その夜、一行は街道沿いの平地で野営することになった。
その夜、一行は街道沿いの平地で野営することになった。
エルヴィンが薪を集め、グリゼルダが火を熾し、ミラベルが保存食を温め、フェリクスが周囲の警戒結界を張った。
全員が淀みなく役割をこなす。さすがは大戦を戦い抜いたパーティだ、とヴァルゼンは感心した。同時に、自分の無力さを痛感した。
薪を集める体力がない。火を熾す魔法は三回に一回失敗する。料理はゴブリンにすら「不味い」と言われた。結界魔法など論外だ。
つまり、何もできない。
魔王なのに、何もできない。
「ヴァルゼン。今夜の見張りだが──」
エルヴィンが焚き火を囲んだまま切り出した。
「いや、お前に見張りを頼むのは失礼か。魔王ともあろう方に雑務を押し付けるわけにはいかない」
「い、いえ! 僕がやります!」
反射的に手を挙げた。
挙げてから後悔した。なぜ手を挙げたんだ。
理由は単純だった。何もしていない罪悪感に耐えられなかったのだ。全員が働いているのに自分だけ座っているなど、ヴァルゼンの善良な心がそれを許さなかった。
それに──正直に言えば、怖くて眠れない。
荒野の夜は暗い。
焚き火の明かりが届く範囲の外は、完全な闇だ。風が吹くたびに草が揺れ、獣の声が遠くから聞こえる。
怖い。非常に怖い。
眠れるわけがない。こんな環境で目を閉じたら、その瞬間に魔物が襲ってくる気がする。気がするというか、確信がある。前世が草食動物だったとしか思えない警戒心の高さだ。
だから見張りを引き受けた。
どうせ眠れないなら、起きていることに意味を持たせたかった。
「そうか──ありがとう、ヴァルゼン。では前半の見張りは頼んだぞ」
「は、はい……」
他の四人が毛布に包まって横になった。
エルヴィンは瞬時に寝落ちた。寝息が豪快だった。グリゼルダは甲冑を脱がずに寝た。職業病だろうか。フェリクスは本を枕にしていた。ミラベルは小さく祈りを捧げてから目を閉じた。
静寂が、降りてきた。
焚き火がぱちぱちと爆ぜる音だけが、夜の闇に響く。
ヴァルゼンは膝を抱えて座り、周囲を見張った。見張ったというか、怯えながらキョロキョロしていた。
風が吹くたびにびくっとし、梟が鳴くたびに心臓が跳ね、遠くで枝が折れる音がするたびに「来た来た来た!」と身構えた。
結局、前半どころか後半の見張り時間を過ぎても、ヴァルゼンは一睡もしなかった。
できなかった。怖くて。
夜が白み始めた頃、最初に目を覚ましたのはグリゼルダだった。
甲冑のまま起き上がった女騎士は、焚き火の傍で膝を抱えているヴァルゼンの姿を見て──一瞬、息を呑んだ。
「……ヴァルゼン殿。もしや、一晩中起きていたのか」
ヴァルゼンはぼんやりと頷いた。眠い。ものすごく眠い。だが眠れなかった。怖くて。
「俺が後半を代わるはずだったが──声をかけてくれなかったのか」
「あ、いえ、あの……その、皆さんが気持ちよさそうに寝ていたので、起こすのが申し訳なくて……」
これは半分本当だった。もう半分は、暗闇の中でグリゼルダに近づく勇気がなかったからだ。甲冑を着たまま寝ている女騎士を起こしたら、反射的に斬られるのではないかという合理的な恐怖があった。
グリゼルダの目が、微かに見開かれた。
「一晩中……眠らずに、我々を守っていたと」
守ってない。怖くて眠れなかっただけだ。
だが女騎士はそう解釈しなかった。
「……先に謝らなければならないのは私のほうだ」
グリゼルダが、深く頭を下げた。
ヴァルゼンは慌てた。なんで頭を下げるんだ。やめてくれ。
「正直に言う。昨日まで、私はまだ疑っていた。魔王が我々と共に旅をする意味があるのかと。だが──仲間の安寧のために己の休息を犠牲にする者を、私は疑わない」
違う。本当に違う。怖かっただけだ。
だが、その言葉は喉の奥に引っ込んだ。
やがて他の三人も目を覚ました。
グリゼルダがことの経緯を伝えると、案の定、大変なことになった。
「一晩中……!」エルヴィンの目が輝いた。「やはり魔王は格が違う。俺なんか横になった瞬間に落ちたというのに」
「魔王級の存在が眠りを必要としない、という文献は確かにある」フェリクスが手帳を開いた。「古代の魔王は覚醒状態を維持し続けることで、常に領域の安全を保っていたという記録が──」
「ヴァルゼン様……!」ミラベルの涙腺が崩壊した。「お体に障ります……! どうかご無理だけはなさらないでください……!」
無理してない。していないのだが、泣かれると否定できない。
ヴァルゼンは心の中で盛大にツッコんだ。
眠りを超越した存在? 冗談じゃない。今すぐ泥のように眠りたい。瞼が鉛のように重い。意識が朦朧としている。
だが四人の前で欠伸をするわけにはいかない。
「実は怖くて眠れなかっただけです」と言うわけにはいかない。
魔王の威厳──持っていない威厳を、守らなければならない。
「だ、大丈夫です。僕は……その、あまり眠らなくても平気なほうなので」
嘘だ。大嘘だ。普段は十時間は寝る。
しかし言ってしまった。もう取り消せない。
「聞いたか」とエルヴィンがにやりと笑った。「眠らなくても平気だと。俺たちの常識で測れる方ではないということだ」
「今後の移動計画を見直す必要がある」とフェリクスが手帳に書き込んだ。「ヴァルゼン殿の見張り能力を前提とすれば、夜間の休息時間を──」
「フェリクス殿! ヴァルゼン様のご好意に甘えすぎです!」
「しかし本人が平気だと──」
「体は平気でも心が心配です!」
心は今この瞬間が一番辛い。
ヴァルゼンは膝を抱えたまま、遠い目をした。
たった一晩の野営で、「眠りを超越した存在」という新たな称号が追加された。魔王の肩書きだけでも重いのに、まだ乗せるのか。
肩が、重い。
物理的にも。精神的にも。
そして何より──本当に、眠い。
レグノールまであと二日。
ベッドのある宿屋が、今のヴァルゼンにとって世界で最も価値のある場所だった。




