酔った女騎士が「剣技すら不要なのだ」と力説している。助けてほしい
酔った女騎士が「剣技すら不要なのだ」と力説している。助けてほしい
岩竜討伐の祝宴は、街で一番大きな酒場を貸し切って行われた。
パーティの功績を聞きつけたギルドが費用を持つと申し出たらしい。Bランクパーティが壊滅した山岳地帯の岩竜を討伐した——しかも地形を利用した戦術で——という報告は、ギルド支部長の目を輝かせるのに十分だったようだ。
ヴァルゼンとしては、一刻も早く宿の部屋に戻って布団を被りたかった。
(お願いだから静かに食事して解散にしてくれ)
しかし勇者エルヴィンが「祝宴だ!」と叫び、グリゼルダが「酒だ」と頷き、フェリクスが「記録の好機です」と手帳を開き、ミラベルが「皆さんご一緒に」と微笑んだ時点で、逃げ道は完全に塞がれていた。
酒場の奥の大テーブルに陣取ったパーティに、次々と料理と酒が運ばれてくる。周囲の冒険者たちがちらちらとこちらを窺っているのは、岩竜討伐の噂が既に広まっているからだろう。
(視線が痛い。胃が痛い。全部痛い)
ヴァルゼンは隅の椅子で小さくなりながら、水の入ったジョッキを両手で抱えていた。
問題は——グリゼルダだった。
歴戦の女騎士は、酒が入ると人が変わる。
普段は寡黙で礼節を重んじる武人が、エールの三杯目を空にしたあたりから、頬を赤く染めて饒舌になり始めた。四杯目で声が大きくなり、五杯目で目が据わった。
そして六杯目。
「聞け」
グリゼルダがテーブルに拳を叩きつけた。食器が跳ねた。ヴァルゼンも跳ねた。
「今日の岩竜戦で、私は確信した」
蒼灰色の瞳が爛々と輝いている。酔いのせいか、普段は抑制された感情が剥き出しになっていた。
「ヴァルゼン様は——剣技すら不要なのだ」
(え?)
「あの方は崖から落ちかけた。だが、その位置取りが、結果として岩竜を崖に追い込み、地形崩壊による自滅を誘発した。剣を抜かず、魔法を放たず、ただ——存在するだけで敵を屠る」
グリゼルダの声は酒場全体に響いていた。周囲の冒険者たちが聞き耳を立てている。
(やめて。頼むからやめてくれ。崖から落ちかけたのは足を滑らせただけだ)
「考えてみろ。手合わせの時もそうだった。私の全力の斬撃が、一撃たりとも届かなかった。あの方は剣すら構えなかった。なぜか」
グリゼルダが自問自答する。
「剣を構える必要がなかったからだ。私の攻撃など、避けるだけで十分だったのだ」
「グリゼルダ、落ち着いて——」
「落ち着いている!」
全く落ち着いていなかった。
「いいか、エルヴィン。私は騎士団で十五年剣を振るってきた。四天王の一角と斬り結んだこともある。その私が——一太刀も入れられなかった」
左頬の刀傷が、酔いで赤みを増した肌の上で歪んだ。
「あの方の回避は、剣技の上位互換だ。攻撃を『受ける』のではなく『存在しなかったことにする』。そんな動き、私は見たことがない」
(存在しなかったことにしたんじゃなくて、必死に逃げていただけです)
「興味深いですね」
フェリクスの声が、静かに割って入った。
ヴァルゼンが視線を向けると、賢者は例の手帳を開き、ペンを走らせていた。モノクルの奥の目が、いつもより鋭く光っている。
「グリゼルダ、もう少し詳しく聞かせてもらえますか。手合わせの時のヴァルゼン殿の動きについて」
「聞きたいか!」
グリゼルダの目が輝いた。聞いてくれる相手がいることで、酔った武人の弁舌に拍車がかかる。
「まず初太刀。私は上段からの袈裟斬りを放った。これを横に躱された。ここまでは普通だ。問題は二太刀目以降だ。私が連撃に切り替えた瞬間——ヴァルゼン様の動きが変わった」
「変わった、とは」
「なんと言えばいいのか……」
グリゼルダが腕を組み、真剣な表情で言葉を探した。酔っているのに、この話題になると思考が冴える。
「私の攻撃の『癖』を読まれた気がする。三合目あたりから、私が斬る前にもう躱し始めていた。まるで私の身体の動きの起点を見切っているかのように」
(見切ってない! 怖くて必死に逃げていたら、たまたまタイミングが合っただけだ!)
フェリクスのペンが止まった。
「……なるほど。身体の起動モーションから攻撃軌道を予測している、と」
「そうだ。しかも、だ。避け方が毎回違った。同じパターンを二度使わなかった。つまり——」
「パターンを固定することで相手に読まれるリスクを排除している」
「その通りだ、フェリクス!」
グリゼルダが嬉しそうに頷いた。酒場の隅で聞き耳を立てていた冒険者の一人が、仲間に「おい、聞いたか今の」と囁いている。
(いやいやいやいや。パターンが違ったのは、パニックで毎回違う方向に逃げていただけだ)
「面白い」
フェリクスが手帳に何かを書き加えた。その目は、新しい研究対象を見つけた学者のそれだった。
「グリゼルダの証言と、今日の岩竜戦の観察を合わせると、一つの仮説が浮かびます」
「仮説?」
「ヴァルゼン殿の行動には、一貫した法則がある可能性がある——ということです」
その一言が、ヴァルゼンの背筋を凍らせた。
(法則? 臆病に法則なんてない。あるとすれば「怖いものから全力で逃げる」というだけの——)
「ヴァルゼン様!」
ミラベルが心配そうに顔を覗き込んできた。
「お顔が真っ青です。お酒、飲まれていないのに……」
「あ、いえ、大丈夫です。ちょっと、その……」
「お疲れですよね。今日は本当に大変でしたもの」
ミラベルの翡翠色の瞳が潤んだ。
「崖から落ちかけた時は、私、心臓が止まるかと思いました。……ヴァルゼン様は、いつもご自身の危険を顧みないのですね」
(顧みまくっている! 顧みた結果がアレだ!)
「ヴァルゼン!」
エルヴィンが杯を掲げた。金髪が蝋燭の光を反射して、眩しい。
「今日の戦い、最高だったぞ! 地形を利用して岩竜を自滅に追い込む——あんな戦術、教科書にも載っていない!」
「載せないでくれ」と言いかけて、ヴァルゼンは口を閉じた。
「グリゼルダの言う通りだ。お前には剣技なんか必要ない。お前の武器は——もっと上の次元にある」
(ないです。武器がないから困っているんです)
「しかし——」
フェリクスが呟くように言った。
「法則があるとすれば、それを解き明かすのは僕の仕事ですね」
その静かな宣言が、酒場の喧騒の中でやけにはっきりと聞こえた。
ヴァルゼンは水のジョッキを傾けて、中身を一気に飲み干した。
(嫌な予感がする。フェリクスの目が、研究対象を見つけた時の目をしている)
隣ではグリゼルダがさらに酒を注文し、ミラベルが「グリゼルダさん、もうそのくらいに」と止めようとして失敗し、エルヴィンが「もう一杯だ!」と場を盛り上げていた。
フェリクスだけが、静かに手帳にペンを走らせ続けている。
ページの上部には、几帳面な文字でこう書かれていた。
『V観察記録——仮題:全行動の法則性について』
ヴァルゼンはそれを見て、胃がきゅるりと鳴るのを感じた。
(この人に目をつけられた。これは——今までで一番まずいかもしれない)
酒宴は深夜まで続いた。グリゼルダは最終的にテーブルに突っ伏して眠り、ミラベルはもらい泣きで目を腫らし、エルヴィンは上機嫌で歌い始めた。
フェリクスだけが、最後まで素面のまま、手帳を書き続けていた。




