終章Ⅲ MarcelloⅢ
教室に戻ると、散らかった机や椅子等は全て綺麗に整い直されていて、生徒達は皆席に座って既にアウラの授業を受けていた。
当事者の北條が思う事ではないが、どうしてあんな事があって直ぐに普通に授業を出来るのだろうと考えたが、ここは自分が暮らしていた世界とは全く別の世界――と言う事を理由にしておこう、そう心の中で呟いて納得した。
「あらお帰りなさい。ささ、席に着いて」
魔術の基礎中の基礎、術式演算について黒板に長々と書いていたアウラが一旦手を止め、教室の入口に立っている北條とイヴを促した。
二人は頷いて自分の席へと向かう。途中、北條と目が合ったメリアンが薄ら微笑んだのを見て、彼も微笑み返しながら視線を教室の端へと向けた。
(カゼルはいない……保健室(?)にでも連れてかれたか?)
物理攻撃は無効化されない魔力変換フィールドの中で、問答無用で全力の殴撃を放った北條は、カゼルが教室にいないのを確認して小さく溜め息。
(これ以上コッチ側から関わるのは絶対に止めた方がいいよね……何されるかわからないし。もう結構遅い気がするけど、本格的に敵に回すのは流石にまずい)
取り巻きの突き刺すような視線を受け止めながら肩を落とす。
そんな中、シーナは北條を睨みつける取り巻き達に視線を向けながら、「あの戦いを見てよくそんな目つきが出来るねぇ。尊敬するよ」と小さくこぼしていた。
よく見てみると、他の生徒達の北條を見る目がかなり変わっていた。彼を尊敬するようなキラキラした目で見ている者――極少数だが――や、胡散臭い者を見るような細い目をしている者、気に入らないと眉間に皺を寄せている者、明らかに恐怖の念を抱いている者――こちらも少数――等、様々。
(やっぱりそう簡単に評価は変わらないか……)
実力主義の魔術の世界で力がない人は認められない。
しかしどうやら、その世界に置いて等級とはかなり重要なものとなってくるらしい。もしかするとどれだけ北條が実力を示したところで、その等級が最低等級ならば冷たい視線を向けられ続ける。
(ま、確かに魔術の腕が確かな一等級さん達は暮らしに困らない。五等級の僕は五等級ってだけで悪い意味のお役御免ってことだね。……実力主義なのに胡散臭い石の力で判断するのってどうかと思う)
実際に国の師団に入るためには実技試験も必要となってくる。それで認められなければ、いくら一等級だったとしても切り捨てられる。
もっとも、五等級の北條は入団の試験を受ける権利自体貰えないのだが。
(いいんだけどね。僕自身、働いてつまらない人生を送るくらいなら、冒険者になって自由に色んなものを見てみたいし)
心の中で呟いた北條は、イヴと共に席についてそのままアウラの授業を受けた。
「イツキ、この後はイツキの家にお邪魔するの」
四時限目と帰りのロングホームルームを終えた後、メリアンが表情に薄らと笑みを浮かべそう言った。
元々あまり笑わない基本無表情だったメリアンは、しかし北條と出会ってその表情のバリエーションを豊かにしてきた。これぞ恋する乙女の力なのかもしれない。
両手を小さく握るメリアンと一緒に北條を挟む形で座っていたイヴが、彼女の言葉を聞いて悪い笑みを浮かべた。
「うふふ、いいでしょう。今日こそ貴方より美味しいミルクティーを作ってみせますわ」
「ふん、出来もしない事を口走らない方がいいと思うの。どうせ今日も私が勝つの」
「……ど、どうでしょうね? 今日こそは私が勝つかもしれませんよ?」
「凄い動揺してんな」
一等級魔術師メリアンの威圧的な口調に神霊イヴがたじろぎながらも何とか返答する。その様子を見ていた北條が思わずツッコミをした。
ハッキリ言って勝敗はどっちでもいい――ではなく、どちらが作るミルクティーも十分美味しいため、この戦いはそろそろ終わって欲しいのだが、嘘を付いても何故かすぐにバレてしまうのだ。
「待っててくださいね、イツキ様。私が早くメリアンさんを超えるミルクティーを作って、毎日満足させてみせますから!」
「い、いやね? 今のでもう十分美味しいんだけど……」
「イツキ。審査で嘘を付いたら怒るの。寝込みを襲いに行くの」
「ふぁっ!? わ、私でもそんな事はした事が無いというのに、貴方は何て事を!」
「コラコラコラやめろ! 分かってる嘘は付かないから本当にやめてくれ!」
仲がいいのか悪いのか分からない二人を取り押さえた北條の元にシーナが駆け寄ってきた。
「何か楽しそうな話してるね~」
「シーナ」
ニヤニヤと悪い笑みを浮かべたシーナに苦笑した北條が頬杖を付いた。
「ねえねえ、この後メリちゃんイツキ君の家に行くんでしょ? あたしも行ってみたいなあ、行ったことないし」
「んー? 別にいいけど、もしかしたらお腹ブクブクになるまでミルクティー飲まされることになるかもよ?」
「あはは、大丈夫だよ。イヴさんのもメリちゃんのも凄く美味しいんでしょ? これ以上は無理ってなったら適当に躱すよ」
活発な笑みを浮かべたシーナは北條の肩に手をポンと置いて、
「だからあたしも行かせてね? いいでしょ?」
「僕は全然構わないよ。大歓迎さ」
断る必要もない――むしろ、一緒にミルクティーを消費してくれる人が出来て楽になるため大歓迎だったため、快く承諾した。
過去にイヴとメリアンの戦いに巻き込まれ、トイレと言う名の治療室に閉じこもった事があった。
「――ふっ、めっちゃ最近だ」
遠い目をしてそう溢した北條を見てシーナが首を傾げる中、イブとメリアンの言い争いが一段落着いたらしい。
「それではまず買い出しからですわね!」
「望むところなの。最高のミルクティーを用意するの」
ビチバチと火花を散らせながら睨み合っていた二人はそう言うと、北條とシーナの方に向き直った。
「イツキ様、これから私達は街に出て買い物に行ってきます! 先に家に戻っていてください!」
「そういうことなの。最高のミルクティーを用意するから楽しみにしているといいの……シーナも?」
「え? あぁ、うん。あたしもお邪魔するよ」
「そう。分かったの……イツキと二人きりにするのはあまり好ましくないけど、仕方ないの」
不服そうな表情で北條を一瞥したメリアンが、長机の下に置かれていた鞄を手に取って言った。
「じゃあ行ってくるの。イツキ、家で待ってるの」
「イツキ様、それではそういう事ですので、私は買い物に行ってきます……シーナさん、くれぐれもイツキ様を襲ったり押し倒したり食べたりしないでくださいね?」
冷めた目でとんでもない発言をするイヴに溜息を付いた北條の隣で、シーナがからかう様に笑った。
「どうだろうね? あたしにその気がなくても、案外イツキ君の方から来ちゃったりするかも?」
「わーわー! そんな事絶対ないからイヴは安心して買い物行ってきなさい!」
シーナの言葉にむぅと唸ったイヴが同じように鞄を手に取るとメリアンと共に歩き出す。
何だかんだで仲良さそうにしている二人を見て、北條は薄ら笑みを浮かべると手持ち鞄――ほとんど何も入っていない――を肩に背負ってシーナの方に振り返った。
「それじゃあ行こうか。僕の家はココから大体十分くらいで着くよ」
「結構近いんだね。うーん、どうしよう。一応、一番気合入れた下着に変えてこよっかな……」
「な、なんだよ。ただの悪ノリじゃなかったのかよ……」
彼女の真剣な表情を見て冷や汗を垂らした北條が動揺しながら小さく溢した。
これでも一応男な北條はシーナの言葉を聞いて脳内で彼女の下着姿をイメージしてしまう。
それを見た彼女は悪いニヤニヤを浮かべながら、
「えー、なになに。想像してるの? あたしの下着姿」
「ち、違っ! ただ今日はどれくらいミルクティー飲まされるんだろうなあって考えてただけ!」
「その割には鼻の下が伸びてたような気がするけど?」
「伸ばしてない!」
ニヤニヤニタニタするシーナに反論した北條。彼女が「ごめんごめん」と笑いながら謝るまでムッとした表情を浮かべていた彼は、やがて小さく息を吐いた。
「まぁいいや、早く帰ろう。今日は色々と疲れたよ」
「そうだね。イツキ君、今日は色々あったもんねぇ。朝から罵倒されて、学園長に呼び出されて、帰ってきたら演習でアウラ先生と仕合して、そしたら今度は同級生に喧嘩を売られる」
教室を出て、道を覚えているシーナに着いて学園を出た北條は歩きながら呟いた。
「本当に長い一日だったよ……。これで初日なんだから、本当に先が思いやられる」
「あはは。まだ学園生活は始まったばかり。順調に行けばこれから四年間、君はずっと五等級のままこの学園で生活するんだ」
「本当に勘弁してください」
肩を落とす北條にシーナは笑いながら、
「イツキ君は霊術師なんだから、五等級の教室で勉強するより一等級の教室で勉強したほうが遥かにいいでしょ。ま、風当たりは強いだろうけどね」
「それなんだよね……一番の問題は」
見た感じだと北條を認めた(?)人は少なかった。
等級の威厳に息を溢す。
「いや、五等級じゃなくてせめて四とか三とかだったら良かったんだけどな。カゼルの取り巻き、アレはみんな三等級だよね?」
「みたいだね。それなりにお金と権力を持っているんだと思うよ」
「面倒事の匂いがプンプンする……杞憂に終わればいいけど」
昼間の街はやはり賑わっていた。学園都市ということで、人口の大半を学生が占めているこの街、普段は夕方から夜に掛けての時間帯の方が道行く人は多いのだが、どうやら本日は学園のほとんどが午前授業だったらしい。北條達レイヴス学園の制服以外に様々な制服を着た学生が行き交っている。
白が基調の制服が多い中、漆黒のレイヴス学園制服は随分と目立っていた。
色が理由だと気がついていないシーナが笑いながら言った。
「何だか沢山の視線を感じるんだけど、もしかしてあたし達、カップルに見えてたりするのかな?」
喜々した表情で北條の腕を抱いたシーナ。その高校生にしては豊かな双丘が彼の二の腕に押し付けられ、北條は顔を赤くしながら、
「ちょ、やめろよ! 人が見てるだろ! し、しかも、ああ当たってる!」
イヴによくやられる事ではあるのだが、彼女の時はあまり感じるものが少ない。家族のように思っているからかもしれないが、しかしシーナにやられるのは別だった。
シーナはしてやったりと言った顔で言った。
「当ててるのよ」
「うあー」
まさかこの言葉をこの世界で聞くことになるとは、と呻く。
このままではシーナのペースに飲まれると判断した北條は、自分から仕掛けることを決断した。
「そ、そんな事したら惚れちゃうかもしれないよ? このまま家に帰れば二人っきりだよ?」
すっかり勝ち誇った表情を浮かべた北條を上目遣いで見たシーナは、やがて何かを考えるように目をつむった。
シーナは最後の一言に何か意味深なモノを受け取ったらしく、徐に目を開いて言った。
「残念だけど、どうせイツキ君にそんな事をする度胸はないでしょ? あんなにスタイル抜群で、明らかにイツキ君を好きなイヴさんと同棲してるのに、何もないんだから」
「うっ」
最もなことを言われて息を詰まらせる北條。
確かに彼女の言う通りだった。
イヴは容姿端麗スタイル抜群の絶世の美女だ。おまけに触り心地満点な尻尾や耳まで付いている。日本の街を歩いていればすぐにモデルスカウトされるだろう、絵に書いたような美女だ。
しかし、何故だか今は全然恋仲になりたいと思った事はなかった。
どちらかというと、彼女は自分の命の恩人で、この世界に生きていくにおいて必要な、大切な家族だという考えの方が強かった。
イヴは自分を慕ってくれている。それは日々の生活で十分に理解しているつもりだ。たが北条はそれを恋愛感情だと気が付いていない。
思考を巡らせている間に北條達は目的地である家にたどり着いていた。
「ここがイツキ君の家か。結構大きいね」
「イヴが選んだんだよ。二人で住むには大きすぎると思うんだけどね」
苦笑しながら、イヴが購入した少し大きめな家を見上げた北條は、突如春風に吹かれてめくれ上がったシーナのスカートを見た。
どうやらシーナは毎日気合が入っているらしい。




