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電装戦記クアド・ラングル  作者: 神宮寺飛鳥
【春風は遠く】
16/24

4-3

「どうしたのハルちゃん、溜息なんか吐いちゃって?」


 比良坂第一から原付きで十分程という立地条件にある春子のバイト先。喫茶店、“ミモザ”。

 旧商店街通りの一角、シャッター街となりつつあった駅前の再開発に伴い作られたこの店は、元々この場所で経営されていた喫茶店を簡単に改装したものだ。

 こじんまりとした、カウンター席も含めて十五席程しか用意出来ない店は何ともエキゾチックなインテリアが彩る。全ては店主、紫雲の趣味である。

 この小さな店が満席になる事はあまりない。基本的に暇で、店主が道楽でやってるようなものだ。だからメニューも少々変わっている。


「いやあ……まあ、ちょっと悩んでる事があって……」

「悩みがあるなら言ってご覧なさいよ。解決できるかどうかはわからないけど、誰かに共感してもらう事で楽になる場合も多いわ。若い子が溜息ついてたらブサイクになっちゃうわよ」


 腕を組んで微笑む紫雲は、こんな喋りでも男性である。紫雲というのも本名かどうかはわからない。

 本人はいつも何故か着物を着用しており、短く切りそろえた髪型ときりっとした顔立ちで古き良き日本人男性を思わせるが、喋りはオネエという変人であった。


「マスターにこんな事相談してもなあ……」

「なあに、学校の話? それとも色恋の悩みかしら?」

「両方のような、そうでもないような……」


 バイト店員も一応は制服を着用する。高校生が身に付けるには少々過剰なテーラードジャケットで、これらは全て紫雲が自作したものだ。

 紫雲には幾つかの肩書があり、そして幾つかの道で成功を収めてきた。とりあえず過剰な贅沢をしなければ金の心配はないという意味で、四十代半ばにして彼の人生は老後に差し掛かったと言える。

 そんな彼は何人かの高校生バイトを雇っていた。春子も静流もその中の一人だ。

 未来ある少年少女の邁進を眺めるのが彼の楽しみであり、どうせならばルックスは良いほうがいい。春子や静流を雇ったのも、ひとえに彼らのルックスを優先した為だ。

 小さな店を切り盛りするのは、ほとんど紫雲一人で事足りる。バイトは所詮料理を出す、食器を下げる、レジを打つ程度の仕事量だ。

 後は、自分の作った服を着せる楽しみくらい。用はちょっとした小間使いの機能がついた着せ替え人形として機能すれば、正味要求は満たせている。

 春子は要領のいい少女ではなかった。むしろどちらかというと不器用な類だ。しかし紫雲からすればそんな春子の面倒を見ることすら、趣味であり、楽しみでもある。


「マスターっていつも変なもの集めてるけどさ。何がいいの?」

「変なのがいいんじゃない」

「変って事は、普通じゃないって事だろ? そんなわけわからない呪われそうなアイテムを集めて、客がドン引きしたらどーすんだよ」

「それならそれで構わないんじゃない? この世のすべての人間に理解を求める事は愚かだわ」


 確かに、人間という奴は相互理解が出来ない生き物だ。学校という小さなコミュニティに居る春子にもそれはよくわかる。

 彼女が最も理解できない人種、それがオタクだ。理解したくない、と言ったほうが手っ取り早いのかもしれない。

 アニメやゲーム、マンガと言った幼稚な趣味にいつまでものめり込み、現実を見ようとしない。そんな連中と同じ空気を吸うことすら嫌悪した。


「マスターはオタクの男ってどう思う?」

「え? どうって……オタクねぇ。私もある意味オタクみたいなものだと思うけど……」

「マスターの呪物集めはオタクっていうか頭おかしいだけじゃん」

「あらま、言うわね~。でも、私の友達にはオタクいっぱいいるわよ。美少女ゲームの会社を起こした奴もいるし、アニメーターになった奴もいるし」

「うわ、キモ! 美少女ゲームとか……いい年した大人のやることかよ……」

「ふふ、そうね。それに関しては私も否定しかねるわね。いい年こいた大人のやることではないのかもしれないわ。けど、それは私も同じよ。こんな店作って、一人が寂しいから若い子雇って。酔狂としか言いようがないでしょ?」


 それはそうなのだが、春子にとってマスターとオタクは全く別の人種だった。

 紫雲はどんな人間に対してもおおらかで、しかし堂々としている。学校にもいるオタクという連中はビクビクしているか、妙に気が強いかのどちらかだ。

 今のご時世、春子が思っている程オタクという人種は生きづらくない。例えば、3Dモデリング技術と人工音声技術が進歩し、誰にでも触れることの出来るようになった現代、バーチャルアイドルの姿を見る事は簡単になった。

 インターネットにアクセスすれば、既に個人で沢山の物づくりが出来る時代であり、そのニーズに合わせて各方面の会社が動き出し、人材育成の流れは既に定着化している。

 学校でもオタク達は群れて自分たちの好きな作品の話を我が物顔で繰り返している。今となっては、“オタクではない方”を差別する動きすらあるほどだ。

 春子はそれも気に入らなかった。オタクという連中は、一人一人は弱っちくて自分の意見もハッキリ言えないような奴らだ。それが好きな作品を介して急に饒舌になり、したり顔で上から目線。


「……あ~っ、やっぱ無理! オタクはキモい!」

「春子ちゃん、そんなにオタク嫌いだったの? 今時珍しくもないっていうか、そうねぇ……オタクっていう括り自体もう古いんじゃないかしら」

「じゃあ今はなんて言うんだよ?」

「多様化した“普通”って所かしらね」


 確かに、人々のコミュニティ同士の繋がりが希薄だった時代、オタク達は常に少数派だった。

 しかし高度な情報共有が当然になり始めた世代でオタク達は“少数”に過ぎなかった趣向を分かり合える同士と簡単につながる事が出来るようになった。

 そうして、世の中には自分と同じニッチな需要を求める人たちが居ることを知る。自分の普通は、特別ではなかったと知るのだ。

 ユニフォンの普及により、ネットワークはさらなる進歩を遂げた。もう自分が少数派であると孤独を感じ、大勢の視線に怯える必要はなくなったのだ。


「その昔、不良達はやっぱり群れを成して強がって、他の少数派を威圧して舞い上がっていたと言うわ」


 その不良共も、まあぶっちゃけた話バカで、狭い了見の中に生きているに過ぎなかった。彼らは身の程というものを知る手段がなかったのだ。

 それはある意味に置いてオタクと同じ。自分の存在を勘違いし、過大評価し、身の回りの事にだけ目を向けていた。それが可能だからこそ、不良の群れは成立した。

 しかし今、バカ校である比良坂第一においてもそうした不良グループはほぼ消滅している。彼らは広い情報の海に幼少の頃から触れてきた。そういう意味で、視野は過去のバカ学生よりは広まっているのだ。

 そして彼らはその中で、不良として群れる以外の楽しみを見つける事が出来る。やる事が無くて不安だから群れ、自分たち以外を威圧する。そうではなく、同じ共通の趣味を持ち、人生を楽しめるのなら、彼らの生態が変化したのも当然ではないだろうか。


「今では不良とオタクが共通の趣味を見つけて分かり合う、なんてのもよくある話だわ」

「不良とオタクが、か……」

「人間は普通とか、当たり前とか常識という言葉を心のものさしにしてしまいがちだけれど、実際の所、それは自分にとっての基準でしかない。そしてそのものさしの色も、大きさも、形さえも多様化した今の世の中では、人を何かの枠に収め、一緒くたにすることは難しいんじゃないかしら?」


 紫雲の話は正直な所春子にはよくわからなかった。春子は所詮十七歳の少女であり、紫雲との人生経験には雲泥の差がある。

 往々にして、子供というのは大人の体験からくる意見をすんなりとは受け入れられない。その成否を判断する権利は勿論子供にある。だが、多くの場合彼らは自らがその場面に出くわした時、初めて先人の言葉の意味を知るのだ。

 だからこそ紫雲は春子の考え、そして判断を決めつけるつもりはなかった。子供は悩めばいい。どんな答えを出したって構わない。それが多様化した普通という権利を持つ、という事なのだから。

 春子は紫雲とイメージの中のオタクという人間を切り分けて考えているが、それだって感情の問題だ。

 紫雲がどれだけ世の中から変人扱いされてきたかという事、即ち一般論、普通、当たり前、常識といった言葉が春子には正しく作用していない。彼女はそれらより、自分が実際に紫雲と接した経験を基準として優先しているからだ。

 そういう意味で彼女の中には大きな矛盾があるのだが……指摘するだけ野暮というものだろう。男は小さく肩を竦め笑った。


「こんにちは」


 そんな時、来店を告げるベルが鳴った。店に入ってきたのは小柄な女子中学生で、明瞭付属中学の制服を纏っていた。


「あら、いらっしゃいましろちゃん」

「お久しぶりです、マスター。それから春子さんも」


 来客は顔なじみだ。というか顔なじみくらいしか来ない店なのだが。

 春子は「ちっす」と軽く手を上げて挨拶すると水とおしぼりを持って少女を案内する。カウンター席に座ると、春子はその隣に立った。


「久しぶりじゃん。一ヶ月ぶりくらい? 最近見なかったから、こんな変な店愛想つかしちゃったのかと思ったよ」

「確かにへんてこなお店ですが、そんなに悪く無いですよ。マスターは親切だし、いつもサービスしてくれるし」

「そりゃあ、ましろちゃんみたいな可愛い子が来てくれたらサービスしちゃうわよ。ちょっと待っててね、余ってる物で何か作るから……ハルちゃんもどう?」

「頂きます!」


 仕事そっちのけ、というかやることのない春子は席に着いてましろとの談笑に応じる。

 二人の関係は一年ほど前から続いている。ましろの来店頻度は決して多くはない。月に一回、二回程度だ。

 しかしこんな店に中学生の少女がやってくるのは珍しいので店側としては覚えるのは簡単だった。春子は人見知りしない性格という事もあり、ましろとは直ぐに打ち解け今に至る。


「最近どうしてたの? やっぱり明瞭って勉強が忙しいとか?」

「いえ。個人的な心配事が一つ解決したというか……胸のつかえが取れたというか。まあ、まだ経過観察が続いている所ですが」

「それってアレ? あの~、バカな兄貴の事?」


 ましろはよくこの店で家族の愚痴を零していた。春子は自分の家の環境の事もあり、年下で家族が上手くいっていないましろの事をいつも気にかけていた。

 春子は一人っ子だが、もし自分に妹がいたらこんな子だったら最高だと思う。自分と違って頭も良くて育ちも良くて、可愛らしい。自分が成るのは不可能だが、その道を応援するのはきっと幸せだろうから。


「はい。うちのバカ兄はどうしようもないバカ兄なのですが、ようやくへたれ負け犬根性をなんとか矯正し、とりあえず舞台に立たせるくらいにはなりました。これで少しは状況が改善すると良いのですが」

「幼馴染の女に負けてウジウジしてたんだっけ? バッカだよな~! そんなヘタレが兄貴じゃましろがかわいそうだ」

「男の子っていうのは色々あるものなんだから、そう言ってあげなさんな。はい、パンケーキとカフェオレどうぞ」


 カウンター越しに紫雲が差し出したパンケーキにはフルーツがたっぷり乗せられていた。カフェオレはましろも春子もブラックコーヒーが苦手なので、いつもの事である。


「こんなにいっぱい乗ってるなんて、マスター太っ腹だね!」

「いいんですか?」

「いーのいーの、使わないと腐っちゃうし。もったいないから食べちゃって」


 二人の少女は顔を見合わせ満面の笑みを浮かべる。そうやって二人が嬉しそうにパンケーキを口に運ぶのを紫雲はカウンターの奥に立ち、腕を組んで眺めていた。


「このマスターにはいつもサービスしてもらっちゃって、なんだか申し訳ないです」

「この店ちょっと価格高めだしねぇ。マスターの料理は凄く美味しいけど、中学生が通える店じゃないからね」

「そうそう。パンケーキくらいタダにしてあげないと、ましろちゃんが来なくなったら私寂しいもの」


 右手でくるくるとナイフを回しながら笑う春子。いつもこんな感じで、コーヒー代だけで色々なオマケをつけてくれる。

 その日その日で余っている食材を使った在庫処分的なまかない食なのだが、紫雲の料理の腕は間違いない。ましろとっては心苦しい、しかし贅沢な時間だ。


「そういえば、春子さんと一緒にお花見に行くって話、結局お流れになっちゃってすみませんでした」

「うん? あ、いーのいーの、友達と行ったから。まあ、大勢年上が居ても逆に気ぃ使うっしょ? 今度二人で一緒に買物行こうよ」

「ありがとうございます。あの日は兄がその幼馴染と真っ向勝負するというので、どうしても外せなくて……」

「でも結局上手く話がまとまったなら良かったじゃん。兄貴ともまた普通に話せるようになったんでしょ?」

「とりあえずは。家族の会話も少しずつ増えたような気がします。お父さんとお母さんがバカ兄と打ち解けてくれるまで、もうひとふんばりです」


 小さな握り拳と笑顔に春子は心癒される。おもむろにましろを抱きしめ溜息を零した。


「はぁ~、アタシも妹が欲しかったなあ。ていうかましろはそんなに順調なのにアタシときたら……」

「春子さん、何かあったんですか? アタシの人生に悩み無用って豪語してたのに」

「そうなんだよ。まあなんていうか、相談するのも恥ずかしいっていうかためらうんだけどさ……」


 身体を離し、春子は顔を赤らめる。それから意を決したように身を乗り出し。


「……あのさ。好きな男が急にキモオタになっちゃったら、ましろだったらどう思う?」


 目をぱちくりさせるましろ。それから口元に手をあて、冷や汗を流す。

 キモオタと言われて真っ先に思い当たるのは小太りで、チビで、メガネで、エキセントリックな言動をする兄の友人なのだが……。


「う、う~ん…………。それは……嫌ですね……」

「でしょーっ!!」


 兄のイメージが頭の中でどんどんオタクに変わっていく。いや、別に三河の事が嫌いなわけではない。むしろ使えると思っているが、それが実兄に成ることには抵抗があった。

 いやまて。何故実兄になる? 春子は好きな男がと前庭したではないか。頭を振り妙なイメージを取り払うと、ましろは溜息をこぼし。


「なんとなく春子さんの抱えた絶望が理解できた気がします……」

「アタシとしては、そいつを元の真人間にしてやりたいんだけどさ。どういう風に切り込んでいけばいいのか悩むんだよなあ……」

「まず、その人がどんなオタクなのかにもよると思いますが……。それは春子さんが許容できないレベルのオタクなのですか?」


 言われてみてふと考えてみる。そもそも自分は静流がオタクだからこんなに慌てているのだろうか?

 それは勿論ある。だがそうではないのかもしれない。静流がオタクになることによって、春子に実害が生じるからこそ不満なのだ。

 即ち、自分の知らない世界に静流が行ってしまうということ。そしてそこをホームグラウンドとしているあの金髪女に静流を取られてしまうのが嫌なわけで。


「……そっか。アタシ、そこが引っかかってたのか」

「そこ?」

「あ、いや。そもそもそいつがどういう事になっているのか、ちゃんと把握しなきゃ駄目ってことだよな。今やっと店長に言われた事がわかった気がするわ」


 頬を掻きながら苦笑を浮かべる春子。意を決したように立ち上がり、力強く頷く。


「そいつが今何がどうなってるのか、アタシなりに調べてみるよ。そうと決まればオタクの巣窟に突撃だ!」

「その思い切りの良さは好きですが、突撃先はどこですか? 勝算のほどはいかに?」

「まあ、誰でも入る分には問題なさそうだったし。アタシも華の女子高生だからな。他にJKわんさかいたし、紛れられんだろ」

「JKがオタクの巣窟に群がるんですか?」

「ああ。ゲームセンターなんだよ。すばるっていう」


 そこでましろは眉を潜めた。どうにも聞き覚えのある名前である。

 あれから何度かすばるにも行ったが、オタクの巣窟というほどだっただろうか。何かこう、イメージのズレを感じる。


「そこでしたら、私も知っています。今度一緒に行ってみますか?」


 そこで、“あ、ここで介入しておかないとなんかややこしい事になりそう”と感じたましろの感性は確かなものである。

 あの店の店員には鳴海がいる。そして多分鳴海とこの春子はあまり相性が良くない。二人の間には緩衝材が必要なはずだった。

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