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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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もう引き返せない——最初の町で「泰然たる魔王」が爆誕する

もう引き返せない——最初の町で「泰然たる魔王」が爆誕する


 レグノールの町が見えてきたのは、翌日の午後遅くだった。

 石造りの城壁に囲まれた中規模の町で、街道沿いの宿場町として栄えているらしい。城門の前には馬車や旅人の列ができていて、なかなかの賑わいだ。


 ヴァルゼンの足が鈍った。


 (人が多い。人がめちゃくちゃ多い)


 戦場跡を彷徨っていた頃は、他の生物に遭遇すること自体が稀だった。パーティの五人とだけ過ごす日々にようやく慣れてきたところに、この人混みは刺激が強すぎる。


「どうした、ヴァルゼン?」


 エルヴィンが振り返った。ヴァルゼンは慌てて首を横に振る。


「な、なんでもないです。ちょっと……人が多いな、と」

「ああ、レグノールは交易の要衝だからな。冒険者ギルドの支部もある。ここを拠点にしよう」


 城門の検問に並ぶ。

 順番を待つ間、ヴァルゼンは自分の格好を見下ろした。何度も繕った黒いローブ。額には魔族の証である小さな角が前髪の隙間からちらちら覗いている。

 大戦が終わったとはいえ、魔族への感情がすべて好転しているわけではないだろう。この町の人々がヴァルゼンを見て、どう反応するか。


 (石を投げられたらどうしよう。いや、それはまだいい。通報されて衛兵に囲まれたら——)


「次の方、どうぞ」


 検問の衛兵がこちらを見た。

 ヴァルゼンの心臓が跳ね上がった。

 衛兵の目がヴァルゼンの角を捉え、一瞬だけ細くなる。


「……魔族、か?」

「あ、はい。その、えっと……」


 言葉が出てこない。何と名乗ればいいのか。魔王ですと言えるはずがない。かといって嘘をつく度胸もない。

 口をぱくぱくさせていると、エルヴィンが横から堂々と割って入った。


「こちらは俺のパーティメンバーだ。ヴァルゼン——元魔王で、今は俺たちと共に旅をしている」


 衛兵の顔色が変わった。

 周囲の旅人たちも一斉に振り返る。


「ま、魔王……?」

「ああ。だが心配はいらない。この方は——」


 エルヴィンが堂々と胸を張った。


「俺が、勇者エルヴィンがその人格を保証する。この世で最も信頼に足る人物だ」


 (やめて。お願いだからやめて。声が大きい。みんな見てる)


 ヴァルゼンの顔が紅潮した。恥ずかしさと申し訳なさで頭がぐらぐらする。

 周囲の視線が突き刺さる。好奇、驚愕、警戒——さまざまな感情が入り混じった視線の束に、ヴァルゼンは全身を硬直させた。


 視線に耐えきれず、ヴァルゼンはぎゅっと目を閉じた。

 両手を体の横に垂らし、背筋を伸ばして——いや、背筋が伸びたのは恐怖で体が強張ったからなのだが——微動だにしなかった。


 ヴァルゼンの内心では嵐が吹き荒れていた。


 (見てる見てる見てる! 全員こっち見てる! 逃げたい! でも逃げたらもっと目立つ! どうすればいいんだ! とりあえず動かないでおこう! 動かなければこれ以上悪化はしないはず!)


 その姿を、周囲は別の意味で受け取っていた。


「……あの人、微動だにしない」

「あれだけの視線を浴びて、まったく動じていないのか」

「さすが魔王……肝が据わっているな」


 ひそひそと囁き合う声が聞こえる。

 ヴァルゼンは聞こえないふりをした。聞こえないふりというか、聞こえていたら心臓が止まるので、全力で聴覚を遮断しようとしていた。


 衛兵が居住まいを正した。


「し、失礼しました。勇者殿の保証があれば……どうぞ、お通りください」


 城門を抜けた。

 町の中は城門の外よりもさらに人が多い。石畳の大通りに露店が並び、行商人や冒険者が行き交っている。


 ヴァルゼンは人波に呑まれそうになりながら、パーティの後ろをおどおどと歩いた。

 すれ違う人々がちらちらとこちらを見る。角があるから目立つのだ。隠したい。切り落としたい。いや、さすがにそれは痛い。


 (早く宿に入りたい。壁と天井のある場所に行きたい。人目のないところに行きたい)


 だがヴァルゼンの切実な願いとは裏腹に、エルヴィンは大通りの真ん中を堂々と歩いていく。しかも時折立ち止まっては、通りすがりの人々に笑顔で挨拶をしている。


「やあ、いい天気だな! 俺たちは勇者パーティだ。しばらくこの町で世話になる。よろしく頼む!」


 (なぜ自己紹介を始めるの!? なぜ目立とうとするの!?)


 ヴァルゼンは少しでも存在感を消そうと、エルヴィンの影に隠れた。

 だが身長差があるため、エルヴィンの背中にすっぽり隠れてしまう格好になった。


「おい、勇者の後ろにいるの、誰だ?」

「さっき城門で言ってた魔王ってやつか?」

「……姿が見えない。勇者の影に完全に溶け込んでいる」

「あれは隠密の技か? 魔王だぞ、気配の消し方が尋常じゃない」


 違う。ただ背が低いだけだ。


 フェリクスがすっとヴァルゼンの横に並んだ。


「魔王殿。人前で気配を消すのは逆効果ですよ。かえって不安を煽る」

「き、気配を消しているわけでは……」

「ええ、わかっています。あえてやっているのでしょう? 『見つけられるものなら見つけてみろ』と」


 (そんなこと一ミリも思ってない)


 フェリクスの助言に従い、ヴァルゼンは仕方なくエルヴィンの横に出た。

 途端に人々の視線が集中する。


 (無理。やっぱり無理。帰りたい。森に帰りたい)


 だが足は止められない。止まったら余計に注目される。ヴァルゼンは歯を食いしばり、一歩一歩、石畳を踏みしめた。


 その姿を、グリゼルダは畏敬の念で見つめていた。


「……衆目の中を、あれほど泰然と歩ける胆力。さすがです、ヴァルゼン様」


 泰然としているのではない。恐怖で顔面が引きつり、表情筋が動かなくなっているだけだ。


 宿に着いたのは、町に入ってから三十分後だった。

 エルヴィンが選んだのは大通り沿いの中堅宿で、一階が食堂、二階が客室という典型的な冒険者宿だ。


「二部屋取ろう。男三人と女二人で分ければいいな」


 エルヴィンが受付で手続きをしている間、ヴァルゼンは食堂の隅の椅子に座り込んだ。ようやく人目から解放されて、全身の力が抜ける。


「お疲れ様です、ヴァルゼン様」


 ミラベルが温かい茶を差し出してくれた。ヴァルゼンは両手で受け取り、一口啜る。温かさが喉から胃に染みわたった。


「あ、ありがとうございます、ミラベルさん……」

「いいえ。……あの、ヴァルゼン様」


 ミラベルが少しだけ声を落とした。


「町を歩いている時、ヴァルゼン様、ずっと周囲に気を配っていらっしゃいましたよね。すれ違う人、一人一人を見て……」


 (見てたのは人目が怖くて目が泳いでいただけです)


「あの方は、町の人々の安全まで気にかけていらっしゃるんだ、って思いました。魔王という立場で人々の中に入ることの重みを、ちゃんとわかっていらっしゃるから……」


 翡翠色の瞳がまた潤み始めている。


「だ、大丈夫ですよ。そんな大層なことでは……」

「いいえ、大層なことです。ヴァルゼン様が町の皆さんの視線を一身に受けて、それでも一歩も引かなかった。あの姿に、私、感動して……っ」


 泣かないでほしい。お願いだから泣かないでほしい。食堂の他の客が見ている。


 エルヴィンが戻ってきた。鍵を二つ掲げ、満面の笑みを浮かべている。


「部屋を取ったぞ。それと——」


 エルヴィンはヴァルゼンの肩にぽんと手を置いた。重い。勇者の手は重い。


「ヴァルゼン。この町で、お前と一緒に冒険者として活動できることを——俺は光栄に思う」


 (なんで急にそんなこと言うの!?)


「お前が城門で見せたあの態度。衆目の前で一切動じず、堂々と立っていた。あれを見て確信した。お前は——人の上に立つべき器だ」


 ヴァルゼンは茶碗を握りしめた。


 (立つべき器じゃない。座り込みたかっただけだ。いや、できれば横になりたかった)


 だがエルヴィンの碧眼はあまりにも真っ直ぐで、あまりにも輝いていて、何も言い返せなかった。


「あ、ありがとう……ございます……」


 それだけ搾り出すのが精一杯だった。


 食堂の隅で、フェリクスが手帳を広げている。


「到着時行動記録。城門での対応——威風堂々。市街地移動——気配消去と顕現を意図的に切り替え、住民の反応を観察。衆目の下でも表情を崩さぬ精神力——人知を超える」


 ペンの先が紙の上を滑る音が、やけに大きく聞こえた。


「結論。この人物は、あらゆる場面を試験と捉え、常に最適な振る舞いを選択している。我々が観察しているのではない。我々が——観察されているのだ」


 (されてません。何も観察してません。ただ怖かっただけです)


 ヴァルゼンは温い茶を啜り、天井を仰いだ。

 町に着いた。屋根のある場所にいる。温かい飲み物がある。

 それだけで十分幸せなはずなのに、胃の奥がきりきりと痛む。


 明日からここで冒険者として活動するらしい。

 ギルドに登録して、依頼を受けて、魔物を倒して——


 (魔物を倒す? 僕が? スライムすら怖いのに?)


 考えるだけで目眩がした。

 だが逃げ道はもうない。エルヴィンに「光栄だ」と言われ、グリゼルダに「泰然」と称され、フェリクスに「人知を超える」と書き留められ、ミラベルに泣かれた。

 今さら「実は最弱です」と言ったところで、誰も信じないだろう。


 ヴァルゼンは静かに茶碗を置いた。

 覚悟はない。度胸もない。あるのは、この人たちの傍にいたいという——それだけだった。


 最初の町レグノール。

 ここから、「泰然たる魔王」の伝説が始まることになる。

 当の本人は、ただ胃薬が欲しかった。


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