4-2
「はああああ~~……」
盛大な小野寺鳴海の溜息が響いた。
ゲームセンター【すばる】は今日も平常運転。五月末の騒動も既に今は遠く、当たり前の夕方には当たり前の景色が広がっている。
「鳴海さん……就活しなくていいんすか……」
「しなくていいわけじゃないけど、なんかもう自分でもどうしたらいいのかわかんなくなっちゃって……」
受付カウンターにすばるの制服を着用して突っ伏した鳴海。カウンター越しに立つ静流は炭酸飲料の入ったペットボトルを片手に茹だる鳴海の愚痴を聞いていた。
「なんていうのかなあ。就活に身が入らないっていうか……。自分のやりたいことが見つからないっていうか……」
「鳴海さんってゲーム以外に趣味ないんですか?」
「うーん……。確かにね、大学入ってからこれまで色々なことをやってみたのよ。どれもそれなりに充実してたけど、なんかいまいちピンとこないっていうか……ゲームへの愛には勝てないのよね」
「左様っすか……。じゃあもういっそゲーム会社に就職したら?」
「それも考えて面接を受けてみたけどね。どんなゲームを作りたいですか~とか、どんなスキルがありますか~って言われてもやっぱり答えられないし……。私、ゲームを作ることより、そのゲームを遊んでもらう事が好きなのよね」
肩を竦め、炭酸を呷る静流。鳴海は突っ伏した顔を上げ、唇を尖らせながら恨めしげに睨む。
「静流君はいいな~、まだ若くて……時間もいっぱいあるし」
「俺も将来の設計なんてないからなあ……。ホント、成るように成って来ただけっていうか……」
「静流君は高校二年生だっけ? 高校出たらどうするの?」
「うっ……そこで俺に方向転換するのやめてくださいよ」
「死なばもろとも!」
そんな事を子供っぽく言われても困る。苦笑を浮かべ、頬を掻きながら静流は考える。
これまでは将来のことなんて考えようとも思わなかった。当たり前だ、過去に囚われていたのだから。
しかし過去の確執が一応の解決を見せ、自由になった今、将来の事は避けては通れない問題だった。被害者ぶっていつまでも腐っている時間は終わったのだ。
だからといって未来が想像出来るかといえばそうではなかった。静流は無趣味だし、やってみたい仕事もない。とりあえず普通に金が稼げて、普通に一人で生活できればそれでいいわけで……。
「リーマン……っすかね……」
「何のリーマンよ……」
「わかんねーっすけど……まあなんかこう……そんなキツくなさそうで、そんなに稼げなくても一人でやってけるくらいの……」
お先真っ暗ね、とは言えなかった。そんな盛大なブーメランを食らったら今の鳴海は死んでしまう。
ヤケと言わんばかりに静流のペットボトルを奪い、一気飲みする鳴海。静流は冷や汗を流しながらその豪快な飲みっぷりを見つめるだけだ。
「あ~~~~っ!! もう! 私この三年ちょっと何してたのよ~っ!! 時間よ巻きもどれーっ!!」
「俺のオランジーナ……」
「ううう……私のバカ! バカ! ダメ人間! お祈りされるために大学生になったわけじゃないーっ!」
「結婚すりゃいいじゃないスか」
「あのねえ……気安く言ってくれるけど、女にとって結婚っていうのは一大事なのよ」
「理想の相手が“ゼロ”じゃそうでしょうけど」
「そうそう、日常的に邪道拳食らって命がけの毎日……って違うわーっ!!」
ノリツッコミする元気はまだあるのかと思いながらゴミ箱にペットボトルを投げ捨てる。
「朝比奈さんと結婚するとか」
「それ本気で言ってる?」
「いや正直ホントすいませんでした。あれだけはやめたほうがいいです」
「俺を呼んだか?」
二人が同時に悲鳴を上げると、静流の真後ろからすっと朝比奈亮護が顔を出す。戰く二人を他所に涼しい顔で男は笑みを作り。
「風に呼ばれて来ちまったぜ。それで、今俺の名前が出ていたような気がするが?」
「あ、あんたの話なんかするか、バカ!」
顔を真っ赤にした鳴海の拳がカウンター越しに朝比奈の顔面にめり込んだ。男はよろけながら二歩後退し、膝をついた。
「……鳴海。【すばる】のハウスルールを自ら率先して破っていくスタイルには異論があるぞ……」
「朝比奈さん、間が悪すぎ。あと日頃の行い乙」
仕事するからと言ってズカズカ立ち去る鳴海を見送り苦笑する静流。朝比奈は鼻を押さえながら立ち上がり。
「鳴海の将来も心配だが、静流、お前の方もどうなんだ?」
「やっぱ聞いてたんじゃねぇか……どこに隠れてたんだよあんた」
「俺の事はどうでもよかろう。所詮風来坊、所帯を持つには適さない男だからな」
先の話を聞いていながら全く気にしていない様子の朝比奈にげんなりするような、ある意味それでありがたいような。
「折角過去のわだかまりが解決したのだ。これからのお前の人生には無限の可能性が待っている。どんなことにも前向きに挑めば、活路は必ず見出だせるはずだ」
朝比奈の言葉はどうにも胡散臭いのだが、本人が本気で言っているのが嫌でも伝わってくる。
そうやってまっすぐに笑顔を向けられると、ただのお世辞とは切り捨てられない気がするのだ。静流は少し照れくさそうに目を逸し。
「まあ、本当にわだかまりが解決するかどうかはこれからですけどね」
「なんだ、小日向とは上手く行ってないのか?」
小日向陽毬。それが静流が長年確執を抱いていた幼馴染の少女の名前であった。
道を挟んで向かい側という驚異的近さに住み続けながら、何年もすれ違い続けた二人。その原因となったのは静流の安いプライドと、陽毬の持つ圧倒的な才覚であった。
陽毬はかつてはいじめられっ子だったが、今は明瞭高校という公立進学校に通い、生徒会長として信頼を置かれる立場にある。
容姿も美少女と呼ぶに躊躇えないほどで、性格も少し抜けているところはあるが心優しく穏やか。……まあ、本気モードになると少々人格が変わるが……。
「あんな美少女とお近づきになれて、しかも幼馴染という特権まで持っているのだ。そこらの不遇な男子高校生から比べれば藁人形に五寸釘を打ち込まれても全くおかしくない状況だというのに、一体どんな不満がある?」
「朝比奈さんも知ってるでしょ。俺はバカ校、比良坂第一。陽毬は明瞭の生徒会長。勉強もその他成績も向こうのほうが圧倒的に上。クアランでも負けっぱなしなわけですよ」
「ふむ。まあ、ああいう人間と背比べするのはあまりオススメせんぞ。天才という部類の連中は、確かにこの世に存在する」
「だとしても……男のくせに女に負けっぱなしっていうのは納得いかないの。幼馴染だから尚更ね」
「そうか。まあ、そういう男の子らしいプライドも嫌いではないぞ。何にせよ、自分自身を否定する必要はない。その感情も含めて本当のお前なのだからな」
そう言って静流の肩を叩き、男は去っていった。何をしに来たのかさっぱりわからない。
朝比奈という男は本当にいい加減でちゃらんぽらんな変人だが、面倒見が良く、誰の行いも決して否定しない。そして皆の仲を取り持つように動いてくれる。
そういう意味で尊敬出来る年上であり、兄貴のように感じているのも事実だった。尤も、彼の悪行の数々を認めるわけにはいかないのだが……。
静流のお目当ては勿論クアド・ラングルだが、人気タイトル故に行けばいつでも遊べるとは限らないのが小さな悩みの種だった。
常に満席という事はあまりないが、友達と一緒にプレイしたりするには時間を調整したりする必要もある。そういう時は予約台を使ったり、なんとなく身内で合わせたりする。
台にありつけたとしても、ずっと一人でアリーナ戦をするのは少々味気ない。それはそれでもちろん至福の時間だが、かつての鳴海が言ったように静流はここに人との出会いを求め初めていた。
ゲームセンターとは、言わば同じような趣味趣向の人間が集まり、リアルタイムにコミュニケーションを取れる場所だ。最初は鳴海の言葉を実感していなかった静流だが、ここ数ヶ月で彼の知り合いは急激に増加していた。
中学生の佐々木や守谷、高校生の三河勇作。鳴海や朝比奈もそうだが、普通の高校生活をしていたらなかなか接点のない、年齢の違う人々だ。
しかしここでは同じゲームを楽しむ友人として気兼ねなく接する事が出来る。
ゲームという共通の話題を挟むことで、本来は交わるはずもなかったそれぞれの人生が、ほんの少しだけ寄り添う瞬間を感じる。それは鳴海の言うように、得難い体験だった。
これまで過去の確執を抱えていたこともあり、静流は他人に対して心の壁を作り、距離を保ってきた。しかしそれが解消された今、人との接触に面白さを感じられるようになった。
だから良くここで出会う高校生などには時折声をかける事にしている。学校が違えば同じ年代でも接点がなくて当たり前だが、ここでなら普通に話を出来た。
様々な種類の人間が集まるこの人種の坩堝では、何もかもがキレイ事で収まるわけではない。それでもその混沌とした音の中に身を置くと、何故か安らぐような気がした。
そうやって話題を広げる為にはクアド・ラングル以外のゲームもプレイしておくのが一番だ。オススメされる事もあるし、誘われる事もある。
何より話題のゲームの前にはいつも人が居て、自分もやってみたいと感じる。だからクアド・ラングルの待ち時間などには、こうして気になるゲームを一巡するのが今の彼のスタイルだった。
今日もそうやって歩きまわって、ひと通り顔なじみと話を終えた時だ。静流の目に止まったのは一人のスーツ姿の男だった。
痩せぎすで猫背の男は、メダルコーナーの隅にあるベンチに腰掛けていた。その手にはメダルゲーム用のメダル入れが乗せられている。
男は何を見るでもなく、何をするでもなく、ただそこに座っているようだった。
実は、そういう人は珍しくなかった。メダルゲームの中にはパチンコ台やスロット台もあり、実際のそれらよりも大幅に金の消費を抑える事が出来る。
メダルゲームはそうした理由から、社会人や特に高齢者に人気の傾向があった。静流はそうした人々を否定しない。どうせ暇を潰すのなら、金のかからないほうが健全だと考える。
だからスーツ姿のいかにも会社員と言った人がいるのは珍しくもなんともないのだ。しかし静流は男の事が気になった。
すばるに通うようになって数ヶ月。その間、同じようにあそこに座っている男の姿を目撃していた。
男はいつもベンチにいるわけではなく、時折スロット台で遊んでいるようだった。その時も楽しそうという感じではなく、どこか辛気臭い横顔だったのを覚えている。
今も男は放っておけばふっと虚空に消えてしまいそうな存在感だ。メダルゲームのジャラジャラした騒音の中、彼の存在に気づく者は誰もいないのではないかと、そんな錯覚さえ覚える。
まさか幽霊……そんなわけはない。静流はしばらく考えた後、意を決して男に歩み寄った。
「出てますか?」
そう言ってメダルを投入するような仕草をすると、男は驚いたように目を丸くし、それから優しく笑みを浮かべた。
「いえ、あまり……。私はこういう事が向いていないようです」
男が見せたメダル入れにはあまりメダルが残されていなかった。
電子マネー決済が当たり前になった今の世の中でも、メダルゲームだけは実物のメダルを必要とした。ゲームの根幹に、“メダル”という実体が不可欠だった為だ。
静流は男の横に腰掛ける。男はやはり驚いた様子だったが、居心地が悪いという感じではない。静流はそれに安心して話を続けた。
「いつも“シヴァ”打ってますよね」
「……驚きましたね。見られていましたか」
「あ、すいません。あんまジロジロ見るつもりはなかったんですけど」
「構いませんよ。いつも同じ台に座っていましたから、思えば当然でしょう。私もあなたには見覚えがありますから。クアド・ラングル……と言いましたか。向こうの大型筐体の辺りで」
「こっからも見えますからね」
「いつも沢山のご友人と一緒のようで、楽しそうで羨ましいです。若いという事は素晴らしい」
そう笑いかける男の年齢が気になった静流だが、流石に初対面……というわけではないが、初めての会話で訊くのは憚られ、想像してみる事にする。
男は色白で、どこか血色が悪そうというか不健康な印象を受けた。物腰柔らかな態度や声、きっちり整った髪型など、自分とは違う明確な社会性を感じさせる。
三十代……いや、もしかしたら四十くらいだろうか。そんな事を考えていると、男はまたぼんやりと人々の流れに目を向けた。
「シヴァ、好きなんですか?」
「丁度世代でしたからね。隣にある“サムライ・ブルース”とか、“超次元粉砕アディオス”とかも好きです」
「シヴァは俺が生まれる前だからなあ。パチで人気なくらいしか知らないけど、サムライ・ブルースは見たことあるかな」
「再放送ですかね? 名作アニメだと思いますよ。どちらかというと大人向けですが。何度も通しで見ました。今の若い人が見ても、それなりに楽しめると思います」
そんな取り留めもない話をする。時間がゆっくりと流れているような、不思議な感覚だった。
男は静流に対してずっと穏やかな笑みを向けていた。恐らくは相当な年上、ひょっとすると父親くらいの世代かもしれないが、壁というほどの物は感じなかった。
それもゲーセンの魔力……と思いたいところだが、これは単純にこの男が静流の話によく合わせてくれるから、つまり彼の対人能力による部分が大きいようだ。
見た目からするとどうにも冴えない……というより、生気を感じないのだが、話してみると明るく社交的。静流はそうやって男と十五分ほど言葉を交わした。
「静流ちゃーん!」
その時だ。少し離れた場所から手を振る陽毬の声で静流は立ち上がった。手を振り返すと、男は腕時計を確かめながら同じように立ち上がる。
「私はそろそろ会社に戻ります」
「え? 仕事中だったんすか?」
「ええ。営業を担当しています。……幻滅しましたか?」
「いやまさか。俺も学校サボったりするし……」
とは言え、意外なのは事実だった。男はどうにも真面目そうで、業務時間中にここでパチスロ打っているようには全く見えなかったから。
「遠見と言います。またお会い出来たら、懲りずに相手をしてください」
「あ……神埼です。神埼静流っす」
「神崎君。お陰で良い時間潰しになりました」
男は小さく頭を下げ、すばるを去っていく。すれ違った陽毬は不思議そうに男の背中を見送りながら静流の傍に立った。
「静流ちゃんの知り合い?」
「に、なったとこ」
腕を組み思案する。遠見と名乗った男はなんだか不思議な雰囲気だった。
消えてしまいそうな……もっと直接的な表現をすれば、今にも死んでしまいそうな気配がある。だが、実際に話してみると様子は真逆。
「遠見さん……か」
そう呟いてから静流は陽毬に向き合う。少女に手を引かれ、少年はクアド・ラングルの筐体へ、今度こそ一周を終えて戻っていった。




