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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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学者が「そんな魔王がいるわけない」と言った。正しいのに誰も信じない

 学者が「そんな魔王がいるわけない」と言った。正しいのに誰も信じない


 街に着いて三日目、妙な噂が立っていた。


「——計測不能の魔王が、攻撃魔法を一切使わずにAランクダンジョンを攻略したらしい」


「しかも魔力感知だけで魔法陣の構造を看破したって? そんなの学院の主席研究員でも無理だぞ」


「いや、それどころか——旧研究所の暴走魔法陣を体感だけで制御したとか」


 酒場で聞こえてくる話を、ヴァルゼンはテーブルの端で縮こまりながら聞いていた。


(話が大きくなっている。毎回大きくなっている。このままだと来週には「一睨みでドラゴンを倒した」くらいになるんじゃないか)


「ヴァルゼン様、お食事が冷めてしまいますよ」


 ミラベルが心配そうに言った。ヴァルゼンは我に返り、スプーンを手に取った。


 そんな昼食時に、事件は起きた。


 酒場の扉が勢いよく開き、一人の男が入ってきた。白髪混じりの髪を掻き乱し、丸モノクルを鼻の先にずらした中年の男。襟元には王立魔術学院の紋章が刺繍されたバッジが光っている。


「この中に、いわゆる『計測不能の魔王』がいると聞いたが!」


 声が酒場に響いた。冒険者たちの視線が一斉に男に集まり——そしてヴァルゼンに流れた。


(やめて。お願いだからこっちを見ないで)


「どなたですか」


 フェリクスが警戒心と好奇心を同時に滲ませた目で男を見た。モノクルがきらりと光る。


「失礼。私はゲルハルト。王立魔術学院の魔力理論学主任教授だ」


 男は早口で名乗り、酒場を見回した。


「最近、学院にまで奇妙な報告が上がっている。『ステータス計測器が限界突破した魔族がいる』『攻撃魔法を使わず感知だけで魔法陣を看破した』——そんな荒唐無稽な話がな」


 ゲルハルトの目が、ヴァルゼンを捉えた。


「君か。君が、その『魔王』か」


「あ、あの……はい、一応、そうですけど——」


 ゲルハルトが大股で近づいてきた。ヴァルゼンは椅子の背に身を引いた。


「失礼するよ」


 丸モノクルの奥の目が、ヴァルゼンを頭からつま先まで観察した。数秒間の沈黙。


 そしてゲルハルトは、鼻を鳴らした。


「馬鹿馬鹿しい」


 はっきりとした声だった。


「この程度の魔力量で、計測器が限界突破するはずがない。感知だけで高位魔法陣を解析? ありえん。魔力理論の基本を知っていれば、こんな噂が成り立たないことくらいわかるだろう」


 ヴァルゼンの心臓が跳ねた。


(正しい。この人の言っていることは完全に正しい)


「つまり、全てデタラメだ。冒険者ギルドの計測器の故障か、あるいは意図的な誇張か。いずれにせよ、学術的にありえない」


 ゲルハルトが腕を組んだ。


 ヴァルゼンは——生まれて初めて、学者という人種に深い敬意を覚えた。


(この人だ。この人が真実を語っている。ようやく正しいことを言ってくれる人が現れた)


「おい、待ってくれ」


 エルヴィンが立ち上がった。


「ヴァルゼンの実力を疑うのか? 俺はこの目で見た。ダンジョンでも、岩竜戦でも——」


「目撃証言ほど当てにならないものはない」


 ゲルハルトが切り返した。


「極限状態での人間の認知は歪む。あなたがたが見たと思っているものは、興奮と疲労による認知バイアスだ」


(素晴らしい。完璧な論理だ。この人にノーベル賞を)


「ほう」


 フェリクスの声が、静かに割り込んだ。


「認知バイアスですか。面白い仮説ですね、教授」


 フェリクスが椅子から立ち上がった。手帳を開く。あの、びっしり書き込まれた手帳を。


「では教授、こちらのデータをご覧ください」


 フェリクスが手帳をゲルハルトの前に差し出した。ページには、ヴァルゼンの行動記録が時系列で整理されていた。


「ダンジョン第一層から第四層までの全トラップ回避率——百パーセント。岩竜戦における逃走経路と戦術的最適解の一致率——九十七パーセント。旧研究所における魔法陣の構造看破速度——僕のモノクルの三倍。これらが全て認知バイアスですか?」


 ゲルハルトの眉が動いた。


「数値の出典は?」


「僕自身の計測です。王立魔術学院の元主席研究員として、データの精度は保証します」


「元主席研究員? ……君は?」


「フェリクス。在籍時は『万象の解剖者』と呼ばれていました」


 ゲルハルトの顔色が変わった。


「フェリクス……! あの天才児の——」


「元天才児です。今はただの冒険者ですが、分析精度は衰えていないつもりですよ」


 フェリクスがモノクルの位置を直した。


「教授。僕も当初は疑いました。計測不能など、機器の故障だろうと。攻撃魔法を使わないのは、単に使えないからだろうと。しかし——」


 フェリクスの目が、ヴァルゼンに向いた。


「分析すればするほど、底が見えない。データは『弱い』と言っている。しかし結果は常に『最適解』を示す。この矛盾を説明できる仮説は一つしかない——全てが計算された偽装だということです」


(違うんだけどなぁ……)


 ゲルハルトは黙っていた。学者の目で、フェリクスの手帳のデータを読み込んでいる。


「……確かに、このデータが正確だとすれば、偶然では説明がつかない」


「でしょう?」


「だが偽装という結論にも疑問がある。なぜそこまでして弱者を装う必要がある?」


「それは——」


「必要があるからです」


 グリゼルダが口を開いた。


「ヴァルゼン様は魔王です。人間社会で生きるために、力を隠す必要がある。私は武人として、あの方の動きを間近で見ています。一切の隙がない。あれは弱者の動きではありません」


(隙だらけだ。むしろ隙しかない)


 ゲルハルトがモノクルを押し上げ、改めてヴァルゼンを見た。


「……君」


「は、はい」


「本当に、攻撃魔法は使えないのか?」


 直球の質問だった。ヴァルゼンの心臓が高鳴った。


 ここだ。ここで「使えません」と言えば、この学者は味方になってくれるかもしれない。「やはりただの弱い魔族だ」と結論づけてくれるかもしれない。


「使え——」


「使えます」


 横からエルヴィンの声が被さった。


「使えますけど、使わないんです。ヴァルゼンは指揮官タイプだから」


(待って。今僕が答えようとしてたのに)


「ほう」


 ゲルハルトの目が細くなった。


「では、一つ検証実験をさせてもらいたい。簡単な攻撃魔法——火球でいい。見せてもらえないだろうか」


 ヴァルゼンの血の気が引いた。


 火球。最も基本的な攻撃魔法。魔族なら子供でも使える初歩中の初歩。


 ヴァルゼンには、使えない。


「あの——」


「教授」


 フェリクスが静かに割って入った。


「検証の申し出は理解しますが、魔王殿に火球を撃たせるのは——たとえるなら、将軍に一兵卒の訓練をさせるようなものです。意味がない」


「意味がないかどうかは、見てから判断させてもらう」


「いえ」


 フェリクスの目が真剣になった。


「魔王殿が本気で魔法を行使した場合、この酒場が吹き飛ぶ可能性を考慮してください。旧研究所で僕が見た魔力感知の精度を逆算すると、潜在魔力量は——計測器の限界を超えていてもおかしくない」


(吹き飛ばない! 不発で終わるだけだ!)


 ゲルハルトが沈黙した。


 学者の目が揺れている。データと直感が戦っているのが見えた。


「……わかった。今日のところは引き下がろう」


 ゲルハルトがモノクルを直した。


「だが、学術的な疑問は残る。いずれ正式な検証の場を設けたい」


「いつでも」


 フェリクスが薄く笑った。


「ただし、魔王殿が応じるかどうかは魔王殿次第ですが」


 ゲルハルトは去り際に、もう一度ヴァルゼンを見た。


 その目には、最初の断定が揺らいだ色があった。「ありえない」と言い切った学者の確信が、フェリクスのデータと仲間たちの証言によって、微かに——しかし確実に——侵食されている。


(待って。この人は正しかったのに。正しいことを言っていたのに。なのに——)


 扉が閉まった。


 酒場のざわめきが戻ってくる。冒険者たちの囁きが、さっきより大きくなっていた。


「学院の教授が検証に来るレベルかよ……」


「しかもあのフェリクスがデータで裏付けてるんだろ? もう本物じゃねえか」


「計測不能の魔王、マジもんだったんだな——」


 ヴァルゼンはテーブルに突っ伏した。


(逆効果だ。学者が否定しに来たことで、むしろ信憑性が上がってしまった)


「大丈夫か、ヴァルゼン」


 エルヴィンが背中を叩いた。


「気にするな! ああいう頭の固い学者は、自分の目で見るまで信じないんだ」


(僕が見せたいのは「本当に弱い」という事実なんだけど、それを見せる機会を全力で潰されたんだけど)


「教授のデータ要求は好機でもあります」


 フェリクスがメモを取っていた。


「学術界の権威が検証に乗り出したということは、魔王殿の存在が学問の領域にまで影響を及ぼし始めた証拠だ。分析すればするほど底が見えない——これは僕だけの感想ではなくなりつつある」


(底が見えないんじゃなくて、底がここなんだ。この薄っぺらい底が全てなんだ)


「ヴァルゼン様」


 ミラベルの声が、静かにヴァルゼンの耳に届いた。


「あの教授の方が来た時、ヴァルゼン様、少し嬉しそうでしたね」


 ヴァルゼンは顔を上げた。ミラベルの翡翠色の瞳が、穏やかにこちらを見ていた。


「え?」


「否定してもらえるのが、嬉しかったんでしょうか」


 心臓が、どくんと鳴った。


(——この子は、時々、怖いほど核心に近いことを言う)


「い、いえ、そんなことは——」


「ごめんなさい。変なことを言ってしまって」


 ミラベルが微笑んだ。それ以上は追及しなかった。


 だが彼女の目は、何かを感じ取っているようだった。ヴァルゼンの心の、他の誰も気づかない部分を——方向は正しいが理由は間違った形で——読み取り始めているような。


 ヴァルゼンはスプーンを握り直した。


 すっかり冷めたシチューを、一口食べた。


 味は——まだ、しなかった。


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