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『この世界とは別の時間、空間に存在する異世界、アーリアル。長きに渡り繰り返された戦争により疲弊した人類にとって人種や国家という括りに意味はなく、一部の権力者が世界を牛耳る構図となって久しい……』
ゲームセンター【すばる】の一角。クアド・ラングルの筐体が立ち並ぶスペースに大型のモニターが設置されている。その前に静流は腕を組んでぼんやりと立っていた。
『それでも尚覇権を争う権力者達は、新たな戦争の形を作り上げていた。【プロクシー】と呼ばれる傭兵を、【ウォードレッド】と呼ばれる大型の機動兵器に乗せ争わせる代理戦争……。世界を支配する四大企業によるそれは、最低限の犠牲で結果を出すクリーンな戦争を実現した』
紙パックのジュースにストローを差し、じゅるりと音を立てながら啜る。
『【クアド・ラングル】と呼ばれるこの代理戦争制度が開始されてから十年。世界が確実に復興へと歩みを進める一方で、人々はこの代理戦争をやめられないままでいた……』
勇壮なBGMと共に聞こえていた男性のナレーションがフェードアウトし画面が切り替わった。モニターには所狭しと動き回るロボットの映像が流れており、静流は飲み終えたパックを握り潰しながらそこから目を逸らした。
正直な所、ゲームの設定にはあまり興味がなかった。故にこのデモムービーも暇な時には見るがそれだけで、別段世界観に浸りたいから眺めているわけではない。
平日の放課後、先ほどまでクアド・ラングルをプレイしていた静流だが、如何せんあのゲームは連続プレイすると疲労を伴う為、こうして一息入れていた所である。
「目が疲れんだよな……ずっとやってると酔うし……」
首と腕を回しながら溜息を吐いた時だ。突然背後からゲームとは違う音が鳴り響いた。
慌てて振り返るとそこにはアコースティックギターを構えた男が立っていた。白い汚れたツナギ姿で頭にはタオルを巻いている金髪の男で、目を閉じてポーズを決めている。
「……何やってんすか、朝比奈さん」
「フッ、流しのとび職……朝比奈とは俺の事さ。久しぶりだな少年、元気にしていたか?」
朝比奈亮護、二十三歳。名乗りの通りとび職で、何故か常にアコースティックギターを背負っている妙な人物である。このゲーセンでは有名な変人で、静流も目撃するのは始めての事ではなかった。
「まあ元気ですけど……」
「相変わらずノリが悪いな。死んだ魚のような目をしやがって。思春期の男子特有の燃え滾る情熱はどこに消えてしまったんだ? もっとマンガを読め、マンガを!」
そんな事をのたまいつつギターをケースに収める朝比奈。単刀直入に言うと、静流は彼の事が苦手であった。
「それで、何か用ですか?」
「冷たいな……。鳴海の奴に無理矢理連れてこられたお前を気にかけてやっているんじゃないか。迷える少年少女を導くのは、大人の使命だからな」
笑いながらウインクする朝比奈。静流は彼の事を全く尊敬していなかったが、言っている事には概ね同意出来る。特に鳴海に無理矢理つれてこられたというくだりは特に……。
事の発端は一ヶ月前、四月の頭にまで遡る。
その日は土曜日。暇で暇で仕方がなかった静流は原付に乗りこんで街をブラブラしていた。そして信号待ちの交差点にて、横断歩道を渡りながら財布をぽろりと落としている鳴海を目撃してしまったのである。
道路のど真ん中に落ちている財布を拾うのは苦労した。もし暇な時でなければどうでもいいと思って見過ごしていたかもしれないが、その日はとにかく暇を持て余していたのである。
財布を拾った静流は持ち主へそれを届ける事にした。幸い彼女が入って言ったのは交差点の直ぐ傍にあるゲームセンターだと分かっていたので、後はそこで姿を探すだけであった。
探し人は予想以上に早く見つかった。というのも、その日この店ではクアド・ラングルの大会が開かれており、鳴海はその決勝戦に参加するプレイヤーとして壇上に立っていたからだ。
いざ試合開始という時に財布がない事に気付き慌てふためく鳴海。どよめく観客を掻き分け、静流は何とか彼女の元へと辿り着き、財布を届ける事に成功したのである。
そこでさっさと帰っていれば話は違ったのかもしれないが、感謝感激した鳴海に抱きつかれてしまい、柔らかい感触を堪能していたら試合を見て行ってねと言われ断り損ね、試合が終わった後御礼にと連れて行かれた牛丼チェーン店で運命の一言が放たれたのだ。
「――君もクアド・ラングルやってみれば?」
後はそのままゲーセンに逆戻りである。その頃には静流も自分が厄介な人物と係わり合いになってしまった事に気付いていたが、時既に遅し。首根っこを掴まれずるずると店内に拉致されるのを止める事はままならなくなっていた……。
「冷静に考えるとこれって犯罪チックだと思いませんか?」
「青春的にはおいしいけどな。美人のお姉さんと落し物からお近づきになり、運命の戦いへと導かれていく……マンガ的でナイスな展開じゃないか」
「他人事だと思ってマンガ的にナイスとか無責任な事言うのやめません?」
「ほう? ではお前はまったく下心もなく鳴海についていったというのか? 本当に一切ラブコメチックな展開を期待せず、無心のままだったと言い切れるのか?」
ずいっと顔を寄せ真顔で問いかける朝比奈。静流はそっと目を逸らし、右手を上げた。
「……ちょっと期待してました。すいません。こんくらいですけど」
「フッ、素直で宜しい。その人差し指と親指の間にある空間、正に青春コスモ! 男の子だもの、綺麗なお姉さんにナンパされたら期待しちまうよな。お前は何も悪くない。むしろ正しい!」
「年上のお姉さんとイチャイチャしたいっす! 悲しい事にそれが俺の本音なんです!」
「わかる、わかるぞ! 年上っていいよな……なんか、いいにおいがしそうでよ……」
握り拳で語り合う二人。その肩が同時に叩かれ、そして同時に振り返った。
「二人して何変態チックな話してるわけ?」
「げっ、鳴海さん……」
「フン、口出し無用! 男同士の会話に女風情が割り込めると思うなよ!」
そう言い放った朝比奈の顔面に鳴海の拳が減り込むのを目撃し、静流はそっと頭を下げた。
「下品な話をして大変申し訳御座いませんでした。今は後悔しております」
「うんうん、素直で宜しい。おい不審者、鼻血で店を汚さないでくれる?」
「少年、警察を呼んでくれ! 傷害事件だ! この法治国家で人を殴る奴が居るぞ!」
「普段マンガを持ち出して青春だなんだ言ってるんだから、これくらいはありがちなお約束って事で受け入れなさいよね。都合のいい時だけ法治国家とかほざくんじゃないわよ」
よろけている朝比奈の首根っこを掴み引き摺っていく鳴海。静流は無言でティッシュを取り出し、床に零れ落ちた朝比奈の鼻血をふき取った。
「…………ゲームすっか。ここはゲーセンだもんな……」
頭をぽりぽりと掻きながらゲーセンの中央に設置された端末へと向かう。
今のご時勢、百円玉を投入するタイプの筐体は少なくなってきた。絶滅まではまだ遠いだろうが、新型の筐体の多くは電子マネーを使用する物へと切り替わりつつある。
俗にスマートフォンと呼ばれた携帯電話の発展系に【ユニフォン】と呼ばれる物がある。多機能かつニーズに合った性能のスマートフォンであり、あらゆる機能を統合し生活に密着したモバイル端末であるという売り文句で発売されたそれは、今や広く復旧し多くの人々が当たり前に手に取るようになった代物だ。
自動電子マネー両替機に千円札を突っ込み、ユニフォンにチャージする。ATMから直接チャージする事も可能だが、なんと言っても現金は万能だ。未だ電子マネーで全てが解決する世の中には程遠い事を考えれば、現金を財布に入れておくべきというのが静流の考えであった。
金をチャージしたユニフォンを手に筐体へと入る。クアド・ラングルの筐体、【ドレッドノート】はプラスチック製の厚みのある壁で覆われた卵形の筐体で、出入りには専用の扉を使う。筐体の中はプレイする人間が座る程度のスペースしかない為、複数人が入る事は難しい。
筐体の中にある隙間に学校の鞄を捻じ込み、リーダーにユニフォンを翳す。
クアド・ラングルはユニフォンに専用アプリをインストールする事でデータのセーブ、ローディングが可能になっている。同時に必要経費二百円も自動的に引き落としとなる。
操作は二対の操縦桿を模したレバーと足元にある同じく二対のペダルで行なう。レバーには親指、人差し指、中指にそれぞれ対応したボタンが三つずつあり、それぞれアクション、ウェポン、ロックオンの機能を持つ。クアド・ラングルでは左右に同時に別の武装を装備可能な為、左右のレバーはそれぞれ別の武器に対応している仕組みだ。
足元のレバーは右がブースト、左がジャンプに対応している。これは少々独自の操作入力が必要で、レバーを前に傾けて踏むことで前進、背後に傾ければ後退となる。
その複雑な足元の操作を補助する為シートはやや後ろに倒れこんでおり、足まで支える形状をしている。シートは対格差に対応する為、座れば自動的に身体にフィットするように稼動してくれる仕組みになっていた。
最後に筐体内においてあるHMD、ヘッドマウントディスプレイを装着する。
ドレッドノートには映像を映し出す機能がない。筐体の中は一応コックピットらしく作られてはいるが、プレイを開始した所でモニターにゲーム画面は映らないのだ。
その代役を果たすのがこのHMDである。プレイヤーはこのHMDの中で映し出されている高画質かつ立体的なゲーム画面を見て、手足を動かし機体を操縦するわけである。
シートに身体を固定しHMDを装着する。そうすれば目の前にゲームの世界が広がり、内蔵したヘッドフォンから立体音響で音声が聞こえてくる。
『おはようございます。新着メッセージは零件です。バージョン情報を確認しますか?』
「この毎度新着メッセージ零件を告げてくるナビはどうにかならんのかね……」
思わずぼやく静流。プレイヤーにとってこのナビと呼ばれる存在は非常に重要で、様々なプレイガイダンスの役割を持つ。得に特殊な操作形態を取っているドレッドノート筐体において、音声による操作入力は欠かせない機能であった。
「バージョン情報は確認しないよ」
『畏まりました。引き続きメニュー画面へ移行します』
目の前に広がる景色が光に包まれていく。すると映し出されるのは宇宙ステーションの映像だ。【ハイヴ】と呼ばれるこのステーションでプレイヤー達は生活、待機しているという設定であり、メニュー画面が開かれるのは決まってこの映像の上である。
『現在、【アヴァロン・メカニクス】は大規模作戦を実施中です。ターゲットは【ムラサメワークス】のアサカ洋上基地です。現在戦況は膠着していますが、ややアヴァロンが優勢のようです。参戦する場合は、レギオンバトルのメニューからアサカ洋上基地へ出撃してください』
「アリーナメニュー開いて」
『畏まりました。アリーナメニュー、開きます』
ナビのオススメを一切合財無視し、アリーナメニューへ移動する。
レギオンバトルは所属勢力同士による多人数の対人戦だ。どちらかというと個人技よりも集団戦術を求められるレギオンは静流にとってあまり興味を惹かれない物であった。
現実逃避の為にゲームしているのに、何が悲しくて他人と仲良しごっこをしなければならないのか、というのが彼の論であったが、未熟な腕前の自分が戦力戦に参加して足を引っ張るのは嫌だという、へたれた思考が全くないとは言い切れない。
ともあれ彼のプレイスタイルは専らアリーナバトルによるランキング戦であった。
プレイヤー達は任意で【プロクシーランク】というものに登録出来る。これは普通にプレイする上では基本的に必要のないものだが、ランクを上げる事で特別なミッションを受注できるようになったり新型装備を受け取れるというメリットもある。形式は基本的に一対一、或いは二対二の対人戦で、勝てばポイントが受け取れ、それを貯めるとランクがあがる仕組みだ。
ランクはEからSまであり、マッチングするプレイヤーはランク帯で調整される為、概ね同等の相手との戦いを楽しむことが可能だ。ランクBまでは順位というものをつけられず無制限に上がる事が出来るが、B以上は順位付けをされ、規定の人数までしか居座る事が出来ない。
故にBまでとB以降とではランクの意味も全く変わってくるのだが、それはそれ。素人である静流にとってはあまり関係のない話で、今日もランダムマッチングで対戦相手を探した。
静流の現在のランクはD。このランク帯は初心者を抜け出し、ようやく戦闘らしい戦闘を出来るようになったプレイヤー達の戦いが行われている。
静流はそこでの勝率は八割ほどとかなり好調で、その腕前がランク帯と比べると頭一つ抜け出ている事が覗える。だとしても勝ち星を積み重ねポイントを貯めないとCランクには昇格出来ない為、今日も相手を探して彷徨うわけだ。
この一対一で戦いランクを上げるという作業は静流の性格にはまっていた。一人黙々と戦い、敵を倒し腕を磨く。自分の上達していく感覚を直に感じられ、それが快感に繋がるのだ。
「……っと。やっとマッチしたか」
マッチングを告げる効果音に口元を緩める。操作レバーを握り直し、相手の情報を見た。
「初めて当たる奴だな。ま、ランダムだと基本初見だけどさ」
『マッチング完了。これよりDランクのアリーナ戦を開始します』
――途端、視界が一気に開けた。
目の前にライフリングが展開され、様々な計器が映し出される。周囲にゆっくりとフィールドが構築され、作られた大地の上に機体が着地する。
『【フルブレイズ】、戦闘モード起動』
それは静流が名付けた機体の名前だ。正式名称はイフリートMk-2、【フルブレイズ】。
西洋甲冑のような丸みを帯びた装甲。スマートな肢体はいかにもヒロイックなデザインで、正義の味方というフレーズを思わせる。ロボットアニメの主人公のような王道の機体で、性能もバランス型。初期選択機体の中では人気の高い機体だ。
腕を前に突き出すとそこに光が収束し、幾何学模様を描く。フルブレイズは瞳を輝かせ、そこから大型のライフルを取り出した。
「戦場は……ギガブリッジか。決闘用のマップだな」
ギガブリッジと呼ばれるそのマップは海上にかけられた巨大な橋である。飛行型の機体であれば話は変わるが、基本的に海上でブーストが切れれば海に沈んでしまう。それはそのまま機体大破という扱いになる為、一般的にここは橋の上での決闘マップとして知られていた。
対戦相手は橋の対岸に立っている。何の障害物もない見晴らしの良い地形の為、彼方に座している機体についても十分目視する事が出来た。
「見た感じ重装甲のタンク型って所か。真っ向勝負の打ち合いには強……いっ!?」
次の瞬間敵機の全身が光を放ち、身体中から武装を出現させた。迫り出す無数の砲身、銃座はハリネズミを思わせる。その銃口が全てフルブレイズへ向けられた瞬間、合図は下った。
『ラウンド1……ファイト』
ギガブリッジは端から端までゆうに二千メートルはある。実際のギガブリッジとしてのサイズはそれ以上だが、戦闘エリアに指定されているのはその二千メートル区間のみだ。
つまり、初期配置における相対距離は二千メートル。フルブレイズが装備しているフォゾンライフルの最大射程は400メートルで、それ以上遠方まではチャージショットでも届かない。
一方、敵機は狙撃用のライフルを二門、肩にはランチャー、脚部にはミサイルポッドを装備している。これらは全て他の性能よりも射程を優先している装備で、どの装備も有効射程は千メートルを超える。
攻撃を加える為に、静流は前進する必要があった。ブーストを吹かし高速移動するが、最高速度まで引っ張ったところで有効射程に到達するまでは時間がかかる。それに対し敵機は早い段階で攻撃を開始。ギガブリッジの上を突っ込んで来る静流へ狙撃を行なった。
「……有効射程が違いすぎる!」
二問の狙撃銃を交互に放ち、高速移動するフルブレイズを狙う。それはまだクイックブーストで回避出来るが着弾地点周辺を薙ぎ払うロケットランチャーを重ねられると回避は至難。
直線で遮蔽物も十分な回避スペースもないギガブリッジ上でそれらの攻撃を回避し続ける事は出来ない。狙撃中の回避に気を取られランチャーの爆風を浴びればノックバックが生じ、その硬直に狙撃銃が次々と撃ち込まれる。
「待て待て、前に行けねえぞ……ハメじゃねえか!」
アラートが鳴り響きライフリングがレッドゾーンに突入する。静流は自らの首を振り、周囲に何か利用出来る物がないか探しに掛かった。
クアド・ラングルにおけるカメラ操作はプレイヤーが実際に頭を動かし、HMDの方向を変える事で行なう。筐体内に設置されたセンサーが、HMDの向き情報を取得し処理するのだ。
しかし幾ら周囲を見渡して見ても利用できそうな物は見当たらない。攻撃の回避に躍起になってクイックブーストを連打していると、あっという間にブーストゲージが切れてしまう。
「しま……っ」
ブーストが切れれば機体は一時的な行動不能に陥る。回復するまでの冷却時間は僅かなものだが、それでも相手にしてみれば十分すぎる隙であった。
ランチャーを収めた敵機は代わりにミサイルポッドを増設。両肩両足から各六発ずつ、合計二十四発のミサイルを同時発射する。誘導兵器にロックされている事を示すアラートが鳴り響くが、静流は回避運動を取る事が出来ない――。
「おいおいっ」
次の瞬間、全てのミサイルがフルブレイズへと直撃した。
轟音と爆風に全てが包まれる。ダウンした機体のカメラが映し出す青空に敗北を示す【YOU LOSE】の文字が現れるのを、静流は呆然と見つめていた。
続く第二ラウンドも静流はあっさりと敗北した。どうしたって第一ラウンドの焼き直しになるのは見えていたのだが、アリーナは二ラウンド制なのだから仕方がないのだ。
接近しようとするフルブレイズに次々に着弾する遠距離攻撃。あっという間にライフリングは赤くなり、静流はまた仰向けに倒れた機体の中から青空を拝む事になった。
「……なんだってんだ、一体……」
筐体から出ながら肩を落とす静流。これまで黒星を上げた事がないわけではないが、嘗てない後味の悪い敗北に気分もすっかりブルーになっていた。
その時だ。静流とほぼ同時にゲームをプレイし終わったのか、隣の筐体の扉が開いた。姿を現したのは見覚えのある制服に身を包んだ小太りの少年であった。
少年は何も言葉を発しなかったが、辟易している静流を一瞥し嫌味ったらしい笑みを浮かべた。何の身に覚えがない静流はただ怪訝な表情を浮かべるだけで、店から去っていく少年の姿を目で追う事すらしなかった。