5-2
「いやはや……最新のゲームは素晴らしいものですね。今日はお付き合いいただきありがとうございました」
ぺこりと頭を下げた遠見に静流と三河はそれぞれ顔を見合わせ笑顔を返した。
遠見のクアド・ラングル初プレイは滞り無く終了した。といっても、所属企業を選び、チュートリアルを終え、軽くミッションに静流と二人で出ただけだったが。
「遠見さん、意外とやれるもんじゃないですか」
「う、うん。正直難しいかもって思ってたけど、良くやってたと思う」
「ははは……ありがとうございます。このゲームは操作が直感的な部分がありますからね。やりこめばそれだけでもないのでしょうが」
「また一緒にやりましょうよ。俺ら、暇な時はここにいるんで」
そんな静流の言葉に遠見は少し意外そうに、しかし穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
遠見と別れてからも三河と二人で静流は筐体付近のベンチに座っていた。三河は緊張から解き放たれた様子で息をつき。
「ふぅ~。お前、何でリーマンと普通に友達みたいになってんの? 流石に緊張したし」
「そうか? 別にいつもどおりの三河だったと思うけどな」
「まあ僕くらいのエリートになると常に緊張を忘れないところはあるけどな。それにしてもやっぱり遠見さん、なんか心配だよな」
三河の目から見ても遠見はどこか影がある……というか、何か思いつめた感情を隠しているように思えた。
それが何なのかまではわからないが、あれは放っておいたらどうにかなってしまいそうな空気だ。自殺しそうなと言うと少し大げさかもしれないが。
「でもあの人不思議なんだよな。見た目全然オタクっぽくないけど、アニメに詳しかったし」
「いやそれを言うならお前もそうだろ……。今日のお前が言うなスレはここですか?」
「俺はガキの頃アニメとゲームばっかだったからなあ。三河はどうなんだ?」
「ぼ、僕は見ての通りのオタクだよ。まあ普通のオタクと一緒にしないでほしいけどね。知識量も、落としてる金も一流だし。金を落とさないオタクはマジコンテンツを駄目にするだけの害虫だからな」
「あー。俺は結構アニメとか音楽もネットとかで違法のやつ見ちゃうしなあ……」
「それを全くするな、とはいわんけどね。実際、そういう事が普通に出来てしまって、裁くのが難しい状況にあるわけだし」
ユニフォンによりデータの共有が日常的になり、旧世代のスマートフォンで問題視されていた個人情報や不正ダウンロードの問題はより深刻化したように思える。
実際それらによる問題は日々増え続けているし、それに伴う規制や法整備も行われているが、結局は技術とネットワークが拡大進歩する速度に追いつけないのが現実だ。
そうした結果、特に小中学生のような若い世代において、罪の意識の薄さから来る当たり前の犯罪が蔓延してしまっていた。
「ガキは金持ってないけど、ネットで色々なモンを見てるから、世の中に面白そうな事がいっぱいあるってことだけ知っちゃうんだよな。それを作る人、届ける人の苦労とか、それがどう生活につながっているかまで想像できないんだよ」
「あー。俺は身近にゲーム作ってるオッサンがいたけど、それでもそこまで想像は働かないもんな」
「ぼ、僕も全く動画サイトとかで違法音楽とかを聞いたりしていないかというとそうでもない。でも、気に入った物には金を払うようにしなきゃいけないんだよ。そうしないと新しいコンテンツが配信されなくなって、世の中どんどんつまらなくなっちゃうんだろ? お前も前にタダでくれとか言ってたけど、そういうせこい根性が作品を殺すんだぜ」
「はいはい、反省してますって……。つったって、お前のその片っ端から金を落とすって考え方は家が金持ちだからだろ」
「そ、それも勿論ある。だから、皆が平等な環境にあるわけじゃない。そういう、広くなりすぎた世界と誰でも繋がれるという事と、欲望と罪と金に折り合いをつけ、製作者と消費者の双方が納得してコンテンツを育てていく為には、双方の理解が必要なんだよな」
「みんな平等じゃない、か……」
その言葉には少し思う事があった。静流には常に自分よりも優れた力を持つ、陽毬という大きな壁があるからだ。
静流も決してこれまで意識高く生きてきたわけではない。毎日なんとなく、なんとなく生きてきた。一生懸命になったり、物事に真正面から向き合うタイプではなかった。
それは決して特別なことではない。極普通の高校生なのだから、そんなものだ。しかし、子供はいつか必ず大人にならねばならない。その家庭において、人は成長を避けられない。
痛みと苦しみと、自らの弱さと甘さ。大切な少女に嫉妬し劣等感と罪悪感に苛まれていた自分を認めて初めて、静流は自分と他人、そして世間の繋がりを意識するようになった。
遠見に声をかけたのも、すばるの常連と繋がろうとしたのもその為だ。そしてだからこそ、三河の言う言葉の意味を考え、これまでの自分を省みる事が出来る。
「ネットに繋がって知識を得ると、世の中の全部がまるで自分のものになったように感じちゃう事がある。ロリとかショタには余計だよな。だから、ちゃんと大人が制御しなきゃいけないし、手本にならなきゃいけない。学校でも最近はネット教育の時間があるけど、教える側がそうした問題に明るくないから効果的とはいえない」
「けどさ、自分が何気なくしている悪い事を悪意とか罪とか考えてちゃんと向き合うのってガキにはしんどすぎないか?」
「だな。だから昔から子供の万引きとかあって、色々その辺難しいんだけどな。大人だって難しい罪と向き合うという事を、子供にどう伝えるのか……少なくとも伝える側はちゃんとした大人じゃなきゃいけない」
「無理じゃね?」
「かもな。けど、皆が皆100%の善人でいろというのは最初から不可能なのだ。悪いことをしないで生きていける人はほとんどいないと思う。だからこそ、ポイントだけでも押さえなきゃいけないんだ」
人は木を切り、石油を燃やし、環境を破壊しながらこの星で生きている。
それはもしかしたら悪なのかもしれない。けれどその悪行を止める事は出来ない。誰もがピタリとそれらをやめてしまったなら、社会は崩壊してしまう。
けれど、木を切りながらも苗を植える事は出来る。石油を燃やしながらも、風や水、光からエネルギーを得る事は出来る。
罪を犯す事をやめられないからと言って、すべて壊してもいいわけではないのだ。そうした悪行が自らの生活を壊し尽くしてしまう前に、種を撒き、悩まなければいけない。
「ゲームやアニメ、マンガとか音楽っていうコンテンツも同じ事なんだよ」
「なるほど。そりゃわかりやすいわ」
「便利さを免罪符に何でもかんでも自分を正当化するんじゃなくて、悪いことをした分くらいはいい事をしなきゃいけないんだと思うぜ」
「初心者狩りがよく言うぜ」
「だ、だからこうやって初心者支援してるだろ! いつまでそれ引っ張るんだよ!?」
笑いながら三河から逃げる静流。
尋ねれば双方否定するのだろうが、そんな二人の様子はまるで友達同士そのものだった。
「ここが陽毬のハウスか……」
一方その頃。小日向家の前に並んだ陽毬、ましろ、そして春子の三名の姿があった。
「春子さん、なんですかそのセリフ」
「いや特に意味はないけど……そしてこっちが神埼家? 本当に道挟んで向かいだな……」
「どうぞ上がっていってください。今日、お父さん帰ってこないんだ」
「なんかその言い回しヤラシくない?」
冷や汗を流す春子だが、招かれるままにましろと共に玄関を潜っていった。
そもそも、何故三人がここにいるのかというと……。
「このまま春子さんに誤解されたままっていうのもあれだし、もっとゆっくりお話出来る所に移動しませんか?」
と、陽毬が誘いを出したからである。
牛丼を食べ終えた三人は一緒に電車で移動しここまでやってきた。道中もこれまでの話を春子に話しつづけ、だいたいここまでのあらすじは理解してもらった所だ。
小日向家は父親である小日向惣助が売れっ子ゲームクリエイターである事からも比較的富裕層よりの生活を送っている。家の中も小奇麗なのだが、それは単純に惣助がほとんど家に帰ってこない為かもしれない。
リビングに通された春子はきょろきょろと興味深そうに周囲を眺めながらテーブルに着く。
「アタシん家とは大違いだな。お嬢様の家って感じだ」
「そ、そこまで大げさなものじゃないと思うけど……」
「いんや。アタシん家はボロアパートだから。早く一人暮らししたいけど、金も貯まってないしなぁ……」
そんな事を言っている間に陽毬は冷蔵庫から麦茶を取り出し、人数分のグラスに注ぐ。
「まだ七月になったばかりだけど、ちょっと蒸し暑いね」
「最近雨ばっかりだしな……サンキュー、陽毬」
そうしてとりあえず一息吐いたところで、春子は腕を組み、しばし考えた後に口を開いた。
「今までの話の流れはわかったよ。ましろや陽毬が静流の奴を立ち直らせるのにどれだけ奮闘したのかもね」
「私はそこまで頑張ってないけど、ましろちゃんはずっと頑張ってくれてたんだよね?」
「そうですね……あのバカ兄には苦労させられてばかりです」
「だけど、静流の気持ちがアタシにはよく分かるよ。周りの人間と自分を比べて、どうして自分は……って思っちゃうんだよね。その相手がアンタみたいな美少女じゃ、そりゃ格別だわ」
「わ、私は美少女ってほどじゃ……」
「そういう謙遜はイライラするからやめてくれる?」
「はい。美少女です……」
ギロリと睨みつけられた陽毬が小刻みに振動しながら繰り返し頷く。春子は直ぐに笑顔に変わり。
「まあ、アンタが悪いやつじゃないっていうのはわかった。静流をたぶらかすつもりがないっていうのもね。だけど、実際静流が変わったのはアンタのせいでもあるんだろ?」
「静流ちゃん……変わったのかな?」
「変わったね。少なくともアタシから見ればそうだよ」
「……静流ちゃんの直ぐ側にいるあなたがそう思うなら、そうなんだろうね。私は幼馴染だけど、今だって静流ちゃんと頻繁にお話してるわけじゃない。道挟んで向かいの家に住んでるのに、なんだか距離は凄く遠いみたい」
寂しげに微笑む陽毬にましろは何とも言えない表情を浮かべる。
そう、実際あれからも陽毬と静流の関係が何か大きく変化したわけではなかった。二人の間にある壁は取り払われたが、結果はそれだけ。
今の二人は通う学校も、生活も、友人関係さえもが大きく変わっている。確執が消えたからと言って幼い頃のように二人で……というわけにはいかないのだ。
そういう意味に置いて、陽毬にしてみればむしろ春子の立場こそ羨ましかった。一緒に静流と同じ学校に通い、同じクラスで勉強出来たならどんなによかったか。
「静流ちゃんは学校でどんな感じなのかな?」
「いいやつだよ。男にも女にも好かれてる。モテてるってわけじゃないけどね。どっか人と距離作ってる感じがするから」
「そういう性格にしちゃったのは、私のせいなんだよね。昔の静流ちゃんは明るくて、誰にでも前向きに接していたから……」
「…………どうなんだろうな。昔の事はアタシにはわかんないよ。だけど、今の静流だって静流じゃないか。それがアンタだけのせいかっていうと、やっぱり違うんじゃないかな」
「……ありがとう、春子さん。優しいんだね」
「べ、別に優しいとかそういう事じゃないけどね……。それにアタシがオタク嫌いなのはどうやったって変わらないし」
陽毬から見ても春子は悪い人間には思えなかった。むしろ勘違いをしたり突っ走ったりとそそっかしい所はあるものの、誠実な人柄のように思える。
同世代の少女達なら、もう少し物分かりが悪いのが普通だ。良くも悪くも春子は子供離れしている。そう、自分にとって納得の行かない事をとりあえず受け止める事に“慣れている”。
「そこなんだけど……春子さんはどうしてオタクが嫌いなのかな? 一般的な嫌いとは、少し違う気がするんだ。そう……まるで“オタク”って考え方に、静流ちゃんを“とられる”って考えてるみたい」
すっと目を細め、大人びた口調で語りかける陽毬に春子は驚く。陽毬はなんというか、幼く笑ったり慌てたりする天真爛漫さとは別に、冷静で落ち着いた一面を急に見せる事があり、それが春子には理解出来なかった。
「とられる……そっか、そう見えるんだね」
「あんまり人の事情に深く立ち入るのはマナー違反だけど、もし春子さんさえ良かったら、理由を聞かせてもらえないかな?」
春子は腕を組み唸る。しかし迷いはあまり続かなかった。
「悪いけど、それはあんまり人に言いたくないんだ。ごめんね」
「そっか……ううん、こっちこそごめんね。今日会ったばかりの人に」
「いや……うん。まあ、話しちゃえば大したことないからいいって言えばいいんだけど……あんまりにも情けなくってね……」
頬杖をついて溜息を零す春子の横顔は何処か寂しげで、しかし静かな怒りを湛えているように見えた。
おそらく少女もまた何かやりきれない想いを抱いているのだろう。しかし、陽毬はそれを詳らかにする事を焦りはしなかった。
「そういえばアンタは静流の事が好きなの?」
「へっ?」
「静流の事が今もまだ好きなんだったら、結局アタシ達は恋のライバルって事になるじゃない」
「そう……なるんでしょうか……?」
「なるよ?」
神妙な面持ちで向かい合う二人。ましろは居た堪れなくなったように冷蔵庫を開き、麦茶のおかわりを注ぐ。
「私は……その……。静流ちゃんが元気で幸せでいてくれたら、それだけで……」
「はあ……。あのね、それでいいっていうのはアンタだけで、アンタの周りの人たちはきっと納得しないよ? 人を好きになるって事は陽毬が思うよりも厄介なんだ」
「春子さんは、どうして静流ちゃんを好きになったのかな?」
「どうして……。どうして、かあ……」
理由は確かに色々ある。だが一番は、静流が自分に似ていると感じた事だ。
そういう意味で、これは恋ではなくただの自分との同一視でしかないのかもしれない。ならば静流を“とられたくない”というのは、ごくごくまっとうな感情だ。
いつも静流とつるんでいた。それが一年続いたのだ。最近になって急に付き合いが悪くなっただけで、元々は陽毬よりも春子と過ごした時間のほうが多かった筈。
静流はどこか影を抱えていて、世の中に絶望していて、自分を嫌っていた。そういう彼の痛みに共感して、気がかりが続いた為、当たり前になったそれを恋と呼んでいるだけなのか。
「静流とアタシは似てるなって思った。だけど、静流がましろの兄貴だって言うなら、静流は救われたんでしょ?」
「少なくとも、以前よりは前進したと思います」
「だったら、アタシの出る幕じゃないのかもね。アタシはまだ何も進んでないし、何も解決もしてない。静流は変わったと思ったけど、本当は静流はああいうやつだったのかな……」
寂しげにそう呟く春子。ましろは少し考えた後、立ち上がり。
「春子さんはオタクが嫌いと言いましたね。それにはなにかわけがあるようです。しかし、陽毬ちゃんの事はどうです? 陽毬ちゃんは許せませんか?」
「陽毬は……んー、見た目コレだしなあ。オタクって感じはしないっていうか」
「いいえ。陽毬ちゃんは筋金入りのオタクです」
真顔で断言するましろ。陽毬は顔を真っ赤にしながら不動の姿勢でだらだら汗を流している。
「陽毬ちゃんと友達に成ることが、春子さんのわだかまりを解くヒントにならないでしょうか?」
「わだかまりを……解く?」
「今、春子さんが抱えている事は、多分私達には解決の出来ない事だと思います。だけど、春子さんが自分で答えを見つけるお手伝いは出来ると思うんです」
「なるほど。だけど、どうやって?」
「簡単な事です。陽毬ちゃんの部屋に行きましょう」
その言葉に背筋をびくりと震わせた陽毬が、ギリギリと錆びついたロボットのように首だけを動かし、涙目でましろを見つめる。
「――春子さんにオタクとはどういうものなのか、ご覧差し上げましょう」
必死に首を横に振る陽毬だが、ましろは振り返りサムズアップする。違う、そうじゃない。
「さあ、こちらです」
勝手に二階に案内するましろに春子はついていく。陽毬はしばらく固まった後、悲鳴を上げながら二人の後を追いかけた。




