賢者が僕の行動記録をつけている。「法則がある」って、臆病の法則しかないです
賢者が僕の行動記録をつけている。「法則がある」って、臆病の法則しかないです
異変に気づいたのは、三日後のことだった。
パーティは次の依頼地に向かう街道を歩いていた。先頭をエルヴィンが進み、その横にグリゼルダ。ミラベルが中央で、ヴァルゼンは相変わらず最後尾。そしてその隣に——フェリクスがいた。
フェリクスがヴァルゼンの隣を歩くこと自体は珍しくない。だが今日は、様子がおかしかった。
手帳を開いたまま歩いている。
しかも、ちらちらとヴァルゼンを見ている。
見ては書き、見ては書き、を繰り返している。
(……なんだろう、この居心地の悪さ)
「フェリクスさん、何を書いているんですか?」
「ん? ああ、これですか」
フェリクスがあっさりと手帳を見せた。隠す気は全くないらしい。
手帳には、びっしりと文字が並んでいた。
『V行動記録——第一日目。街道北行。天候:晴れ。気温:中程度。
09:12 出発。隊列後方に位置取る(定位置)。
09:15 右側の茂みに視線を向ける(0.8秒)。直後にスズメが飛び出す。
09:23 歩行速度が微減。3秒後に路面の凹凸を回避。
09:31 左に半歩移動。直後に右側の木から枯れ枝が落下。
09:45 急に立ち止まる。周囲を見回す。15秒後に前方の曲がり角から荷馬車が出現。
備考:全ての「反応」が事象の発生より先に起きている。偶然の範囲を逸脱。要分析。』
(……怖い。この人、怖すぎる)
ヴァルゼンの背筋に冷たいものが走った。
「あの、フェリクスさん、これは——」
「行動記録です。魔王殿の日常的な行動パターンを体系的に記録・分析するプロジェクトです」
プロジェクト。日常の行動を記録するだけでプロジェクトになるのか。
「なぜこんなことを?」
「必ず法則があるからです」
フェリクスの目が光った。モノクルの奥の瞳に、学者特有の執着が宿っている。
「グリゼルダの証言、これまでの戦闘記録、ギルドでの評価——あらゆるデータが示しているのは、魔王殿の行動には一貫した法則性が存在するということです。それを解き明かすのが僕の役目だ」
(法則なんてない。怖いものから逃げる。それだけだ)
「例えば」
フェリクスが手帳のページをめくった。
「先ほどの記録を見てください。09:15、右の茂みに視線を向けた直後にスズメが飛び出しました。09:31、左に半歩移動した直後に右から枯れ枝が落下。09:45、立ち止まった直後に前方から荷馬車が出現」
「それは……偶然というか、なんとなく気になっただけで——」
「偶然は三回続きません」
フェリクスが断言した。
「しかも全て、事象の発生より前に反応している。これは予知か、あるいは極めて高度な環境認識能力の発露です」
(予知じゃない! 臆病なだけだ! 怖がりだから周囲の変化に過敏なだけだ!)
「特に注目すべきは09:23の路面回避です」
フェリクスが手帳をヴァルゼンに向けた。図が描いてある。ヴァルゼンの歩行軌跡を上から見た略図で、路面の凹凸を示す印が書き込まれていた。
「歩行速度の減少率と、凹凸までの距離から逆算すると、魔王殿が速度を落としたのは凹凸を視認できる距離に入る約二歩前です。つまり見えていないはずの障害物を回避している」
「い、いや、それは足が疲れて速度が落ちただけで——」
「疲労による速度低下であれば、減速カーブは緩やかになります。実際には0.3秒でピタリと速度が変わっている。これは意思決定による減速です」
(そこまで測ってるのか!?)
ヴァルゼンは助けを求めるようにエルヴィンの方を見た。だが勇者は先頭で鼻歌を歌いながら歩いており、こちらの会話は聞こえていない。グリゼルダは黙々と歩いている。ミラベルは花を摘みながら歩いていた。
誰も助けてくれない。
「フェリクスさん。僕は本当に、何も考えていないんです。ただの臆病者で、周りが気になって仕方がないだけで——」
「ええ、そう仰ると思っていました」
フェリクスが薄く笑った。
「データは嘘をつきません。魔王殿がどう仰ろうと、数値が示す事実は変わらない。そして今の発言も記録させていただきます」
ペンが走る音がした。
『V発言記録——「何も考えていない」「臆病者」「周りが気になるだけ」。自己評価と客観的パフォーマンスの乖離が著しい。偽装か、あるいは無自覚か。いずれにせよ、この乖離自体が分析対象として極めて重要。』
(僕の発言まで分析材料にされている)
「安心してください、魔王殿」
フェリクスが、珍しく柔らかい声で言った。
「僕はあなたの秘密を暴こうとしているのではありません。あなたの行動の法則を理解したいだけです。それは——あなたを正しく評価するために必要なことなのです」
(正しく評価されたら、最弱だってバレるんだが……)
昼食の休憩時にも、フェリクスの記録は続いた。
ヴァルゼンが木陰で座る位置。水筒に手を伸ばすタイミング。パンを千切る大きさ。全てが手帳に記録されていく。
「フェリクスさん、あの……パンの千切り方まで記録する必要あります?」
「ありますとも。魔王殿は常に一口大に千切っている。これは行儀がいいだけでなく、いつでも手を空けられるようにする戦術的配慮とも解釈できます」
(ただ小食なだけだ!)
「加えて、座る位置が常に退路を確保できる場所になっている。木の幹を背にして、左右に開けた空間がある。これは——」
「臆病だからです。背中が見えるのが怖いんです」
「見事な偽装ですね」
「偽装じゃないです!」
ヴァルゼンの声が裏返った。
フェリクスがその声を聞いて、手帳に書き加えた。
『否定の強度が増している。核心に近いと見る。』
(核心に近くない! むしろどんどん遠ざかっている!)
午後の行軍中、ヴァルゼンはフェリクスから距離を取ろうとした。少し早足で歩いて、隊列の中央に移動する。
三分後、フェリクスが隣にいた。
前方に移動してみる。
二分後、フェリクスが隣にいた。
グリゼルダの横に逃げ込んでみる。
一分後、フェリクスが背後にいた。
(逃げられない。この人、追尾してくる)
「面白いことに」
フェリクスが手帳に何かを書きながら言った。
「魔王殿は僕から距離を取ろうとするたびに、隊列内の異なるポジションに移動しています。しかもその移動先が、毎回そのタイミングで最も防御的に優れた位置になっている」
(グリゼルダの横に逃げ込んだだけだ! 一番安全そうだったから!)
「やはり法則がある」
フェリクスの声は、確信に満ちていた。
「魔王殿の全ての行動には、緻密な計算が隠されている。本人が否定すればするほど、その偽装の完璧さが際立つ」
ヴァルゼンは天を仰いだ。
空は青く澄んでいて、雲一つなかった。
(神様。どこかに、僕の言葉を額面通りに受け取ってくれる人はいないんでしょうか)
神は答えなかった。
代わりにフェリクスのペンが、新しいページを開く音だけが響いた。




