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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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「忠誠」を断ったら「器の大きさ」で片付けられた

「忠誠」を断ったら「器の大きさ」で片付けられた


 ゼルフィスは、山岳地帯の入口に位置する中規模の町だった。


 石造りの建物が段々に連なり、町の中心を貫く水路が山からの雪解け水を湛えている。冒険者ギルドの支部も大きく、山岳依頼を専門に扱う窓口が設けられていた。


 パーティは宿を確保し、ギルドで新たな依頼を物色することになった。


 だが、ヴァルゼンの頭を占めていたのは依頼のことではなかった。


(グリゼルダさんの目が、怖い)


 宿の朝食の席。木のテーブルを囲む五人の中で、ヴァルゼンはひたすら粥をすくっていた。視線を上げれば、斜向かいに座るグリゼルダと目が合う。


 合うたびに、グリゼルダが居住まいを正す。


 まるで、常に臨戦態勢でいるかのように。


「ヴァルゼン様、塩をお取りしましょうか」


「あ、いえ、自分で——」


「失礼しました」


 ヴァルゼンが手を伸ばすより先に、グリゼルダが塩の壺を差し出していた。その動きは鮮やかだった。大剣を振るう時の俊敏さで、塩を差し出す女騎士。絵面としてはどこかおかしいのだが、本人は至って真剣だった。


「ヴァルゼン様、パンのおかわりは——」


「だ、大丈夫です」


「水は——」


「足りてます」


「では、何かお困りのことが——」


「グリゼルダさんが近いことだけが困ってます」


 口が滑った。


 テーブルが沈黙した。


 グリゼルダの蒼灰色の瞳が、一瞬だけ揺れた。そして——。


「……申し訳ありません。お側に控えすぎでしたか」


 すっと椅子を引き、一歩分だけ距離を取った。


「いえ、あの、そういう意味では——」


「ご安心ください。適切な距離を保ちつつ、いかなる時もお守りいたします」


(守らなくていい! というか、守られてるのは僕じゃなくて、僕の嘘のイメージのほうだ!)


「朝から微笑ましいな」


 エルヴィンがパンを齧りながら笑った。


「グリゼルダがあんなに誰かに尽くしているのは初めて見る。やはりヴァルゼンは凄いよ」


(何が凄いのかわからない!)


「忠誠心の発露としては教科書的ですね」


 フェリクスが手帳を開いた。朝食の席でも記録を取るのか、この人は。


「武人型の忠誠は、強者への敬意を基盤としています。グリゼルダの場合、手合わせでの圧倒的な実力差が——」


「フェリクス、朝から分析するな」


 エルヴィンがたしなめた。珍しいこともある。


「分析ではありません。観察です」


「同じだろ」


「全く違います」


 そんなやりとりを聞きながら、ミラベルがそっとヴァルゼンに耳打ちした。


「ヴァルゼン様、グリゼルダさんはきっと、あなたに救われたんです。だから——温かく見守ってあげてください」


(救ってない。逃げただけ)


 だがその言葉を否定することは、もうヴァルゼンにはできなかった。


 朝食後、ギルドに向かう道中で事件は起きた。


 町の広場を横切っている時、グリゼルダが不意に立ち止まった。


「ヴァルゼン様」


「は、はい」


「少し——お時間をいただけますか」


 グリゼルダの声が、いつもと違った。硬質な武人の声ではなく、どこか張り詰めた、覚悟を固めた声だった。


 エルヴィンたちは何かを察したのか、少し離れた場所で足を止めた。フェリクスだけは聞き耳を立てている気配があったが、ミラベルに袖を引かれて渋々距離を取った。


 広場の噴水の前で、ヴァルゼンとグリゼルダは向かい合った。


 噴水の水音が、二人の間を流れる。


「ヴァルゼン様。私は——」


 グリゼルダが甲冑の右手を胸に当て、深く頭を下げた。


「この剣と、この身を、あなたに捧げたいと思っています」


 噴水の水音が、やけに大きく聞こえた。


(……え?)


「二度の手合わせで、私は理解しました。あなたは、私が生涯を賭けて追い求めるべき高みです。この剣がいつかあなたに届く日まで——いえ、届かずとも、あなたのお側で剣を振るうことが許されるなら、これ以上の栄誉はありません」


 グリゼルダの声は真剣そのものだった。広場を行き交う人々が、騎士の宣誓のような光景に足を止めて見入っている。


(忠誠!? 忠誠の宣誓!? 僕に!?)


 ヴァルゼンの頭が白くなった。


 忠誠を誓われるような人間ではない。最弱の魔王だ。配下のゴブリンにすら舐められていた、飾りの玉座の主だ。


 そんな自分に、歴戦の女騎士が膝をついて剣を捧げようとしている。


 それは——あまりにも、申し訳なかった。


「グリゼルダさん、あの——」


 ヴァルゼンは必死に言葉を探した。断らなければいけない。こんな誤解の上に築かれた忠誠を受け取るわけにはいかない。


「そんな大層なことは——僕には、その資格がありません」


 精一杯の誠実さを込めて言った。


 嘘ではなかった。資格がないのは本当だ。彼女が信じているような圧倒的な武人ではない。ただの臆病者だ。


「……」


 グリゼルダが顔を上げた。


 その蒼灰色の瞳に浮かんでいたのは——失望ではなかった。


 畏敬だった。以前にも増した、深い畏敬。


「……なんという器の大きさだ」


(え?)


「これほどの力を持ちながら、忠誠を受ける資格がないとおっしゃる。それは——真に強い者にしか言えない言葉です」


(違う! 本当に資格がないから言ってるだけだ!)


「力で人を従えるのではなく、人が自ら膝を折ることを望まない。それこそが、真の王の在り方——」


「いやいやいや、王とかそういう話では——」


「お気持ちは、十分に伝わりました」


 グリゼルダが立ち上がり、微かに笑った。左頬の刀傷が歪んで凄みが増すはずなのに、今日のそれは不思議と穏やかだった。


「今は——まだ、受け入れていただけなくとも。私の気持ちは変わりません。いつか必ず、この剣を認めていただける日が来ると信じています」


(来ない! そんな日は永遠に来ない! だって前提が全部間違ってるんだから!)


「え、あの——」


 ヴァルゼンが何か言おうとした時、背後から盛大な拍手が聞こえた。


「素晴らしい!」


 エルヴィンだった。目に涙を溜めている。


「ヴァルゼン、お前は本当に——忠誠を辞退するとは、なんて器の大きさだ!」


(辞退したんじゃなくて、受け取れないだけ——)


「まさか断るとは思いませんでしたが、なるほど、これも計算ですか」


 フェリクスが手帳にペンを走らせていた。


「忠誠を安易に受け入れないことで、グリゼルダの忠義心をさらに高める。古典的だが効果的な人心掌握術ですね」


(人心掌握してない!)


「ヴァルゼン様……」


 ミラベルが涙を拭いながら近寄ってきた。


「ご自分を『資格がない』だなんて……あなたは、ご自分の価値をわかっていらっしゃらないのですね。それがまた——」


 ミラベルの言葉が、嗚咽に変わった。


(泣かないで! お願いだから泣かないで!)


 広場の噴水の前で、ヴァルゼンは途方に暮れていた。


 忠誠を断ったのに、評価が上がっている。


 謙遜したのに、器が大きいと言われている。


 否定したのに、否定すればするほど肯定される。


(このループ、出口がないんじゃないか……?)


 恐ろしい予感がした。


 受け入れても断っても、どちらに転んでも誤解が強化される構造。それは——逃げ道がないということだ。


「さあ、ギルドに行こう! 山岳地帯の依頼、良いのがあるといいな!」


 エルヴィンが上機嫌で先を歩き始める。グリゼルダがその半歩後ろにつき、視線だけはヴァルゼンに向けている。フェリクスは手帳に何かを書き続け、ミラベルはまだ鼻をすすっている。


 ヴァルゼンは最後尾で、胃を押さえていた。


(受けても地獄、断っても地獄。どうすればいいんだ、これ)


 答えは出なかった。


 噴水の水だけが、変わらない音を立てて流れ続けていた。


 冒険者ギルドのゼルフィス支部は、山岳依頼に特化しているだけあって、壁一面に貼り出された依頼書の大半が「山」に関するものだった。


 岩竜の目撃情報。山岳路の魔物掃討。鉱脈調査の護衛。高山薬草の採取。


 エルヴィンが依頼書を物色している間、ヴァルゼンはベンチに座って胃を落ち着かせていた。


「魔王殿」


 フェリクスが隣に座った。手帳は閉じているが、モノクルの奥の目は相変わらず油断がない。


「先ほどの一件、非常に興味深かった」


「……何がですか」


「忠誠の辞退です。あの場面で断る人間は少ない。ましてや、グリゼルダほどの武人の忠誠ともなれば」


「僕には、受ける資格が——」


「ええ、そうおっしゃると思いました」


 フェリクスが薄く笑った。


「だからこそ興味深いのです。あなたは常に自分を過小評価する。それが演技なのか本心なのか——僕はまだ結論を出せていません」


(本心です。百パーセント本心です)


「ですが一つ、確かなことがある」


 フェリクスの声が、わずかに真剣味を帯びた。


「グリゼルダは本物です。あの忠誠は、演技でも勢いでもない。武人が生涯に一度だけ捧げる、本物の剣の誓いです」


 ヴァルゼンは言葉を失った。


「それを引き出したのが、あなたです。意図的かどうかは別として——結果として、あなたは歴戦の武人の魂を動かした。それは事実です」


 フェリクスが立ち上がり、手帳を開いた。


「さて、次の依頼の分析に移りましょう。面白い山岳依頼があるようですよ」


 その背中を見送りながら、ヴァルゼンは小さく俯いた。


(僕が動かしたんじゃない。グリゼルダさんが勝手に感動しただけだ)


 だが——フェリクスの言葉が、胸の奥に小さな棘のように刺さっていた。


 結果として、動かした。


 意図していなくても、結果は結果だ。


(でも、その結果が嘘の上に立っているなら——いつか崩れた時、グリゼルダさんはどうなる?)


 その問いに、ヴァルゼンは答えを持っていなかった。


 冒険者ギルドの喧騒の中で、最弱の魔王は一人、胃を押さえて座り続けていた。


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