出会い
ここは、体育館裏。
普段は誰もいない、俺とて友達と興じていたサッカーのボールが飛んでいかなければここにくることは無かったろう。
いつもは人のいない体育館裏。しかし今日は人がいた。
女子生徒が一人、ぽつんと座って何かを一心不乱に筆を走らせている。
見覚えがある長い黒髪の女の子……思い出した!先週うちのクラスに転校してきた蒼井瑞葉さんだ!
見ると、サッカーボールはちょうど蒼井さんの近くに落ちている。
ボールだけとって、何もしゃべらずに退散、とはいかないだろう。一応クラスメイトだし、転校したての彼女を無視するような真似はしたくない。
出来るだけ平静を装って、彼女に近づき、適当な話を振る。
「こんにちは、蒼井さん。なにを描いてるの?」
「藍色」
短い返答、しかしよく意味が分からない。
覗き込むと確かに彼女はスケッチブックのようなものに藍色を塗っていた。紙一面が藍色で埋まっている。
「色を塗るだけ?絵は描かないの?」
不思議に思ったので質問してみる。
「絵は描くわ。花を描くの。…でもきれいな藍色が出ないから、練習してる」
短い言葉を、淡々と、俺のほうを水に返答した。
色一つにここまでこだわるなんて、よっぽど絵が好きなんだな。
「悪かったね、邪魔して」
そう言って、俺はボールを持って校庭に戻った。
次の日。帰りのショートタイムが終わり、クラス全体が開放感に満ち溢れる。
今日は特に何も予定が無いのでさっさと帰ろうと思っていた俺の眼前を、蒼井さんが横切った。
クラスの誰よりも速く教室から出て行く蒼井さんはやけに目立っていたようで、教室のあちこちから彼女って協調性無いよね、暗いよね、とかひそひそ話がたくさん聞こえた。
それを聞いて、なんだか急に蒼井さんが、寂しい存在であるように思えた。きっと今日も体育館裏で藍色を作っているに違いない彼女を。
いてもたってもいられなくなった俺の足は、自然と体育館裏へと向かっていた。
いた、蒼井さんだ。
体育館裏に、彼女の姿を認識した。
相変わらず今日も、パレットで色を作りながらスケッチブックに色を塗っている。
「調子はどうだい?納得する色は出来た?」
なれなれしすぎたかもしれない。でも、どうでもよかった。とにかく彼女を孤独にしておくのは忍びない。
「まだ。ぜんぜんだめ」
そう言ってこちらにスケッチブックを見せる。素人目には昨日までの色と違いはさっぱり分からない。
一通りスケッチブックを眺めた後、蒼井さんに返した。またもくもくと色を作っては塗る作業を再開する。
何分そのまま経ったろうか。無言が痛い。でも絵に関してまるっきり素人の俺は何も会話の材料を見出せない。
そんな感じで頭を抱えていた俺に幸運が訪れた。
「…スケッチブックが切れたわ」
彼女のスケッチブックが全部藍色で埋め尽くされたのだ。
「どうしよう。替えが無い」
完全に困っている。会話を再開させるきっかけはここしかない。
そう思って、俺は隣に置いておいたカバンの中から、新品のノートを一冊取り出して、蒼井さんに差し出した。
「よかったら、これ使わない?」
言った後で気づく。ノートとスケッチブックでは紙の質がぜんぜん違う。そんなもの渡されたってうれしくないじゃないか!と。
彼女のほうも、困ったような、悩んでいるような顔をしている。
「ごめん。なんでもない。気にしないでくれ」
完全に失敗した、そう思った俺はノートをカバンに戻そうとしたのだがそれを蒼井さんの手が止めた。
「使わせてもらう」
無表情だ。しかし固い意志のようなものをその瞳に感じた。
「そ、そうか。遠慮なく使ってくれ」
そうしてノートを改めて差し出す。
「そういえばあなたの名前を聞いてなかったわ」
いまさらだが、俺はまだ名乗っていなかった。
そういえば初めてじゃないか、彼女から俺に話しかけてくれたのは。結構、いや正直かなりうれしかった。
「浅羽だ、浅羽郁」
声がうれしさで上ずった。
「そう、浅羽君」
俺の名前を聞いた彼女が何度と無くその名前を口にする。こそばゆい。
急に蒼井さんがこちらを向く、そして小さく何かつぶやいた。
「……浅羽君、ありがとう」
小さくて聞き取れなかったので何といったのか聞き返すと、顔をうっすらと赤らめてそっぽを向かれる。そのまま、色を作る作業に戻ってしまった。
結局会話は無かったけど、彼女の隣にいるのはなんだか心地が良かった。
…明日からの学校の放課後がとても楽しみだ。