ってきた。
その相手が霊獣にしろ、魔物にしろ、だ。
長い間、そのスタイルが崩れたことはない。
強化付与を身体
に施し、強化された脚力で地面を蹴った。物凄いスピードで前方に跳躍した彼は、その勢いに乗せて霊獣殺しを振り抜いた。ブウォン! という重い音と共に風が巻き上がり、広場に生えていた数本の木々が揺れる。
しかし、当たらない。
シグとリズはそれぞれ違う方向に軽くステップするだけで、霊獣殺しの刃と剣風から逃れる。
「そんな大きな攻撃じゃシグ達には当たらないよ」
「だろうな」
少し離れた所から聞こえてくる少女の声を聞いたドロイトはニヤリと笑い、霊獣殺しを振り抜いた態勢の軸足で地を蹴り、右に跳んだ。
一瞬の動作だった。
動いている物体を線を外さずに持続して識別する能力――つまり動体視力が元々良かった彼は、強化付与によって更に強化された動体視力で、双子の神霊の内、片方のみを集中して視ていた。
狙いは神霊シグ。
金髪ポニーテールの動きだけを集中して視ていた彼は、彼女が右に跳んだ瞬間に身体の重心、右足の向き、そして意識を右側に向けていた。あとは地を蹴るだけで、常人レベルを超えた脚力で神霊の元へ跳べる。
「なっ!?」
「ちなみに、俺様の武器は霊獣殺しだけじゃないんだわ」
右手で握っていた霊獣殺しを前に突き出す様な態勢、つまり左半身を後ろに引いた状態から、右腕を横に振った。それと同時に出てくるのは、強く握り締められた左拳。
それを全力で振り抜く。
狙うのは額。
生憎と彼は女性の顔――可愛い顔をした少女の顔に傷を付けても何とも思わない男だったため、その挙動に迷いの類の感情は感じ取れない。
そもそも、何故か圧倒的に女性が多い霊獣を四体も殺しているのだ。今更そんな感情は芽生えなかった。
「くっ!?」
とは言え、神霊の身体能力も並ではない。
迫ってくる拳の軌道を予測――自分の顔面を狙っていると判断したシグは、歯を食いしばって顔を横に倒した。
ブン! と音を立てて振り抜かれた拳がシグの髪の毛を掠る。髪が引っ張られたことによる地味な痛みに薄らと顔をしかめたシグは、目を見開いた。
全体重が前方向に向かっているドロイトは、その勢いに任せて霊獣殺しを下段から振り上げていた。
「ぐっおぉぉぉおおお!!!」
お世辞にも少女のものだとは思えない雄叫びを上げたシグが、全神経を回避運動に向けて身体を捻る。下段から斬り上げられた霊獣殺しから一瞬も目を離さずに、白いパーカーを掠らせてなんとか避けるのに成功した彼女は、一気に後方に跳んで距離をあけた。
「流石、今のも避けるんだぁ」
「……ちっ、お前、最初からシグだけを狙ってやがったな?」
「ご名答。別に二人同時に倒す必要なんてないんだし? それとも、二人同時にやったらボーナスでゲット出来る宝玉が大きくなるってんなら頑張ってもみるけど」
「どこまでもナメてんな」
吐き捨てる様に言ったシグは長いもみあげを耳に掛ける。
「ねえ貴方。神霊について何処まで知っている?」
「あぁ?」
突然のリズの言葉に霊獣殺しを肩に担ぐようにしたドロイトが返す。
「これはあくまでリズの推測でしかないけれど、貴方、今神霊なんてチョロいもんだ、とかそんな感じの事を考えているでしょ」
「その通りだが、何か?」
「残念だけどその考えは間違えてるよ」
まるでドロイトが続ける言葉を聞く前から分かっていたかの様に即答する。
確かに彼は、目の前に立つ神霊を今まで戦ってきた精霊と同格の様に見て戦っていた。過去に三体の精霊を屠った事のある彼に、見覚えのある感覚があったのだ。
精霊と戦っている時の既視感――と言うべきか。
神霊と精霊とでは大きな力の差があるはずなのに、神霊シグと神霊リズからはそれがあまりにも感じられなかった。
今まで倒した精霊の実力と何ら差異が無い。
まるで、目の前の二人は実は神霊なんかではなく精霊なのではないか、と思うくらいに。
確かに霊力は精霊のソレとは違う、実際に今まで神霊と邂逅した事のなかったドロイトでも分かる程の差だった。
しかし、それに伴う実力というものをほとんど感じられない。
霊術の精度も保持する身体能力も当たり前ながら常人レベルではない。だが、それだけだった。
避けられはするものの容易く懐には潜れるし、霊獣殺しで術も掻き消せる――これに関しては霊獣殺しの性能がずば抜けているだけかもしれないが。更に言えば、さっきの攻撃は当たりまでしないものの、掠っている。
「手に届く範囲だろーがよ」
「滑稽だから教えてあげるよ、神霊と精霊の違いってやつを。『何だ、精霊と何ら変わりが無いじゃないか』、それが貴方の考え」
「実際にその通りだろ? 別に俺様は今まで神霊様なんかに会った事がなかったから実力を測る何て真似は出来ないが、少なくともお前らは、今まで戦ったことがある精霊と対して変わらねえ」
「その時点で間違ってるんだよ」
「あ?」
「貴方は何も知らない。そもそも前提を間違っている。確かに、精霊と対して変わらないって言う点は大体合ってるよ。大体ね」
リズの言葉に付け足すように、ドロイトから見て右方向に立つシグが続ける。
「理解できてないようだから教えてやる。つまり神霊って言うのはなぁ、今の状態が通常状態ってヤツなんだよ」
そこでようやくシグが言わんとしている事に気が付いたドロイトが、ピクリと眉を潜めた。
「つまり、そういう事だ。お前は今まで三体の精霊と殺りあったんだろ? きっとお前に殺された精霊は生きるために、死に物狂いで戦ったんだろーな。全力で」
「そして貴方は、その精霊とリズ逹が大して変わらない、そう思った」
「大体合ってるよ。だってシグ達は現状、精霊が本気を出している状態とほとんど変わらないからね」
「……、」
「神霊と精霊の違いは、元々の実力の基礎値、その差。精霊の基礎値が一だったとして、全力ってものが十なのだとしたら、対する神霊の基礎値は十。まあシグ達は神霊の中でも下っ端の方だから、残念ながらそんなもん」
神霊シグと神霊リズは、合計十人いる神霊の序列で第八位となっている。別の言い方をすれば、下から二番目だ。
そんな彼女らの実力の基礎値は、確かに並の精霊の全力状態を同等だ。きっと、ドロイトに殺された全力を出したであろう精霊に近しい物。
錯覚するのも無理はない。
「くっはは、つまりお前たちの本当の実力ってヤツはまだ上にあるって訳か」
「ま、こんな所で全力を晒す程リズ達はバカじゃない。もっと言えば、ここで全力の一部でも見せてしまえば、ここら辺一体、瓦礫の山になるだろうし、きっと死人も出る」
「噂をすれば衛兵さんが来たみたいだ」
シグが闇の向こうへと目配せをする。その先では、暗闇の中で二つの光が揺れていた。おそらく、光属性の魔術か雷光石の灯りだろう。
「こちとら疲れてるし、どっちにしろ今回はこの辺みたいだけど……一つ忠告しておく」
シグが目を細めてドロイトを見据えながら言った。
「これ以上霊獣に手を出したら、容赦はしないよ」
「上等だ。……まあ? そこで『殺す』って言わなかったって事は本当に俺様を殺せるかどうか判断に迷ってるってことにしておくよ」
「……、」
相変わらずのドロイトの言葉に薄く顔を顰めたシグだったが、それ以上は声を発しなかった。
衛兵の足音がかなり近いところまで来ていたからだ。
「じゃーな、神霊様」
強化付与で強くなった脚力を使って後ろに跳んだ彼は、降りた時と同様に軽い動作で城壁の上に移動すると、そのまま闇の中へと消えていった。
「シグ」
「分かってる」
リズの言葉に頷いたシグ。双子は路地裏に入っていき、そこで転移術式の演算を開始する。例の如く、薄い青色の光をまとった彼女らは、やがてロックスフィードの街から完全に姿を消し去った。
「誰かいるのか?」
残ったのは、轟音を聞いて駆けつけた衛兵と、その声だけだった。




