先の事はわからない
「なあ、あんた邪魔だよ。」
何て言えるわけもなく、俺はまた黙って何事もなかったかのようにあいつと間を空けて立ち尽くす。
だって俺はインキャラでチキンだし、口出しすれば袋だたきに合う確率100%。
それに比べてあいつは周りに持て囃される、人の輪に何食わぬ顔で入っても誰にも受け入れられるような野郎だし。
耳障りでもぶつかっても陰口言われようとも、俺の存在はそんなものだから気にしない。
こいつには敵わない敵わない、影薄い空気野郎は黙って隅っこにいるに限る。
触らぬ野郎に何とやらだ。
基本的に人を嫌うという事はない俺だが、コイツだけはどうしても好かない。
存在事態、見ただけで俺の全ての細胞が拒否る。
ある意味凄いね、目が合った瞬間全員鳥肌たつのは、人生で最初で最後、あいつだけだろう。
顔はまあまあ良いのに、気持ち悪い。
話し掛けるなんて無理、吐くよ。
…さてと、遠回りして帰るか。
今日は新しい料理を作るんだ。
こんな野郎に構っている暇はない。
コイツに時間を割くほど俺は寛大ではないのだ。
それに、ウォーキングは体に良いし、運動は嫌いではない。
回れ右をして非常階段の方に向かって歩く。
俺が嫌うあいつは仕事場の通路で時間を気にしていて、時々携帯電話についている鏡で自分の黒くて短い髪をちょいちょい弄ったり、髭の形を手で触ってみたりと容姿に忙しいからか俺の存在には気づいていないようだ。
会社にはもう俺くらいしかいないのに、ナルシストめ。
やるならトイレでやってこい。
あー良かった良かった、影が薄くて本当に良かった。
親に感謝せねばならないな。
今日作った物が上手くいったら仕送りに交ぜるか。
母さん、父さん、姉さん夫婦よ、楽しみにしていてくれ。
黙々と非常階段を下りていると警備員さんと遭遇。
お互い小さく会釈をし、警備員さんが、
「まだ誰かいました?」
と聞くので俺は頷いて、
「7Fに男性が一人いました。待ち合わせをしているみたいでしたよ。
通路の邪魔だったので私は非常階段で下りる羽目になりましたよ。」
と上を指差し、大袈裟に肩を竦めて答える。
此処の警備員さん、原口さんとは残業の時にこの非常階段でよく顔を合わせるので顔なじみだ。
俺が残業の日にたまにこうやって立ち話をするくらいの関係。
名前は名札で知った。
原口さんもたまに名前で呼んでくれる。
私の名前も今首に掛けている名札で知ったのだろう。
原口さんは仕事場の人より親しみを持ってるので、名前で呼ばれるのは内心嬉しい。
しかし、相手は夜間巡回なのか昼間には見かけた事がない。
そこが残念だ。
歳が近そうなのであわよくば仲良くなりたいのに。
俺が教えると原口さんは帽子の鍔をクイッと持ち上げ、
「ありがとうございます。
あ、そうだ。外は冷えますので、飯塚さんにカイロあげますよ。俺間違って二個持ってきちゃったから気にしないで下さい。」
柔らかい笑みを向けられ、キュン、ってなってると、彼のポケットからカイロを渡された。
好青年っぽい見た目通りの優しさとドジさ。
優しいなぁ…今度頑張ってメアド教えてもらお。
それから自慢の料理の試食してもらいたいなぁ。
細いわりに意外に沢山食べそうなイメージあるし。
もっと仲良くなりたいという気持ちが強まる。
「ありがとう原口君。
そうだ、お礼にチョコレートあげるよ。昨日美味しく出来たんだ。」
カイロを両手で受け取り、じーんと胸が温まり、暫く感動している。
ナチュラルに“原口君”呼びに成功に心の中でガッツポーズ。
俺は慌てて鞄から小さなタッパーを取り出して彼に渡す。
もうすぐバレンタインデーなので、家族に贈る試作品を昨日作って、今日仕事の合間に味見する為に持って来たのだ。
今年も成功したので満足した俺だが、間食はあまりしないので少し余ってしまったのだ。
家に持って帰って、違う形に変えて食べても良いが、カイロのお礼としてあげられる物が他に持ち合わせていない。
ドキドキしながらタッパーを原口君に差し出す。
今の流れは不自然じゃない、でももし甘い物苦手だったらどうしよう…
原口君に嫌われちゃうかなぁ…
それは嫌だなぁ。
スッ。
手の中の物が無くなる。
顔を上げると、原口君はまた優しい笑顔で俺を見ていた。
「ありがとうございます。後でいただきますね。」
「う、うん。そんなたいした物じゃないけど…お口に合えば幸いです。」
「アハハ、謙遜しすぎですよ。
それじゃ、仕事に行きます。おやすみなさい。」
「お仕事頑張ってね。
おやすみなさい原口君。」
お互い会った時のように頭を下げ、そこで別れた。
今日は良い日だ、このままいけば料理上手くいくかも。
足音軽く階段を下りて行く私。
チラッと振り向いた原口君がクスッと笑って、
「飯塚さん、可愛い人だなぁ。」
タッパーを懐にしまい、早足で非常階段を上って行った。
――ヒュウウゥー。
温かいけどくらいビルを出て、夜風が冷たい眩しい街に出る。
原口君が言った通り、今晩は昨日より寒い。
コートにマフラーを着けているが、カイロを持つ素手がかじかむ。
今日に限って手袋を忘れてしまった馬鹿な俺。
だが、カイロが貰える代償としては激安だ。
冷風によって温かかったカイロは次第に冷たくなる。
仕方ないので温もりが消えないうちにポケットにしまい、両手を擦り合わせながら駅へと向かう。
ハイヒール特有のコツコツという音が人気の少ない道に響く。
都会は廃棄ガスが酷いので、ちょっとでも自然がある場所を歩くようにしている。
自然は目の保養になるし、植物がある場所は空気が浄化されてる(気がする)。
花は可愛いしね。
ホームレスがいるのが残念だけど。
さっさと電車に乗って帰ろう。
最近不審者が続出するって言われてるし、注意して損はない。
早足で鞄を握りしめ、顔を真っ直ぐ前に上げて歩く。
こういう時はびくびくしている様子を見せずに、強気に振る舞うのが善作だ。
恐くない恐くない恐くない。
どんどん駅が近くなる、安心からか足が早まる。
人も少ないが増えてきた。
後ちょっとで改札口に着くというその時、
ドンッ!
「きゃっ!」
「あ~ん?いってぇなぁお嬢ちゃん。周り見てまちゅかぁ~?」
「え~?課長にぶつかったのぉ~?それはいけませんねぇ!」
「ご、ごめんなさい。」
慌ててぶつかった相手に謝る。
…まずい、こいつら酔っ払いだ。
しかも質が悪いタイプ。
周りは見て見ぬフリして俺達の周りを通り過ぎる。
ハゲとデブが頭にネクタイ巻いて片手に土産を持つ、漫画やドラマとかによくある迷惑な二人組。
しかも酒臭くて鼻がひん曲がりそうだ。
何か意味不明な言葉を口にしながら顔を近づけてくるので、スッと立ち上がって駅に向かった。
「お姉ちゃん何処に行くのかなぁ?」
「まだお話は終わってまちぇんよ~?」
「「アッハッハッハッハ!!」」
…しかし、ガシッと油っぽい手の平で腕を捕まれ引き止められる。
赤ちゃん言葉で喋られ唾が飛び、何故か笑われた。
意味わかんない、気持ち悪い、逃げたい。
しかし先程と比べ人はほとんどいなく、俺達だけだ。
駅員は死角なのか気づいていない。
声に出して助けを呼べば良いが、喉が詰まって音にならない。
オッサン達がなめ回すように俺の体に視線を這わせる。
それだけで鳥肌がたつ。
腕を握ってた手の動きが怪しくなる。
本当にやばい…涙が出そうだ。
カタカタと寒さと恐怖で体を震わせていると、腕を撫でているオッサンに気づかれた。
「あんれぇー?震えちゃって、寒いのかい?」
「おじさん達がベッドで温めてあげよっかー?」
「い、嫌…もう、離して下さい。」
「んん?聞こえないなー?住田君聞こえたかい?」
「いいえ課長、私にも聞こえませんでしたぁ。」
絶対聞こえてんだろクソ親父共。
しかしチキンなので口には出せない。
むやみに暴言を吐いて自分が被害に遭うのは馬鹿がする事だ。
俺はそこまでプライド高くないし、何言われても大体は耐えられる。
我慢すれば良いのだが……これは生理的に無理。
腰を撫でる手が気色悪くて、声を振り絞って叫ぼうとすると、
「すみません。」
「はぁ~ん?」
横から声が聞こえ、誰かがオッサンと私の間に割って入る。
そのおかげでエロ魔人の魔の手から逃れられた。
ハイヒールの上を革靴で踏まれ痛かったが、今は許してやろう。
男から二、三歩後退して痛む足の甲を手でさする。
俺が見てない所で男はオッサン×2をキツく睨み、低い声で威圧する。
「何あいつに汚れた手で馴れ馴れしく触ってんだよ糞野郎共が。あ゛?」
「な、なんだよ!あの嬢ちゃんが先にぶつかってきたんだぞ?」
「そうだそうだ!」
男性にビクビク怯えながらも頑張って抗議する醜いオッサン達。
あ、もうすぐ最終電車来ちゃう。
急がないと。
触られた箇所を服についた汚れのように手で払い落とし、そそくさと駅へ走る。
男性には悪いけど、また今度会った時にお礼させてもらいます。
振り返らないで駅に一直線。
スピードはハイヒールだからあまり早くはないが、数をこなして走り込む。
俺がいなくなった事にオッサンの一人が気づいたようだが、その時にはもう駅の中。
入るには切符が必要だ、ざまあみろ。
入った時にはまだ電車は着いてなくて、けど危機から逃れた事にはホッとして。
ベンチの一番端に腰掛けて
「ハァー」
と息をつく。
吉日かと浮かれていたら厄日のような事が起こるし。
最高級とも言える嬉しい事の後に地獄とも言える最悪な事があるって、何か裏切られた気分。
後味悪いし、良い気分のままいさせてくれればいいのに。
「あ、そういえば。」
閉じていた目をパッと開け、重要な事を思い出す。
さっきの男性の顔を見るのを忘れてしまった。
これじゃあ誰にお礼を言えば良いのかわからないじゃないか。
俺とした事が……あー最悪。
覚えてるのは男性のコートの色と俺より遥かに高い背丈。
確か黒髪だった。
後は、足を革靴で踏まれた事くらいかな。
あの人も会社帰りっぽかったな。
ドサッ、と背もたれに背を預け、
「ま、相手が覚えてるだろうし、問題ないか。」
「問題大アリだ。」
「……。」
あ、鳥肌発生。
聞き覚えがあるような、聞こえる度に脳が自動で削除してくれているような、思わずマフラーで顔半分と両手で耳を塞いだ。
無意識の拒絶反応。
凄いね、こんなになるまでコイツ嫌いだったんだ。
目だけ電車が来るのを注意する。
電車よ早く来い早く来い早く来い早く来い。
「…ハァ。そんなに嫌いかよ。」
チラッと俺を盗み見て溜息なんかつきやがった。
何か言ったみたいだけど、両手で塞いでいるから聞こえない。
ふん、つくづくムカつく野郎だ。
早く朽ちろ。
俺に背を向けたまま前に立つ男は、さっきのコートの男と同じコートに同じ髪に同じ背中。
……うわ、最悪。
コイツに助けられるとか泣ける。
末代までの恥だ。
ごめんよ、父さん、母さん、姉さん、家にいるダルメシアンのモノクロと三毛猫の母様(本当に母様って名前)、義兄さんと生まれたばかりの姪よ、俺のせいで泥を被らせてしまった。
そろそろ実家に顔出します。
「おい、乗るぞ。」
目を閉じて身内全員に謝罪していると、腕を引っ張られた。
そのまま最終電車に乗るのだが、二の腕を捕む素手をチョップで外し、
「痛っ!?」
と驚くあいつを余所に、俺はスタスタと離れた席に座る。
あいつが睨んできたが無視だ。
あんな奴俺の知り合いじゃない。
ただの通行人Gだ。
そんなもんで充分。
しかし、あいつが後ろ頭をガリガリ掻きむしりながら俺の方に歩いてきた。
そして、人が少ない電車だというのに私の前の吊り革に捕まる。
プルルルル…
電車の扉が閉まる。
コイツに見下ろされて鳥肌や寒気が半端ない。
腰を浮かせて座席の端に移る。
するとまた睨まれた。
止めてくれ、お前に睨まれると嫌な予感しかしない。
あいつは席に腰掛け、私とあいつの間に人一人分くらいのスペースだけになる。
私は端にいるのでこれ以上動けない。
いかん、はめられた。
コイツの間に鞄置いて間を空ければ良いが、盗まれる可能性がある。
それは避けたい。
……そうだ!
通行人Gだと思って喋れば良いんだ!
声は雑音だと思えば問題ない。
きっと大丈夫さ、コイツはG、黒いG。
「あの、近いんですが。他にも空いてる席が沢山あるんですけど。」
絶対目は合わせない。
鞄で顔を隠す。
鳥肌視線を回避する為だ。
すると、ズイッと無いに等しい間を更に詰められ、完璧に無くされた。
…何コイツ、
「セクハラされましたー!」
って叫んでやろうか。
やばい、女性の目に殺意が込められている。
俺なにもしてないのに。
よし、お礼言ったら席を移ろう。それか立っていよう。
「さっきは助けていただき、どうもありがとうございました。今度お礼の品を納品します。それで勘弁して下さい。」
「納品って、お前ね。
それより、何で先に帰ったんだよ。せっかく入り口で待ってたのによ。」
肺の深い所から溜息を吐き出すアイツ。
煙草の独特の臭いが鼻を掠め、手で覆う。
俺は煙草は嫌いだ。
悪い物を詰め込んだ物にどうして金を払ってまで吸わねばならないのか。
理解しかねる。
このまま癌になって死ねば良い。
そうすれば俺の平和は保たれる。
しかし、“待っていた”とは語弊がある言い方だ。
どうせそこらへんの女性社員をお持ち帰りする為に待っていたんだろうが。
ああ、汚らわしい。
何ならいっそ子作りに勤しんで、少子化社会に貢献しろ。
会社辞めちまえ。
「何故私を待つ必要があるのですか。残業の度に通路塞がれて、こちらは迷惑してますよ。」
そのおかげで原口君に会えてるのは秘密だ。
感謝は微塵もしていない。
すると相手は勢いよく立ち上がり、
「んなの飯塚を待ってたに決まってんだろうが!なのに毎回毎回黙って帰りやがって!!ふざけんな!!また今日みたいな事があったらどうするんだよ!?女のお前じゃ太刀打ちできないだろうが!!たまたま俺が通りかかったから良かったものを、もし俺がいなかったらどうしてたんだよ!!?」
「そういう事が迷惑なんです。同期に入ったよしみだからって私に関わらないで下さい。貴方に何かされると被害に遭うんです。何なんですか、一体。貴方は被害に一度も合った事ないのに、逆キレないで下さい。
それに、これからスタンガン持ち歩く予定ですから心配なさらないで下さい。
後、私がいない間に私のカップを使ってコーヒーを入れてテーブルに置かないで下さい。貴方のせいで大事な書類を汚されましたから。おかげで今日は早くあがれる筈が残業ですよ。」
何故か怒る同僚磯村に俺は冷静に返す。
そう、今日はコイツが何故かはわからないけど、俺が会議で席を離れた時にコーヒーをテーブルに置いて、コイツを狙ってる女性社員達にコーヒーを倒され、大切な書類を汚されてしまったのだ。
戻って来た時にはその場に立ち尽くしてしまった。
しかも上司に
「こんな所にコーヒーを置いておくお前が悪い!」
と散々叱られた。
否定しても意味が無い事は三年もされ続ければ当然わかる事で、深々と頭を下げて
「すみませんでした。」
と素直に濡れ衣を被るのが一番平和な方法。
上司との関係も悪くならないで済む。
大人とは後々の関係の事も考えて動かないとならない。
窮屈な社会でせっせこせっせこ働くロボットのようなただの物だ。
要らなくなったら簡単に棄てられ、新しい物を導入する。
それの繰り返し。
嫌な世の中だが、生きる為には必死に会社に結果を出さなくては代価はいただけない。
今日も俺はロボットのように働いた…
もうそれで良いじゃないか。
〔次は××ー××ー。〕
電車のアナウンスが聞こえる。
俺の言葉の後からお互い何も話さない。
俺は鞄を肩に掛けて立ち上がり、アイツの前を擦り抜けて入り口の前に立つ。
アイツはマネキンのように動かない。
ただ、驚愕の顔で電車に倒されないよう手摺りに捕まっているだけ。
何も知らなかったようだ。
そりゃそうだ。
アイツがいない時を見計らって、女性社員達は仕掛けているのだから。
俺が何も反抗しない事を良い事に、嫌がらせは回を増す事にエスカレートしている。
そのうち体に被害が出るようになったら訴えよう。
ガタンガタン…ガタンガタン…
体を扉に預け、揺れに身を任せながらそう呑気な事を考える。
我慢する事は慣れている。
忍耐強い事が唯一の長所だと断言できるほどに。
ガタンカタンカタン…プシュウウウ...
電車の速度がだんだん遅くなり、もたれ掛かっていた扉が開いた。
俺はアイツに振り返る事なく、人がいないホームを早足で歩き去った。
――ガチャ。
「ただいま、ん?」
帰宅したのは深夜零時を過ぎた頃。
マンションの4Fの一室に入ると、玄関に俺のじゃない靴と玄関で体育座りしている学ランを着た中学生。
中学生には思えないオレンジ色の頭をしている。
この子は姉の旦那さんの弟、慎君。
見た目通り(?)中学生。
反抗期真っ盛りの慎君は当然親との仲も悪く、髪を染め、制服を着崩し、学校をよくサボり、街をフラフラして、喧嘩をしょっちゅうしては所々に傷を作り、何かあると中学校から近い俺のマンションに逃げ込むのだ。
出会いは結婚前の家族合わせの時。
後日義兄さんの家に家族で行った時、居心地が悪そうにしていた慎君に家を教えたのがきっかけ。
以前まで俺の仕事が終わり帰宅するまで部屋の前で待っていた事が何度もあり、今では合い鍵を渡している。
近所の住民に変な噂を起てられるのを阻止する為でもあるが、放っておけないという気持ちが強い。
「慎君、慎君。ただいま、帰って来たよ。」
「ん…ああ、おかえり。
今日はやけに遅かったな。また残業か。」
クァ…と大きな欠伸を漏らして俺を見上げる慎君。
まだ年相応に幼い顔立ちで、怪我の痕が無ければ可愛い顔をしているのに。
肌も俺より綺麗で、正直羨ましい。
「うん、遅くなってごめんね。今ご飯作るから。」
「ん。晩御飯何?」
「パエリア。しかも最初から手作り。」
「うわ、超時間かかるじゃん。」
「というのは嘘で、明日休みだからパエリアはお昼ご飯に作るよ。
今日は簡単に親子丼。」
「そりゃ楽しみだ。」
慎君を手を引っ張って立ち上がらせ、床暖房を入れてから部屋に行って着替える。
エプロンを着て台所で調理していると、後ろから慎君が現れ、覗き込む。
チラッと俺を盗み見る彼に俺は
「ん?どうした?」
と聞く。
後は煮込んで丼に入ったご飯の上に乗せるだけだから、慎君の方に向いて小さく首を傾げる。
慎君はばつが悪そうに目を斜め下に下ろし、ちょっとだけ背が高い俺を見上げる。
グッと眉間に皺を寄せ、
「冬樹さん、今日何かあったろ。」
と単刀直入に切り出した。
あ、因みに冬樹とは俺の名前。
女なのに男っぽい、とからかわれた思い出は多数。
俺は慎君の予想外の質問に不意を食らい、思わず
「へ?」
と間抜けな声を出してしまった。
目の前の中学生は真剣そのものの表情。
一方俺は眉間に寄った皺を見て、
「将来苦労するぞー」
と思ってはいたが口にはしなかった。
だって、慎君の顔がちょっと恐い。
俺のチキンハートが四、五歩後退したがってる。
が、そんな事したら彼が傷つくのは目に見えているのでできない。
俺は一旦火を止め、腕組みして考える。
「まあ、確かに嫌な事はあったな。
今日早く上がれる筈がGのせいで残業になったし、帰り道に酔っ払いに絡まれて、しかも助けてくれたのがGだし、しかもGに電車の中で逆ギレされたし、パエリア作れなかったし。」
「…Gと酔っ払いぶっ殺してくる。」
「止めて。もう何処にいるかわからないし、顔知らないし、慎君も暴力を振るって少年院行きになるのは嫌でしょ?それでも行くなら合い鍵返して。」
「うっ。」
部屋を飛び出して酔っ払い全てとサラリーマン男性を血祭りを上げに行きそうな慎君の腕を掴んで、力では敵わないので最後に攻撃力が一番強い言葉を投げ掛ける。
すると案の定殺人オーラがしゅるしゅると消えていき、最終的にその場で体育座りをして小さくなる反抗期真っ盛りの中学生。
その頭をワシワシと撫で回し、
「ありがとう。けど、今日『関わらないで』って言っといたから安心して。それと、明日スタンガン買いに行くから夜道も大丈夫。」
「…俺が心配なんかするか。ただ、ムカついたから殴りに行こうとしただけだ。自惚れるな、バーカ。ふん。」
弱々しい虚勢とオレンジの隙間から見える真っ赤な耳。
顔はもっと赤いのだろう。
想像してクスッと小さく笑った。
俺の笑い声が聞こえたのか、慎君は学ランを頭に被って更に縮こまってしまった。
――次の日。
早朝の誰もいない会社に入り、アイツのテーブルに昨日の謝礼のヒヨコ饅頭を置いて、そそくさとビルを出る。
…よし、任務完了。
後は家に帰ってもう一眠りしてからパエリアを作ろう。
慎君と一緒に食べて、それから電気屋でスタンガン購入。
後は二人でぶらぶらするか。
仕事は会社で終わらせたからゆっくりできる。
「ふぁ…眠たい。」
手で口を隠してから欠伸を零し、目を擦りながら歩く。
「「あ。」」
「あ!」
目を合わせる前に、回れ右をしてブーツの音を置き残し走って逃げた。