終章Ⅰ MarcelloⅠ
魔力変換フィールドは解け、残ったのは気を失って倒れたカゼル=ダーレントゥスと、立ち尽くしてソレを見下ろす北條壱騎、そしてその二人の仕合を静かに見届けた一等級組の生徒達だった。
経過時間はおよそ二十分。
既に他のクラスは四時限目を始めている頃合だが、防音効果も掛けられた結界の中での出来事は全て他の教室に届いていないらしい。
尚も続く静寂を破ったのは、一等級組の担任教師であるアウラ=ヴィリアンの声だった。
「イツキ君」
先程まで結界が施されていた境界を越え、北條の側に寄り添ったアウラはその肩に手を置いて言った。
「カゼル君の事後処理は私がしておくから、貴方は取り敢えず学園長室に行ってらっしゃい。学園長がお呼びよ」
「学園長が?」
「ええ。渡すものがあるとか何とか言ってたけど、身に覚えはない?」
「渡すもの……遠隔通信の術装か?」
アウラの言葉を聞いて、顎に手を当てて考えた末に出てきたのは、朝、学園長室で約束した遠隔通信の術式施された術装だった。渡すものといえばそれ以外記憶にない。
準備が早いなぁと内心で感心しつつ、アウラに一言告げて廊下に出た。
学園長室までの道のりは厳しいものとなるだろうが、今の自分なら何故だか辿り着ける様な気がする……呟いて小さく拳を握ると、四等級組の扉を開けてイヴが出てきた。
「セリアの所へ行くのですよね?」
「うん。遠隔通信の術装が準備できたみたい」
「ならば私も行った方がいいですわね」
「そうじゃなくてもついて来たでしょ……」
軽口を叩いて二人は歩き出した。
こう広い学園内も、何回も歩けば見覚えのある光景と言うのが分かってくる。実に二往復程している北條は、多少迷いながらも脚を進めていった。
「そう言えば先程の仕合、お見事です」
「あはは。形振り構わず魔術ぶっ放してた様な気がするんだけど、大丈夫だった?」
慣れない経験の所為か、目の前の敵に夢中になり過ぎていたかもしれない。その時の事を思い出そうとするが、上手く思い出せないで歯がゆい思いをしていると、横からイヴの声が掛かった。
「全然大丈夫でしたよ。最後もカッコ良かったです」
何の裏もない笑みを浮かべてくるイヴを見て、表に出さないがゲッソリした表情を浮かべたくなる北條だったが、何とか踏みとどまった。
まさか自分が説教する立場になるとは思ってもいなかった。
なるべく平穏に暮らして行きたかったのだが、そういう訳にも行かないかもしれない。
取り巻きがいるという事は、彼はそれなりの家の者なのだろう。少なくとも、その取り巻き達は一等級ではないが、一等級組に入れるだけの権力を持っている。
となるとカゼルはそれ以上の――
そこまで考えて頭を振って思考を霧散させた北條は、小さく溜息を付いた。
(今考えても仕方がないことだ。やってしまった事はどうしようもないしね。先に喧嘩を売ったのは――――僕じゃんッ!)
一度落ち着いて事の成り行きを振り返ってみれば、明らかにカゼルを煽ってその気にさせたのは北條だった。現実逃避だのなんだのと調子に乗った発言をしてしまった事を今更ながらに後悔する。
(そもそも僕自身コネみたいなもんだし。セリアさんは後ろ盾になってくれるのかも微妙だし……っていきなり他力本願だな、僕)
具合が悪くなり、胃がキリキリする感覚を覚えながらおぼつく足を無理やり動かす北條。
先が思いやられる。
(それに今思えばまだ初日だぞ!? 何やってるんだよ僕はぁ!)
「ど、どうかしましたかイツキ様。先程から顔色が優れない様子ですが……」
「んー、初日からいきなり馬鹿みたいなこと仕出かした過去の自分を呪ってる最中です」
北條が放つ負のオーラがどよよんとした空間を作り出す中、イヴが困った顔をしてあたふたしている。
「だ、大丈夫ですイツキ様。例え何があろうとイツキ様は私がお守りします。むしろ私達が力を合わせればこの世に怖いもの何ていませんよ!」
「そ、そうかなぁ……」
「そうです! 最悪何処かの島で二人、仲良くのんびりイチャイチャと隠居しましょう! ハッ! そうです、そうしなければいけない状況を作り出せばイツキ様は必然的にそういった方法を取らなければいけなくなる……? そうと決まれば早速あの少年を亡き者に――」
「この世界には僕の味方がいない……だとっ!?」
イヴのよからぬ陰謀を耳に挟んでしまった北條は驚愕の表情を浮かべ、震える口でそう呟いた。
数秒後、もし本当にそうなってしまったら洒落にならないと我に返った北條が慌ててイヴに釘を刺す。
「や、やめろよ!? イヴはそう言うの本当にやりそうで怖いから! 本当にやめてよ!」
「ですがやはり私は今の生活より二人でイチャラブ隠居生活の方が……そしたらメリアンさんもシーナさんも絡んでくることは無くなるし」
「思ったことはせめて口に出さないで心の中で呟いて。丸聞こえ。本当にヤダ」
「ならばどうしましょう? 穏便に私達が隠居を強いられる状況にする、そんな事出来るでしょうか?」
「ちょっと待とうか! 隠居は決定事項なの!? しかも強いられる状況にするって、既に強いられてないから!」
「イツキ様、細かいことは気にしなくていいんですよ。今は取り敢えず、隠居に最適な場所を探しましょう? 無人島とかいいですね、探しますか」
「……もういいです。疲れました。僕は親身ともに疲れ果てたので早くベッドに潜りたいです」
「ベ、ベッド……ッ!? で、でしたら今夜はこのイヴめがイツキ様を親身共に慰めて差し上げましょう……」
「い、イヤーッ!? 僕は今夜一体何されるんだ!? 怖くて寝れないわアホッッ!」
随分と積極的で自分に正直な従者の発言を聞いて身体を震わせる。今夜寝たらまずい、そう本能は叫んでいるが、身体を襲う疲労感がソレを黙らせた。
体力的には問題ないのだが、精神的な部分が疲労困憊だ。
密かに、どうやってイヴを撒こうか考えている内に、無事学園長室に辿り着いてホッと溜息をつく。
もしかしたら学園内を彷徨って新居に……教室に戻ることすら叶わなかったかもしれない。
自分の身体状況の所為もあってか、本気で学園内の構造を覚えようと決心した北條は、学園長室の白い扉を二回ノックして、名前を言った。
扉の奥からセリアの許可の声が聞こえたため、ゆっくりとその扉を押し開けた。
「ほう、二人だけでココに辿り着いたか。朝はメリアンに案内してもらっていたそうだが?」
「いや……また案内してもらいたかった気持ちは山々なんですが、教室の雰囲気的にメリアンを呼ぶのは少し躊躇いという物があってですね」
「ふふ。初日から面倒な事に巻き込まれていたようだが? ……いや、巻き込まれたと言うよりも、騒ぎの中心にいたのか」
何時もの様に椅子に浅く腰をかけたセリアが、手を口元にやって小さく微笑んだ。
その様子を見て訝しげな表情を浮かべた北條は、軽く首を傾げて尋ねた。
「え……? セリアさん、何があったのか知っているんですか?」
「あ、あぁ。本当はアウラにイツキ君の――じゃなくて、クラスの授業風景を見せて貰おうと思ってな、映像を映し出すタイプの遠隔通信の術装を持たせてたんだ。教室の側まで行けば、何やら中が騒がしい様子でな。アウラに頼んで一部始終を見させて貰ったよ」
「ま、マジですか……」
自分がそれはもう大層な事を口走っていた事を思い出し、羞恥で頬を薄らと赤くする。
五等級のコネ生徒が、本物の一等級相手に説教を垂れたのだ。
しかも、決め台詞に「一辺眠って更生しやがれ!」だ。
「~~~ッッッ」
身悶える北條を見て、セリアだけでなくイヴもクスリと微笑んだ。