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電装戦記クアド・ラングル  作者: 神宮寺飛鳥
【春風は遠く】
20/24

6-1

「待って、春子さん!」


 駐輪場に回り込んだ陽毬に手を掴まれ足を止める。

 曇り空からはいつの間にかぽつりぽつりと雨が降り始めていた。ゆっくりと振り返った春子は、陽毬の想像とは異なる顔をしていた。

 怒るでも悲しむでもない、全くの無表情。それから僅かに眉を潜め。


「気にしないで、陽毬。いつもの事だから、さ」

「いつもの事って……」

「見てたろ? アタシはあの親父の事が大嫌いなんだ。嫌いで嫌いで、憎いくらいだよ」


 自嘲染みた笑みを浮かべながら春子は空を仰ぐ。陽毬は手首を掴んでいた手を下へ滑らせるようにして春子の手をそっと握った。


「そんな風に言わないで、春子さん。だって春子さん……今、すごく自分を傷つけてる」


 思わず息を呑んだのはそれが図星だったからだ。

 胸の奥底がズキズキと痛むのは、実の父親を憎もうとする自分が原因。それはもう随分と前からわかっている。

 だがわかっているからといってやめられるほど人間の感情は容易くない。それが血を分けた肉親であればこそ、割り切れない事もある。


「……陽毬には関係のない事だろ? どうしてアタシに構うんだ?」

「春子さんは静流ちゃんの事を気にかけてくれたよね。それに関係ないなんて寂しいよ。私達もう友達でしょ?」

「アンタ…………ほんと、お人好しだね」


 にっこりと微笑みを返す陽毬。強くなり始めた雨足に、二人はトタン屋根に遮られた駐輪スペースで語り始めた。




「すみません。皆さんの楽しい時間を壊してしまって」

「あ、い、いや……べ、別に僕はいいんですけど」


 陽毬に事情聴取を頼まれた手前、三河は逃げることも出来ずにいた。

 面白半分で首を突っ込んできた佐々木と守谷を加え、四人の男たちはプラスチックのテーブルを囲んでいる。


「それで~、その~……話しづらいとは思うんですが、えーと、あの~……」

「春子とは、彼女がまだ中学生だった頃からずっとぎくしゃくしているんです。もし彼女が皆さんにご迷惑をおかけしていたのなら、父としてお詫びします」

「いや、全然僕は初対面だし、迷惑もかけられてないから大丈夫だし」


 実はさんっざんこき下ろされているのだが、知らぬが仏。今のところ三河には春子への悪感情はゼロであった。


「小日向さんとは知り合いなんですよね? 小日向さんとえーと、春子さんが友達ってだけみたいです。僕と小日向さんは友達だから……」

「友達の友達なんですね?」

「そ、そう。小日向さんは凄く優しい人だから、きっと春子さんをほっとけないんだと思うんです。それで僕に話を聞いておけとか無茶ぶりを……」

「大した事情ではありません。私は三年程前、妻と離婚しまして。彼女はその事を未だに割り切れずに居るのでしょう」


 少し複雑な表情を浮かべる三河。だが確かに、三河からしてもそれは“大した事情”ではなかった。

 むしろ、三河家の方がよっぽど複雑な家庭環境にある。少年は頬を掻き、それから腕組みし。


「それは、勿論大変だと思います。だ、だけど、それだけだっていうのなら、それは春子さんが反抗期なだけじゃないかな?」

「そうかもしれません。しかし、それだけではないのです。彼女にはどうしても私を許せない理由があるのです」

「と、いうと?」

「私は三年前まで、世間一般でいうところのオタクでした。そしてそれが離婚の原因になった……彼女はそう思っているのです」




 ――父親がオタクというのは、子供には都合のいい環境だった。

 アニメにもゲームにも理解があり、詳しく、そして躊躇いなく投資してくれる。そんな父親の下で春子は幼少期を過ごした。

 少女向けアニメを録画して父親の膝の上で何度も見たし、魔法少女ごっこには喜んで父親が付き合ってくれた。

 マンガもアニメも父が教えてくれた。古い作品にも詳しかった。勿論、春子には古い新しいという事もよくわからなかったが。

 母親と遊んだ記憶はわずかしかない。春子は昔からインドアだったし、母よりも父の方によく懐いていた。

 最初は父親がどういう趣味を持つ人間なのか、春子も理解していなかった。

 しかし小学校高学年になる頃には既に父が世間から後ろ指さされるような人物であるという事は理解していたから、あえてオタク趣味を避けるようになった。

 父は優しく穏やかで、あまり口数の多くない男だった。大学を出て、家電メーカーに就職。ごく普通のセールスマンで、これといってぱっとしない。

 けれど子供には優しく、そして子供の行動に深い理解を持っていた。だから春子が反抗期になり父親を避けるようになっても気にする様子はなかった。

 すれ違いはあったが、それはどんな家庭にでも少しはあって、子供が大人になれば笑い話になってしまう程度。その筈だった。

 決定的に何かが変わってしまったのは、ある日突然母親がいなくなってしまってからだ。

 二人の離婚の理由を春子は知らない。だが、母はいつも父と娘の間に入ろうとしなかったし、父はいつも母をオタク趣味に付き合わせようとはしなかった。

 どういった馴れ初めで二人が結婚したのか春子は知らなかったが、いなくなって初めて、母がこの家庭の中でどんな事を考えていたのか、思うようになった。

 突然の喪失にはどうしても理由が必要で、納得の行くだけの答えを少女は求めていた。そんな時都合よく目の前にあった問題、それが父親のオタク趣味だった。

 娘は一向に離婚の理由を口にしたがらない父親に業を煮やし問い質した。離婚の原因は、このオタク趣味にあるのではないか、と――。


「笑っちゃうでしょ? これがアタシの抱えてる問題。なんとも幼稚で、低俗な悩みだ」


 梅雨の天気は一度崩れると中々戻らない。きっと明日も雨になるだろう。

 薄い屋根を打つ雨音に包まれながら、二人は駐輪場で肩を並べていた。


「そんな事ないよ。悩みの大きさに比較対象なんていらない。春子ちゃんが苦しんでいる、それは間違いなく事実なんだから」

「……親父は直ぐ、自分があんなに好きだったオタクグッズを全部処分した。それからだ。アタシとあいつが上手く行かなくなったのは」

「どうして? お父さんは春子ちゃんの為にオタクをやめてくれたんでしょ?」

「そうだよ。だけどあいつはそれから笑わなくなったんだ。昔はあんなに笑ってたのに。アタシはさ……それは、アタシに笑いかけてくれてるんだと思ってたんだ。だけど親父はアタシに笑いかけなくなった。じゃあ、あいつは何に笑ってたんだ? 何に幸せを感じてたんだよ……」


 気の抜けた顔で、ぼんやりと毎日を過ごす父親。

 そりゃあ、昔からほうけた男だった。けれど趣味に打ち込んでいる間、彼はいつでも活力に、そして笑顔にあふれていた。

 それがなくなった時少女は打ちのめされたのだ。この男が愛していたのは自分ではなく、アニメやゲーム、マンガ……空想の世界だったのだ、と。


「それからなんかもう、色々頭の中グチャグチャになっちゃって……。アタシ達家族ってなんだったんだとか……アタシはこれまで何をやってたんだ、とか……。考えれば考える程、嫌になるんだ……」


 母を孤独にしたのが父のオタク趣味だというのなら、それに傾倒していた自分にだって責任はあるのだ。

 離婚の原因に娘である自分が関わりないとするほうがおかしい。責任の所在、何が正しく何が間違いだったのか……それを考え真正面から受け入れられるほど、高校生の心は強くはない。


「……そっか。それで“オタク趣味”が嫌いだった……ううん。怖かったんだね。うん、でも納得した」

「何が……?」

「春子さん、私の部屋を見ても驚きはせよすぐ順応してたでしょ? あ、この人こういう部屋に入るの初めてじゃないな、って思ってたんだ」

「…………まあね。親父の昔の部屋の方がひどかった。金に物言わせやがって、あの変態」

「遠見さんは、元々不真面目な人じゃなかったんだね?」

「うん。むしろクソ真面目で、家族の為に一生懸命働いてた……と、思ってた。だけどそれもオタク趣味の為だったのかもね……」

「それでお父さんが信じられなくなっちゃったんだね。だけどそれには少なからず自分も関わっていて、だからお父さんを責める時、自分の事も苦しめてる」


 陽毬の言葉に頷き、深々と溜息を零す春子。

 父親に本当に激昂し感情をぶつけないのも、心の何処かで“自分にも非がある”という想いがある為だろう。

 本当にその事を心の中で追求しては、苦しさがましてしまう。だからどこかで歯止めをかける為に、ふと感情をクールダウンさせているのだろう。


「春子ちゃん」


 陽毬はそう呼びかけ、両腕を広げる。首をかしげる春子だが、陽毬はその身体を正面から強く抱きしめた。


「お、おい……陽毬?」

「話してくれてありがとうね。辛かったよね。苦しかったよね。自分の弱さや罪の意識と向き合うのは、本当に大変な事だもん。えらいね。よく頑張ったね」

「ばっ、馬鹿……何言ってんだよ。アタシなんか、別に……」


 陽毬の方が背が高い。自分より大きな女性の抱きしめられるのは春子にしてみれば随分と久しぶりな気がした。

 頭を撫でる手に思わず肩の力が抜ける。気恥ずかしさで顔は真っ赤だったが、そう悪い気分ではなかった。


「私には春子ちゃんの痛みや苦しみはなんとなくしか理解してあげられない。だけどね、私も小さい時にお母さんを亡くしてるから、少しはわかるつもりだよ」

「陽毬の家も離婚してたのか?」

「ううん。事故で死んじゃっただけ」

「ばっ! アンタの方がよっぽどひどいだろ! ったく、他人慰めてる場合かよ……! ほんっとにお人よしだな……」

「違うよ。私はもう、救ってもらったから」


 身体をそっと離し、少女は微笑む。


「私を孤独から救ってくれた人がいた。だから今は笑っていられる。私もね、もしもその人みたいになれたらどんなにいいだろうって、そう思うんだ」

「それは…………静流の事?」

「うん。静流ちゃんはね、私のヒーローなんだ。どんな時でも誰かの為に一生懸命になれる。弱い人を助けて、強い人をやっつける。だから私も、そんな風に生きていたい」


 苦笑を浮かべ、春子は肩を竦める。


「話を聞いてもらって、少し楽になった気がする。ヘンだよね。もし陽毬がオタクじゃなかったら、きっとこんな話は出来なかった」

「オタクの友達もなかなか悪いものじゃないでしょ?」


 落ち着いた様子で春子は帰ると言った。とりあえず今日の所は一度春子に考える時間を与えた方がいい。そう判断し、陽毬も笑顔で同意した。

 もう自暴自棄になって交通事故になることもないだろう。雨の降る中、春子は合羽を取り出し、まだ父親がいるであろうすばるを一度だけ振り返り、原付きに跨った。




「ふいー、ちかれた。ただいまっと……」

「おかえりなさい、静流ちゃん」


 リビングの扉を開けた瞬間、一家団欒の中に陽毬の笑顔があり、静流はそのまま思い切りずっこけた。


「兄さん……昭和のリアクションですね……」

「余計なお世話だ! なんで陽毬がいるんだよ? もう二十二時だぞ?」

「兄さん、もうお父さんは部屋で寝ているんですから、静かにしてください」


 純和風の湯呑みを傾けるましろの言葉に思わず仰け反る。その後、諦めたように溜息を零しテーブルについた。

 向かいの席には陽毬とましろが並んで座っている。テーブルの上には夕飯がラップに包まれて置いてあった。


「今日の夕飯は陽毬ちゃんも手伝ってくれたんですよ。良かったですね、女子高生の手料理です。泣いて感謝するといいですよ」

「うっせーなーいちいち……。んで、どうかしたのか? ウチにいるなんて珍しい」

「うん。実はね、静流ちゃんに相談したい事があってね……」


 夕飯をレンジで暖めながら制服の袖をまくり、手を洗う静流。その間陽毬はずっと静流に説明を続けた。

 今日すばるで何があったか。そしてこれまでに春子とどんな関係を築いたのか。そして春子と遠見という男の過去について。

 茶碗に米を盛り、箸を咥えながら静流は着席し直す。蒸気が貯まって熱くなりすぎたラップをひっぺがしつつ、ふむと一息。


「春子のやつそんな事情があったのか」

「静流ちゃんも知らなかったんだね」

「ああ。確かにあいつ、中学時代のこととか全然話したがらなかったからな……」

「中学生の時に両親が離婚して、その原因が父親のオタク趣味だったんだって噂になったみたい」

「あー……そりゃ思い出したくない黒歴史だろうぜ。それで一念発起して高校デビューってわけだ……ん、この揚げ出し豆腐ウマ」

「兄さん、それを作ったのは私でしょうか? それとも陽毬ちゃんでしょうか?」

「お前ら両方共料理うめーからどっちだかわっかんねーよ」


 唇を尖らせふてくされたように鼻を鳴らすと、ましろは「どうぞごゆっくり」と言葉を残しリビングを後にした。

 既に母も退席し、二人きり。TVもついていない静けさの中、静流が箸を動かす音だけが響く。


「んで、相談ってのは春子の事か?」

「うん。春子ちゃんと遠見さん、仲直り出来ないかなと思って」

「んー……。まあそりゃ、家族は仲良い方がいいわな。だけどウチ見てたってわかるだろ? 家族ってのは、そんなに簡単なもんじゃない」


 こじれたからにはこじれただけの理由があり、そして相応の重さがある。

 それを外側からどうにかしようというのはなかなかどうして難しいのだ。むしろ、余計にこじれてしまうことがほとんどだろう。


「何をどうしたって、俺にはお前の母ちゃんを戻してやる事は出来ない。お前にも、春子の母親を取り戻す事は出来ない。そうだろ?」

「……そうだね。だけど、このまま自分を責めて、お父さんを責めて、苦しい気持ちを抱えたままの春子ちゃんじゃ、あまりにもかわいそうだよ」

「そりゃな。だけど陽毬、確認しておくが、お前は遠見さんと春子、どっちに責任があると思ってるんだ?」

「それは……」

「お前の心情からすれば、肩入れしてるのは春子だろ。だけど遠見さんだって悪い人じゃないんだ。一緒にゲームしたからよく分かる。俺の心情から言えば、あんなに遠見さんを追い詰めている春子の方が悪いんじゃないかって思うぜ?」


 難しい表情で俯く陽毬。そう、人間関係は時間と距離だ。

 春子の事を知り、親しくなったからこそ、陽毬は春子を救いたい。だが遠見はどうだ?

 この問題を解決しようとした時、どちらか片一方を裁くような事をすれば、結局は部外者が二人の仲を引き裂いただけで終わってしまうだろう。


「結局当人同士が話し合うしかないんだよ」

「だったら、当人同士がちゃんと話し合う為の手伝いを出来ないかな?」

「どうやって?」

「静流ちゃんはどうやって遠見さんと仲良くなったの?」

「そりゃ、一緒にクアランやって……」

「私は春子ちゃんと一緒にテクニ・カ・レッジをやったよ。ねえ静流ちゃん。二人を引き裂いたのがゲームなら、それをゲームでつなげる事は出来ないかな?」


 それはハイリスクハイリターンな結論だ。博打と言って差し支えない、大胆不敵な考えである。

 だが静流には身に覚えがあった。少年と少女は、解けた絆をゲームを通じて結び直す事が出来たのだから。

 そしてこれは別におかしな話ではない。静流は遠見の、そして陽毬は春子の友達として、極当たり前の事をすればよいだけ。

 そうした四人の共通点となる場所としてゲームセンターがある。ならばそれは不自然な事ではない。むしろ、そこで四人が顔を合わせるのは当然ではないだろうか。


「春子ちゃんは私が。遠見さんは静流ちゃんがそれぞれ同じ場所、同じ空間に共存させるの」

「……ふーむ。そう上手くいくかねぇ? まあ確かに聞いた話によれば、二人は全然共通の話題もないみたいだが……」

「昔はゲームやアニメの話で盛り上がってたんだって。だったら、二人をつなぐものさえあれば、また昔みたいになれるんじゃないかな? そして二人の本当の気持ちを聞き出す為には、私達がそれぞれ時間を一緒に過ごして、心を開かせる必要がある」

「だから一緒にゲームしろってか。まあ、別に構わないぜ。どっちみち遠見さんとはまたクアランやる約束になってんだ。それでどうなるかまでは保障しかねるけどよ」

「うん。ありがとう、静流ちゃん」


 にっこりと微笑む陽毬。静流は少し照れくさそうに溜息を零す。


「ちなみにそれ、私が作ったんだよ。おいしい?」

「ん……ぐっ」


 揚げ出し豆腐を胸につまらせそうになるという、貴重な体験と共に。

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