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終業のチャイムが鳴り響き、放課後。私立比良坂第一高等学校、二年A組の教室は緊張感からの開放に湧いていた。
と言っても、ここは天下のバカ校比良坂第一。元々授業なんて熱心に聞き入ってはいなかったし、緊張という言葉とは無縁そうな三流学生達しかいないのだが。
普通科の男女割合は、まあ大雑把に半々程度。やや女子が少ないくらいだ。生徒の自主性を尊重するという名の放任主義、から生徒達の髪色やファッションはなんとも独特で、規律という言葉とは無縁に思える。
そんな状況だが、そこは今時の若者達。不良ばかりかと思えばそうではない。どちらかと言えば、皆草食系である。
言動は確かにチャラいが、そのチャラさはさほど悪質なものには感じられない。バカではあるが、このくらいのバカならば十代後半にしては可愛らしい程度だろう。
「神埼、これからどっか寄ってかない?」
窓際の席でスカスカの鞄に荷物を詰め込んで立ち上がった神埼静流に声を掛けたのは一人の少女だった。
高校生だが茶髪で、化粧もしている。スカートの裾はだいぶきわどいところまで上がっていて、腰にサマーセーターの袖を巻きつけていた。
「春子か。悪いな、俺ちょっとこれから用あるんだわ」
「ふーん。神埼って今日シフト入ってたっけ?」
「いやバイトじゃなくて別の私用。でもバイト時間増やさねーとなあ……」
静流と春子は同じ喫茶店でバイトをする仲間でもあった。週に四日は最低でもシフトを入れている為、それなりに肩を並べる頻度は高い。
「珍しーね。神埼が金貯めたいって。生活費だけとりあえずそこそこ稼げれば良かったんじゃないの?」
「最近ちょっと金遣い荒くなってなあ……。ま、そんな感じ。明日は確か一緒にバイトだったよな?」
腕を組み頷く春子。静流はポンとその肩を叩き歩き出す。
「夏休みになったら稼がないとなあ。んじゃまた明日なー」
「神埼、お早い帰宅ですなぁ! 部屋に帰って早速コレですか?」
「うっせバカ共。散れ散れ! 教室の片隅でむさくるしーんだよ、女作れ女!」
教室の片隅で屯していた友人の一人が左手を股間の当たりで上下させる様に静流は親指を真下に突き立てながら笑みを返した。
そうやって教室から出て行く静流の姿を春子は腑に落ちない様子で眺めていた。と、そこへ一人の少年が歩み寄る。
「春子。これから一緒にどっか寄ってかないか?」
少年の名前は武田努。同じA組の生徒で、体格が良く手が直ぐ出るので、この高校の中でもひときわ、“ちゃんとした不良”として認識されていた。
しかし春子は全くの無視。自分の席から鞄をひったくると、慌てて教室を飛び出していった。
「あ、おい! 春子!?」
完全無視して階段を駆け下りると、玄関付近でお目当ての人物を発見した。静流である。
静流はイヤホンをつけ口笛を吹きながら楽しげな足取りで軽快に玄関を出て行く。春子はそれに続き、こっそりと跡を追いかけた。
春子が静流と出会ったのは、この比良坂第一に進学してからだ。
静流はごく普通の少年で、目立つタイプではない。あんな感じの奴は教室に腐るほど居る。
確かに少し斜に構えたというか、他のバカ共ととは違う……繊細さや影のようなものを感じる事はあった。しかし別にそれが“イイ”というわけじゃない。
夢見る少女であるという自覚はない。静流も所詮はバカ校にやってきた三流高校生に過ぎない。それ以上も以下もない。
だが静流とは同じバイト先で、なんとなく一緒に時間を過ごす事が多くなっただけ。
少年は自分の事を殆ど何も話さない。しかし彼はいつも自分で稼いだ金で、質素な生活を送っている。
家庭の事情がよろしくないのだと、そう推測するのは春子でも簡単だった。春子もまた、家で家族とは全く上手く行っていなかった。
うまくいかない家の子だから、同じような境遇には敏感なのだ。だから春子はバカだったが、静流が何か痛みを抱えている事は感じ取れた。
そうやってなんとなく静流の事を気にかけるようになり、一緒に遊んだりする事も増え、バイト先でも頼りにしたりしていると……いつの間にか好きになってしまっていた。
恋愛なんてしたこともないし興味もなかった。この片思いは恐らく打ち明ける事もなく終わるだろうと、そう思っていた。しかし、気になるものは気になるのだ。
静流は駐輪場で原付きに乗り込み、いつもの様にトロトロ走りだした。春子は慌てて自分の原付きに乗り込み追跡を開始する。
最近、静流の様子は少しおかしい。なんというか……前より少し明るくなった気がする。
時折優しい目を向けてくれる事が多くなった。肩の力が抜けたというか……なんというか、それがまたちょっとイイ。
しかし、バイトのない日は殆どの場合、さっさと帰宅するようになってしまった。以前はもっと付き合いもよかった。誘えば大体ついてきてくれたし。
「まさか……」
静流は質素な生活を送っている。そこら辺を遊びまわっているわけではないはずだ。
しかしバイトにはむしろ熱心になった。金を貯めているのは明らかだ。そして男子高校生が金を貯める理由と来たら……。
「彼女が……出来たのか……?」
七月頭の生ぬるい空気を原付きで切りながら、しかし変な汗が止まらなかった。
まあ金を貯める理由と言えば進学とかもあると思うが、春子にはそんな可能性は思い当たらなかった。
女だ。女に違いない。静流が最近付き合い悪いのも、金遣いが荒くなったのも、彼女が出来たとすれば辻褄が合う。
しばらくして静流が入ったのはゲームセンターだった。春子は首をひねりながらその後に続き駐輪場に向かう。
静流は褒められたことではないが、イヤホンをつけ音楽を聞いたまま運転していたようだ。お陰で全く尾行に気づいていない。
「ゲーセン? なんでゲーセン?」
春子には理解出来なかった。確かにゲーセンといえば不良のたまり場というイメージもあるが、今のご時世ではそうでもない。
特にここ【すばる】はクリーンなゲーセンです。勿論表に屯している学生なんていません。
そもそも春子はゲーセンになんて普段から来ない。ゲームをする性格ではなかったし、金は出来るだけ節約しなければおしゃれに回せない。
そういった彼女のような少女にとって、ゲームセンターというのはバカかガキかオタクが来る所、というイメージに満ちていたのだ。
静流はクールでどこか斜に構えた、あの高校にしては理性的な高校生だ。そのイメージが既に夢見る少女の先入観なのだが、そんな事は自覚できない。
既に自動ドアを潜った静流を見失わないように慌てて駆け寄ると、ガチャガチャとうるさいゲーム音があちこちから飛び込んでくる。
不快だ。不快だが尾行には都合がいい。静流は相変わらず全く春子に気づく気配がない。
まず少年が向かったのが大型筐体の並ぶブースだ。そこには人がまるごと入れてしまうようなカプセル型の筐体が並んでいた。
「でか……」
静流はその前にあるテーブルで知り合いを見つけたのか声をかけている。太っていてチビで、絵に描いたようなオタクという感じのメガネ野郎だ。
二人はそれなりに親しげな関係に見える。オタクは何やらドヤ顔しているが、静流は全く気にしない様子で笑みを浮かべている。
それも春子には驚きだった。今の静流はものすごくリラックスしているように見えるのだ。
不良とオタクは水と油、わかりあえない人種である。そんな二人が何故親しげにしているのか、意味がわからない。
静流はそのオタクと一旦別れた。どうやら別のブースへ向かうようだ。次は音楽ゲームが並んでいるエリア。静流はその中から最新機種を選んでユニフォンをかざし、電子マネーで精算を行う。
これも大型の筐体で、身振り手振りを動かし、画面に映しだされているモデルダンサーと同じ動きをするというダンスゲームである。
そこで春子は驚愕した。静流が見ているモデルは、こう、なんというか、いかにもアニメ! という感じの3Dモデルだったのだ。そして流れている音楽は……彼女には理解出来るはずもなかったが電波ソングと呼ばれるジャンルで、強烈に意味不明であった。
終始唖然としていると静流はダンスゲームを終え、時計を確認。それから次のブースへ向かう。
今度はUFOキャッチャーが並んでいるエリアだ。ここには女子高生も多い。静流はそこでおもむろに女子高生に声を掛けられた。
「あいつか!?」
いや違う、ただの顔見知りのようだ。適当に一言二言挨拶をした後、静流が向き合ったのは美少女フィギュアが景品とされているものだった。
また電子マネーで精算し、フィギュアを熱心に穴に落とそうと四苦八苦する。これも全く理解できない行いであった。
何で美少女フィギュア? 目ぇデカすぎないか? ていうかなんで静流が美少女フィギュア? もう全くついていけない。
しばらくすると静流はフィギュアの入った箱を入手し、背後で見ていた女子高生と軽く会話をしてから手を振って別れた。戻ったのはあの大型筐体のブースだ。
そこでテーブルの上にフィギュアを置くと、あのデブオタクが何か熱弁を繰り広げているのがなんとなく聞こえる。静流は腕を組み、生返事を返しているようだった。
その時だ。そんな二人に歩み寄る少女の姿があった。金色の髪……いや春子にはわかる。あれは地毛、染めたようなものではない。
青い瞳の美少女は二人に親しげに声をかけると、テーブルの上のフィギュアを手にとった。静流は一言二言告げると、少女は嬉しそうにフィギュアを抱く。
どうやらプレゼントしたらしい。それから荷物をデブに預けると、二人はユニフォンを手に大型筐体に入っていった。
「何!? どういうゲームなのあれは!? 男女が二人で入るゲームなの!?」
顔を真っ赤にしながら物陰で叫ぶ春子。破廉恥な妄想が止まらない。ゲーセンってそういう所だったのだろうか。
いやていうかまて落ち着け冷静になれ。静流はどうしてしまったのだろう?
静流はあの金髪と付き合っているのか? そしてあのデブオタクと友達で、静流自身もオタクになってしまったのか?
いやあり得る。あり得るとも。静流は騙されているのかもしれない。あのオタク外人女と、キモデブオタクにそそのかされ、オタクになってしまったのかもしれない。
「……アタシがフられるのならばともかく……」
春子の中の理想の王子様造にビシリと亀裂が走る。砕け散ったそこから出てきたのは、小太りになってしまったオタクファッションの静流の姿であった。
「片思いの相手がオタクになって失恋なんて嫌じゃあああああっ!!」
頭を両手で抱え、涙目になりながら叫ぶ春子を背後から女子高生達が驚いた様子で見るが、春子に周囲の視線は感じ取れない。
静流は相変わらずあのタマゴみてえなのから出てこない。一体中で何をしているのかもう気になって仕方がない。
「静流……っ」
鼻を啜りながら静流との思い出を回想する。優しくて落ち着いていて、腕っ節も強くて共感できる背景を持つ少年。
「待ってろ……今、アタシが助けてやるからなっ」
固く固く誓ったその少女の覚悟が、余計な騒動を巻き起こす事になるとは、その時まだ誰も予感していなかった。
季節は七月。静流との接点は学校とバイトだけ。チャンスは夏休みに入るまでの間。
春子はない知恵を絞り考える。彼を救えるのはきっと、自分しか居ないと信じて――。




